ジーコジャパンの4年間

2006-06-25 | サッカー日本代表

沢山の日本代表へ対する批判等(ランキングへ)を見ていると、
『良くやった』と思っている自分は本当に世間ズレしているのかと思うが(苦笑)
本心からお疲れ様と声援を送りたい。
後悔があるかどうかは選手達自身の問題だからね。
少なくともW杯という大会において、グループ敗退した事にも、
いいサッカーが出来なかった事に対しても闘った選手達を非難する気には
どうしてもなれないな・・・ってね。

実力を出せなかった事も今の日本代表の実力
そんな苦さを経験した事も、W杯へ出場出来たからこそ。
W杯は勝負の厳しさを知るための大会であるとも思う。
その意味ではこの経験は絶対に今後に活かせるし、
日本代表の財産にしていって欲しいと思う。
世界の中じゃ日本はまだまだ子供。それを思い知らされた。
でも子供だから、沢山のものを吸収できる。
少しずつ成長していきたいね。

実を言うと4年前の日韓大会では日本の試合はほとんど見なかった。
あの頃の日本代表のサッカーに個人的には魅力を感じていなかったこともあるし、
何せ試合を見に飛び回っていたので忙しくて日本代表どころじゃなかったw
そんな事もあり、フランス大会ぶりに今大会は真剣に日本を応援しました。

色々ここにもいいだけ批判書いてきたけど、
ジーコジャパンが嫌いじゃなかった。いや、ほんとに(苦笑)
ジーコの掲げた”自分達で考えるサッカー”というものが大好きだった。
でも、実際のジーコジャパンはジーコの掲げたものとは違う、
『自由』の言葉を履き違えたチームになってしまったんじゃないかなと思う。

このW杯をジーコジャパンの集大成と表現するには、とても違和感を感じる。
私が見てきたこの4年間のジーコジャパンとW杯を闘っていた
ジーコジャパンはまるで違うチームのように見えたから。
闘う度にチームは違うものに変わっていったジーコジャパン。
”チームとして何を目指すのか 何をしたいのか”最後まで明確には
見えないまま終焉をむかえた。

残念ながらジーコジャパンには最後まで”一体感”を感じなかった。
それに関しては気の毒なところもある。
海外へ行く選手も多くなったことで、発足当時から、
マスメディアが誘導する通りに日本代表を取り巻くものが、
『海外組vs国内組』という対立図式を生み出した。
海外組を起用した試合で苦戦すれば、国内組がいい。
国内組で上手く行かなければ、やっぱり海外組だと一貫性のない意見で
代表を振りまわすだけ振りまわした。
選手達の言葉にも少なからず「対立意識」を感じたこともある。
それはいいライバル関係という意識ではなく、周囲の”煽り”
影響されたものだったんじゃないだろうか。

ジーコジャパンには海外でプレーするものも、
もちろん国内でプレーするものにも優れた能力を持った選手達が多い。
それが故、自己主張が強くなる事はしょうがないところではあるが、
(寧ろ、いい意味での自己主張は必要だしね)
チームのことよりも自我が強くなってしまったところもあるんじゃないかなと。
自分に与えられた仕事を献身的にするよりも、
みんなが自分がしたい仕事をする。
ジーコの与えた『自由』をまだまだ日本は汲み取れなかったのではと思う。
ブラジルサッカーは『自由』であるけれども、監督そして選手間には
きちんとした『共通意識』がある。これが日本にはなかった。

この4年間の中で、本当の一体感を感じたのはアジアカップだったように思う。
”良い”サッカーとはかけ離れた内容の大会だったけど、
海外組も国内組も関係無しに、チームとして必死に闘った。
試合毎に活躍した選手は違った。それはレギュラーもベンチも関係なく、
目の前の試合に総力戦で闘っていたからこそじゃないかな。
ヒーローもいないし、スターもいない。
もちろんチームの中に絶対的エースがいることも大事だけど、
世界的にはまだまだ力が劣る日本において、総力戦で闘ったあの大会は
日本の”理想”だったようにも思う。
大会期間中、表情からは充実感が溢れ、
選手達の口からは次々同じ言葉が聞かれた。「今、凄くチームがまとまっている」
あの時選手達が感じていた”一体感”というジーコジャパンの強みを伸ばし、
W杯まで高められなかったことだけが本当に残念に思う。
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