和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

たけえところさ、逃げねば。

2011-12-16 | 地域
一般に「津波てんでんこ」で知られる山下文男氏は、1924年生まれでした。
佐野眞一著「津波と原発」(講談社)で、
東日本大震災の際に、当の山下文男氏が病院の四階でカーテンにつかまって助かった。
それからの一部始終を読むことができたのでした。
それが貴重なことだと思っていたら、
今日、森健著「『つなみ』の子どもたち」(文芸春秋)がとどき、
ひらいてみると、そこに
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)の第二章「昭和八年の津波」にある「子供の眼」で登場する牧野アイさんの現在が紹介されているのでした。
牧野アイさんの尋常小学校六年の時の作文と、大人になってからの津波に対する心構えとは、「三陸海岸大津波」できわだって印象に残る箇所としてあります。
まさか、その方が現在もご健在で、森健氏が聞き取りに行くとは、思ってみないことでした。それが、この新刊で、肉声を伝えており。とりあえず、その箇所だけ拾い読み、思わず、ジーンとして本を閉じました。
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岩手県の津波研究家。

2011-12-15 | Weblog
今朝の朝刊に
山下文男氏の死亡記事。
産経新聞には、津波研究家とありました。

「13日、肺炎のため死去、87歳。通夜は16日午後5時、葬儀・告別式は17日午後1時、岩手県大船渡市盛町みどり町20の1・・・・岩手県の津波研究家で、津波の時はほかの人を気にせず、てんでんばらばらに逃げろという『津波てんでんこ』という教えを広めた。3月の東日本大震災では、同県陸前高田市の病院で入院中に被災し、大船渡市の自宅も津波で全壊。昭和三陸地震津波でも被害に遭っており、『哀史 三陸大津波――歴史の教訓に学ぶ』などの著書がある。・・・」

本棚から、佐野眞一著「津波と原発」(講談社)をとりだす。

そのp53から引用していきます。

「ホテルを訪れ部屋に入ると、山下はベッドに横たわったまま『やあ佐野さん、まさかこんなところであなたに会うなんて、思いもしなかったよ』と言った。・・・・
――高田病院にも行ったんですが、メチャクチャでしたね。あんな状態の中でよく助かりましたね。
『僕はあの病院の四階に入院していたんです』
――えっ、津波は四階まできたんですか。
『津波が病室の窓から見えたとき、僕は津波災害を研究してきた者として、この津波を最後まで見届けようと決意したんです』
――津波に呑み込まれる人の顔は見ましたか。
『いや、それは見ていません。僕はインド洋津波(スマトラ沖地震津波)のビデオの解説をしていますが、あれとそっくり同じ光景でした。大木やいろいろなものが流されて、人が追いつかれて、人が巻き込まれるのは見ています』
――それを四階の病室から見ていたんですね。
『そう、それを最後まで見届けようと思った。と同時に、四階までは上がってこないだろうと思った。陸前高田は明治29年の大津波でも被害が少なかった。津波を甘く考えていたんだ、僕自身が』
・・・・・・・」

うん。これからが、読みどころなのですが、
うん。それは皆さん読んでのお楽しみ。
ということにしておきましょう。
私も追悼をこめて、読み直してみます。
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初版。

2011-12-14 | 詩歌
初版「柿の種」届く。
注文してあった寺田寅彦著「柿の種」初版本が届く。
函なし。天と地がシミあり。
ですが、ページは初めて開いたような感触。
うん。
じつは、KAWADE道の手帖「寺田寅彦」に
掲載されていた出久根達郎氏の文に触発されての注文。
ですが、出久根氏の文に、いっぱい食わされちゃった。
でも、しかたない。出久根氏は作家なのだ。
出久根達郎氏の文をあらためて見ながら、
初版本をひらくと、どうも食い違うのです。
うん。だからって、初版本を買えたのを
うらんでなんかいないのですよ。
出久根氏のおかげで、初版本を買う気になったのです。
ありがたい。
ちなみに、
古本はオフィス「おてんこ」に注文
何でも、金沢の古書店の受注・発送を「おてんこ」がしていて、
古本屋は素人古本屋バツ(山崎徳弘)からのもの。
送料無料で、1500円。

たっぷりと余白をとった初版「柿の種」は
詩集をめくっているような味わい。
そういえば、最初の短章は、
どうかというと、

「日常生活の世界と詩歌の世界の境界は、ただ一枚のガラス板で仕切られている。・・・」というはじまり。なんとも不思議な世界の入り口のようでもあります。

そういえば、
朝日新聞2011年11月27日の読書欄「著者に会いたい」。
そこに詩集希望を出した97歳の杉山平一氏が登場しておりました。
写真入で、インタビューの文は白石明彦。
その文は

「町を歩き、何げない情景に詩を見つける。そんな63編を収めた。
『何でもないことこそ詩になる。世界は言葉によって発見され続け、世界すべてに詩はあります』・・・・」とはじまっております。

そういえば詩集「希望」に

    ことば

  ある美術館の壺の絵の表題が
  「置く」と書かれているのに感心した
  置くという言葉によって
  壺が生きた血がかようようだった
  壺とはAとかB同様の符号にすぎない
  それが、ことばをつけることによって人間の仲間になり
  さわるものになり
  持つものになり
  血のかようものになるのだ
  ことばによって物は発見され
  生きて我らの仲間になる

  世界はことばによって発見されつづける



またインタビュー記事には、こういう紹介もしてありました。

「旧制松江高校のとき、異なる場面をつなぎ合わせ、新たな意味を生みだす映画のモンタージュの技法が、詩にも生かせると気づいた。」

ちょうど、
すこし読み始めた「寺田寅彦と連句」の第一章にも
モンタージュについて語られている。
うんうん。「つながる読書」だなあ。これはいい。

「柿の種」と詩集「希望」と。

ところで、
初版「柿の種」は、
岩波文庫「柿の種」の、ちょうど「曙町より(十二)」(p163)で終わっておりました。
その文は、
「今日神田の三省堂へ立ち寄って、ひやかしているうちに・・・」とはじまって、
高等学校の学生が、本屋の棚から安部著「山中雑記」を抜きだして、そのつぎに「藪柑子集」を引き出して、結局どちらも買わずに行き過ぎてしまう、という内容なのでした。そこにこんな箇所

「・・・それはどうでもいいが、とにかく安部君というものと、自分というものとが、この可愛い学生の謙譲なる購買力の前で、立派な商売敵となって対立していた瞬間の光景に、偶然にもめぐりあわせたのであった。・・・」

うん、では詩集「希望」から

    視線

 電車にスマートな若者が
 入ってきた
 若い女性が目を光らせた
 その女性を見ている私
 その私に目を注いでいる
 斜め向かいの人物



なんとも、映像的だなあ。
ちなみに、「曙町より(十二)」は

 哲学も科学も寒き嚔(くさめ)哉

で、終わっておりました。
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震災と言葉。

2011-12-13 | Weblog
とにかく、買いました。
読みました。と言えないのが残念。

小林惟司著「寺田寅彦と連句」(勉誠出版)
小林惟司著「寺田寅彦の生涯」(東京図書)
山田一郎著「寺田寅彦 妻たちの歳月」(岩波書店)
山田一郎著「寺田寅彦覚書」(岩波書店)

とりあえず、KAWADE道の手帖「寺田寅彦」にある対談
「いま寺田寅彦から何が読めるのか」最相葉月・池内了の対談を読む。
そこでの最相さんの言葉

「・・吉村昭の『三陸海岸大津波』、田山花袋の『東京震災記』などいくつかの震災の経験談を直後はむさぼるように読みました。寺田では『天災と国防』をはじめ、災害について書かれたものを集めた随筆集を手にしました。『体験記とはこういう時に読むものなんだ』と、細胞に沁み入るようでしたね。『明日、私はどうしたらいいの?』『こんな時あなたは何を考えていたの?』という気分で、とにかく体験者の思いを共有したい一心で先人の本にすがりました。」(p11)

この対談に出てくるエッセイ「烏瓜の花と蛾」は
岩波文庫「寺田寅彦随筆集第三巻」に、ありました。
読んだことがなかったので、それに短いし、読んでみました。
というところです。

震災関連の本を読んでいた時、
あらためて、言葉を取り扱う本が読みたくなりました。
なんでだろうなあ。
被災地にいかずに言葉とにらめっこをしていると、
災害のことを思いながらも、
どうしても、言葉について考えてしまうのでした。
ということで、
災害と言葉と。
うん。
とりあえず
「寺田寅彦と連句」を
読みなさい(笑)。
と、もう一人の私の命令形。

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「裸のフクシマ」

2011-12-12 | Weblog
東日本大震災の本は、できるなら読みたいと思っております。
ですが、原子力に関係する本は、敬遠ぎみ。
さてっと、そんな中に、
たくきよしみつ著「裸のフクシマ」(講談社)に関する
二つの書評を読みました。

文藝春秋2012年新年号に、高島俊男氏の書評。
朝日新聞12月4日に、福岡伸一氏の書評。

うん。
震災に関する本は読みたいのですが、
何を読んだらよいのか、それがわからない。
というときの書評二つ。
ありがたいと、
書評者二人の面構えを思い浮かべながら、
さっそく注文。


新聞書評は、切り抜いて、
雑誌書評は、コピーして、
本に挟んでおくことにします。
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次の本へと。

2011-12-11 | 他生の縁
日垣隆著「つながる読書術」(講談社現代新書)が、気になってます。
あとがきの次には、
「附録 読まずに死ねない厳選100冊の本」が
何とも手垢にまみれているようで、たのしいなあ。
藁おもつかむようにして、本との出合いが語られます。

ちなみに、あとがきには「魔法」使いの青木由美子さんの名が。

「本書は、講談社現代新書編集長の岡本浩睦さんの提案により、4年がかりの実験と実践で補いつつ、ようやく完成することができました。・・・・収拾がつかなくなり(泣)、『ラクをしないと成果は出せない』(だいわ文庫)や『折れそうな心の鍛え方』(幻冬舎新書)でもお力添えをいただいた青木由美子さんに、今回も魔法をかけてもらうことができました。お二人がいなければ、間違いなく本書は形を成すことはなかったでしょう。それは断言できます(きっぱり)。」

うん。「形を成すことはなかった」新書を読める幸せ。
ちょうど、古本で『ラクをしないと成果は出せない』『折れそうな心の鍛え方』の両方を手にしたので(読んだといわないところがミソ)。この新刊の新書の『魔法』のかけ具合が、より鮮明になるのでした。

本書のまえがきは、こうはじまります。

「本書では『つながる』には五つの意味を込めています。
第一に、ある本を読んで、次の本へと『つながって』いく読書の愉楽。
・・・・・・・」
まだ、四か条あるのですが
うん、私は『第一』で十分満腹。
これを拳拳服膺してゆきます。
そこで、ありがたかったのは、この箇所でした。

「ちなみに、学者やジャーナリストが、本の内容を引用する場合、どの本のどこにその箇所があったかを忘れてしまうと大変なことになります。思い出せなくて、10秒以上イライラして過すのは嫌なので、私は本を購入したときに、『古典講座テキスト』とか、『・・・の参考文献』とか、なぜこの本を買ったのかという理由や目的を、最初のページに書き込んでおいたり、そもそも読む本の動機をつくってくれた元の本の該当部分をコピーして挟んでおきます。こうすれば、『つながり』を忘れることなく、つきあわせて検証する――などのアクセスの時間を短くするためには、手っ取り早い方法です。
読書量が多くなればなるほど、この本をなぜ買ったか、忘れてしまって当然です。が、その『なぜ』は、とても重要なことですから、何らかの形(コピーをして本に挟むか、メモをするか)で判別できるようにすることをお奨めします。」(p140)

ああ、私はこの箇所だけ忠実に守れればそれでいいや。
これ、いただいて私のブログの芯としていきましょう。
まあ、そんなことを思った新書一冊でした。
そう、もうすこし、身近に置いときたい一冊。
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ばかなおじいさん。

2011-12-10 | 短文紹介
丸谷才一に「軽いつづら」というエッセイ集が、新潮文庫にある。
目次をみると、それらしき題のエッセイはなく、
題名のみを「軽いつづら」としたらしい。
らしい。というのは、目次だけ見たからです。

その本の序章は、こうはじまります。
「『軽いつづら』といふ題にしようと思つたが、若い読者に通じるかどうか、ちと気がかりである。親しい編集者に相談してみた。・・」

さてっと、
昔話に出てくる「軽いつづら」は、
舌切り雀のお話で、おじいさんが雀のお宿をあとにするときに登場。

雀は奥からつづらを二つ持って来ました。
そして、
『おぢいさん、重いつづらに、軽いつづらです。どちらでもよろしい方をお持ち下さい。』といいました。『どうもごちそうになった上、おみやげまで貰ってはすまないが、せっかくだから貰ってかえりましょう。だがわたしは年をとっているし、道も遠いから、軽い方を貰って行くことにしますよ。』(日本童話宝玉集 楠山正雄編)

その軽いつづらには、
『目のさめるような金銀珊瑚や、宝珠の玉が出て来ました』
おじいさんは、重いつづらと軽いつづらの話をするのでした。
すると、おばあさんが答えます。

『ばかなおじいさん。なぜ重い方をもらって来なかったのです。その方がきっとたくさん、いいものがはいっていたでしょうに。』

ここらで。
丸谷才一の「軽いつづら」の序章へともどると、
編集者が、調査に行きましょうと、
銀座のバーへ行くのでした。
そして、ホステスの一人に、
『どういふ筋の話か知ってる?』と質問する
「それを受けてホステスの一人が、あのお伽噺を淀みなく語ってくれたのですね。『おや、うまいぢやないか』と褒めたら、『このあひだまで幼稚園の保母でした』と言ふ。どうやら嘘じゃないらしい。・・・にぎやかに飲んでゐると、やがて彼が言ひました。『この人は特殊な経歴ですからね、例外かもしれません。もう一軒ゆきませう』」


うん。昔話はご存じとして、すすめましょう。
おばあさんが貰ってかえる重いつづらは、
どうなったか(笑)。
それよりも、今私に気になるのは、
はたして「重いつづら」と「軽いつづら」とは
おじいさんとおばあさんの時と、別のものが入っていたのかどうか?
ということです。
おじいさんの時の「重いつづら」の中身と
おばあさんの時の「重いつづら」の中身は、
別だったのか、それとも同じものだったのか?
なんて、疑問が思い浮かんだのでした。


ここらで、話題をかえます。
私は、中西輝政氏を思い浮かべるのでした。

「・・・中国はこのように数を頼りに多くのスパイを投入しているのです。人口も多いし、国家予算もありますから、なんでもできます。これはこれで大きな強みですが、こういう国に力で劣る国がどう対したらいいかというときには、『捨て身の哲学』といいますか、ぎりぎり自分の最大の強みだけに、一点集中的に努力を絞っていくしかありません。
これは経済の世界でも同様です。・・戦後に日本が成長してきた、高度成長の時代の成功例を見ると、どの例でも、今の言葉でいえば、『選択と集中』ということをしています。
・・・・・
ある国、ある組織の興亡というものは、そういったぎりぎりのものにかける気迫を持っているかどうかによります。あれもこれもと、ひどい場合はあれもこれも捨てられないから足して二で割って、『一応これも取っておきましょう、一応あれも・・・』という形で、なかなか決断できないというのでは、必敗、つまり必ず負ける組織、破れる国となってしまいます。平成の日本はまさにそうです。」(p179~181)

これは、中西輝政著「国民の覚悟」(到知出版社)にありました。
つづきも引用していきます。

「たとえば今から十五年前、平成八(1996)年の頃、橋本龍太郎さんという人が総理大臣でしたが、『日本は、バブルが崩壊してから全く立ち直れないじゃないか』『日本は世界第二の経済大国として、国をもう一回、成長路線に戻さなければいかん』――そういうことをおっしゃった。それはそれでいいのですが、橋本さんがその答えとして取り上げたのは、『財政改革』『行政改革』『金融改革』『経済構造改革』『教育改革』など七つの改革でした。これを見て、私は『あ、これは駄目だな』と思いました。「日本は、このままいろいろと改革を続けても、必ず失敗を重ねるだけだ。これは必敗。つまりさらなる衰亡のパターンだ」と。問題が何か出たら、その都度、○○改革、また、問題が出たら、××改革。このような具合に、一つひとつばらばらに取り組むというやり方なのです。・・・
問題というのは、たくさんあるのなら、問題ごとに解決するのではなく、つなぎ合わせて、いちばん中心になっている『根幹の問題』はなんなのかを見極めていくことが大切です。・・・・・この一点に賭ければ、『自分の政治生命を賭けてもいい』、あるいは、日本の問題の焦点は、『これだ』と言い切って、そこに邁進できるだけの突破力。これを示す政治家がいないのです。」


これくらいにして、舌切り雀の昔話でした。
おじいさんの次におばあさんが雀のお宿に出かけるのでした。
その帰りのようすはどうだったのか。

「・・奥からつづらを二つ出して来ました。
『さあ、それでは重い方と軽い方と二つありますから、どちらでもよろしい方をお持ち下さい。』『それはむろん、重い方をもらって行きますよ。』というなり、おばあさんは、重いつづらを背中にしょい上げて、挨拶もそこそこに出て行きました。
おばあさんは重いつづらを首尾よくもらったものの、それでなくっても重いつづらが、背負って歩いて行くうちに、どんどん、どんどん、重くなって、さすがに強情なおばあさんも、もう肩がぬけて、腰の骨が折れそうになりました。それでも、『重いだけにたからがよけいにはいっているのだから、ほんとうに楽しみだ。一体どんなものがはいっているのだろう。ここらでちょいとひと休みして、ためしに少しあけてみよう。』
こうひとり言をいいながら、道ばたの石の上に『どっこいしょ。』と腰をかけて、つづらをおろして、急いで蓋をあけてみました。
するとどうでしょう。中からは、目のくらむような金銀珊瑚と思ひの外、三つ目小僧だの、一つ目小僧だの、蟇入道だの、いろいろのお化けが、にょろにょろ、にょろにょろ、とび出して、『この欲張りばばあめ。』といいながら、こわい目をしてにらみつけるやら、気味のわるい舌を出して顔をなめるやらするので、もうおばあさんは生きた空はありませんでした。・・・・」

うん。ここいらでよいでしょうか。
ところで、昔話の最後は

「おじいさんは気の毒そうに、
『やれやれ、それはひどい目にあったな。
 だからあんまりむじひなことをしたり、
 あんまり欲ばったりするものではない。』
 といいました。」
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男の曲がり角。

2011-12-09 | 短文紹介
産経新聞(2011年12月9日)の産経抄。
そのコラムは、こうはじまっておりました。

「『あいつは、男の曲がり角を曲がりそこねてしまった』。かつて売れっ子の映画監督が、愛人宅で自殺するというスキャンダルがあった。その報を聞いて、生前親しかった俳優がもらしたコメントが、記憶に残っている。」こう産経抄ははじまっております。
うん。内柴正人(33)氏のことを語る出だしです。
彼は、アテネ、北京両五輪で柔道男子の金メダル保持者。

コラムは、後半に
「『金メダルを獲得した後が、人生大事だぞ』。同じ熊本県出身で、ロサンゼルス五輪金メダリストの山下康裕さん(54)の助言が、生かされることはなかった。指導者への曲がり角の途中で、どこかおごりの気持ちが生まれたのかもしれない」

ところで、読売新聞のコラム「編集手帳」は、どう書いておられるのか、気になるのでした。兄のところが読売を取っているので、いったときに、読んでみたいと思います。

そういえば、竹内正明著「読売新聞朝刊一面コラム『編集手帳』第二十集」(中公新書ラクレ)は今年の前半6月までをまとめた一冊。東日本大震災に遭遇した際のコラムを、あらためて読むことができます。その新書の「『まえがき』の代わりに」に忘れがたい言葉がありました。

「・・津波で両親を亡くした幼女のことを書く。・・・原発作業員の崇高な使命感なりに胸を打たれて筆をとったつもりが、書いているうちに妙な具合になってきます。『うまい形容詞を思いついたな』『テニヲハはこっちのほうがいいぞ』『よしよし、順調、順調』・・・いつしか表現の技術に気を取られ、その人の悲しみや勇気を読者に伝えるというよりは、悲しみや勇気を見世物にするべく筆で厚化粧を施しているかのような、なんとも嫌な気分に襲われたのは一度や二度でなかったことを白状します。
被災地の誰かに、なにがしかの感銘を受けて筆をとる。その感銘を読者に伝えるためには、表現に工夫を凝らさねばならない。淡々と事実のみを書く、という工夫も含めて、工夫を凝らさなければならない。工夫を凝らしているうちに、しかし、『うまく書きたい』欲が先に立ち、胸の内にあった最初の感銘は二の次、三の次になっていく。
震災を取り上げた『編集手帳』を読んで泣きました。という手紙を読者からたくさん頂きました。表現の工夫はそれなりに成功したのかも知れません。読者の涙を誘いながら、書いた当人の目はもうとっくに乾いていて、自分が凝らした工夫が読者におよぼす効果のほどをじっと確かめている。・・・・・・

 書くといふこと何かヒキョーに似たりけり 夢諦軒

・ ・・・わが心境にも通じる夢声翁の一句を添えて、『読売新聞朝刊一面コラム「編集手帳」第二十集』をお届けします。」


うん。曲がり角を通り過ぎると、こういう話も自然体で語りかけられるようになるのかなあ。と、思いながら引用させてもらいました。たとえ、竹内氏のこの言葉が大勢からの顰蹙を買おうとも、まずは、率直に「まえがき」に書かずにはおれなかった、コラム子の心が、つたわります。毎日書き続けたコラム子の心に貯まった垢を、洗い落としているようにも読め、その信頼感から、次の第二十一集を、待ち望むこととなります。

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寅彦俳句。

2011-12-08 | 地域
KAWADE道の手帖の池内了責任編集「寺田寅彦」の最後に「寺田寅彦BookGuide 世界を見晴らす10冊」という箇所がありました。寅彦と俳句というのは、今まで気になっていたのですが、そこまでで読まずじまいでおりました。
さてっと、この10冊のなかに、小林惟司著「寺田寅彦と連句」(勉誠出版・2002年)が入っておりました。その説明に「・・その楽しみの大部分をなすのは、連想飛躍によって思いもかけない別世界が広がる点にある。本書は科学者の眼を持つ一方で、詩的世界でも縦横無尽に羽ばたいた寅彦の作る連句の魅力、類い稀な連想力を究明した一冊。科学者・寅彦と俳人・冬彦との自由な行き来、その表現にはただ脱帽する。」(p188)

さてっと、ネット古本屋で、さっそく検索すると、
ありました。古書円居で、5000円+送料200円。
よし。と注文したのでした。

師走は、「寺田寅彦と連句」を読むぞ。
と書き込みしておけば、読まなきゃ(笑)。
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日本の歴史。

2011-12-07 | 前書・後書。
育鵬社「新しい日本の歴史」(平成24年度使用開始教科書の市販本)をひらいてみました。本文の前に、岡崎久彦・渡部昇一・中西輝政の御三方が各一頁の推薦文を書いておられます。ここでは、中西輝政氏の言葉から引用。

「一国の個性は、何よりもその国の歴史の中に表現されます。海外に行けば、しっかりとした歴史教育を受けている国の人々が、生き生きと飛び回っている姿を目にします。私はそのたびに、21世紀の世界における最も重要な国際競争力とは、『歴史力』というものではないか、と繰り返し感じてきました。考えてみると、戦後の日本においても、経済の高度成長を達成し、平和で繁栄した社会を築く担い手となった世代は、自国の歴史や文化に対するゆるぎない自信を、学校教育を通じて身につけていた世代だったのです。・・・」

ついでに、序章をひらいてみると、
なんと、そこに課題学習としてこんな提案がありました。

「皆さんのまわりにはどんな祭りがありますか?夏の盆踊り、花火大会、神社の秋祭り、冬の雪祭り、そして、その地域の特別な祭りなど。皆さんも町内会や神社の祭りに参加して楽しんだことがあるでしょう。でも、その祭りについてどのくらい知っていますか?皆さんの身近にあるのは、いったいどのような祭りなのでしょう?」

次には、その一例として浅草神社の三社祭を写真入で紹介しておりました。神輿の種類や例大祭のスケジュールを示して、うん何やら面白そうです。
う~ん。最初に神輿とは、心踊りします。
え~と。本文は、まだ見ておりません(笑)。
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本は安い。

2011-12-06 | 短文紹介
日垣隆著「つながる読書術」(講談社現代新書)に、紹介されていた
ご自身の本を注文してあったのが2冊届く。

日垣隆著「ラクをしないと成果が出ない」
ふるほん上海ラジオ  200円+送料80円。

日垣隆著「情報の『目利き』になる!」(ちくま新書)
れんが堂書店   300円+送料210円。

あとは
北十二条書店に 200円+送料90円。
日垣隆著「折れそうな心の鍛え方144」を注文。
こちらは、送料先払いで、5日に振り込んだばかり。

とりあえず、古本2冊をパラパラひらき、くらべると、
最新刊「つながる読書術」は、よくまとめられておりました。

ということで、「つながる読書術」から、またすこし

「まだまだ『著者の土俵』のまま、人のネタに感動して終わりというのでは、ほかの人にそのおもしろさを伝えることはできません。『いい本ですよ』と薦めるだけで読んでみようという気を起こさせるなど、あなたがタレントかカリスマ経営者、あるいはその相手と特別な利害関係がない限り、不可能です。
ものを売る商売に置き換えて考えれば、すぐにわかります。商品のどこが、どのように良くて、どう役立つかを的確に伝えられること。さらにその商品を理解し、深く考え、商品について自分独自の発想を付け加えられること。この二つができる人が、売れる営業マンとなります。」(p127)


本読みへの応援歌も聞こえてきます。

「本は迷ったら買うくらいの原則でちょうどいいと感じます。こういうところでお金を惜しむと、人生収益上で損をすることになります。『本は安い』これは、いくら強調しても強調し足りない事実だと、私は信じています。」(p59)
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柿の種。

2011-12-05 | 前書・後書。
KAWADE道の手帖「寺田寅彦」(池内了責任編集)をひらくと、
出久根達郎の「寅彦の文章と私」(4頁ほどの短文)が掲載されておりまして、
そこには、「柿の種」の初版と昭和17年の第八刷と岩波文庫(平成16年)と3冊を手元に置いていることを書いているのでした。
「・・三冊を手元に置き、気が向くと適当に選んだ一冊を拾い読みしているのだが、同じ文章でも本によって何だか違って読めるのである。」とはじまっているのでした。
初版では、絵入りがカラーで刷られていること、その絵の配置が文庫では白黒になり、それよりもなによりも、微妙に位置が違うことを、味わっている文なのでした。
それじゃ、というので、すっかり忘れていたワイド版岩波文庫「柿の種」を本棚から取出してみます。

文庫の解説は池内了。
ここでは、「柿の種」の自序の味わい。

「・・元来が、ほとんど同人雑誌のような俳句雑誌のために、きわめて気楽に気ままに書き流したものである。原稿の締め切りに迫った催促のはがきを受け取ってから、全く不用意に机の前へすわって、それから大急ぎで何か書く種を捜すというような場合も多かった。雑誌の読者に読ませるというよりは、東洋城や豊隆に読ませるつもりで書いたものに過ぎない。従って、身辺の些事に関するたわいもないフィロソフィーレンや、われながら幼稚な、あるいはいやみな感傷などが主なる基調をなしている。言わば書信集か、あるいは日記の断片のようなものに過ぎないのである。・・・
この書の読者への著者の願いは、なるべく心の忙(せわ)しくない、ゆっくりした余裕のある時に、一節ずつ間をおいて読んでもらいたいという事である。(昭和8年6月)」

この自序のつめの垢を煎じて、当ブログの参考にさせてもらいたいと思う高望み(うん。望みは高く)。
そうでした。この本が連載の途中で、関東大震災に遭遇しているのも思い出しておく価値があり。さりげなくも、今に、読み返す一冊となっております。
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池内了責任編集。

2011-12-04 | Weblog
東日本大震災のあとに、寺田寅彦の新しい文庫が数冊刊行されたのでした。そうだなあ、などと思っていたら、KAWADE道の手帖のシリーズで、あたらしく「寺田寅彦」が出たのでした。池内了責任編集とあります。渇きを癒す一冊となっていて、読みごたえがありそうです。と、手にもって思っております。これ、おすすめ。

どういう内容なのかは、うん。またこんど(笑)。うれしいと、調子に乗って、読むまえから、奨めたがる。これは、私の悪い癖。

とりあえず、この冊子のなかで指摘されている本2冊を、
いま、古本屋へと注文したばかり。
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つながる。

2011-12-03 | 短文紹介
昨夜、注文してあった本届く。
なかに、日垣隆著「つながる読書術」(講談社現代新書)がある。
まずは、それをパラパラと。

「立花隆著『「知」のソフトウェア』から学んだことです。損切りせねばならないと判断した最悪のバカ本でも処分する前に、1ページにつき1秒ずつでいいから、全ページをめくってみましょう。つまらないと思っても、とにかくめくるのです。もし、何か引っかかったら、そこだけ少し読んでみましょう。こうすると大きな発見が確実にニ、三ヵ所はあるものです・・・・」(p77)

別に、この新書「つながる読書術」が「バカ本」とは思っていません。けれども、「何か引っかかった」箇所の周辺を読んでいる私がおります。

その引っかかった箇所はというと、

「2011年3月11日の東日本大震災後、吉村昭さんの『三陸海岸大津波』がたくさんの人に読まれたのは、そこに新聞やテレビの情報にない本質的なことが書かれていたからです。記録文学として一級品であるばかりか、『これからどうすればよいか』を考えるうえで役に立つ示唆に富んでいます。」(p15~16)

うん。こういう気さくなご意見は、わかっていても、なかなか他の人からは聞けないものです。さりげなくも、ありがたい。

そうそう。井上ひさし著『本の運命』にでてくる、厳格な図書館員というのが、
じつは、渡部昇一氏であったことを確認しております。

「別の折、渡部昇一さんの本にも、渡部さんの上智大学大学院時代に図書館で生活(アルバイトとして)したときの話が書かれている件りに遭遇・・・図書館員として働きながれ勉強していた彼は、ある日イタズラ学生たちに大切な蔵書を隠され、館長からこっぴどく叱られたというのです。――この話はずっと後年、お二人から(もちろん別々に)直接、確認する機会がありました。」(p52~53)

ちなみに、日垣さんのイメージする図書館とは

「図書館に並んでいる本は、当たり前ですが人のものです。書き込んだり、線を引いたりという『本を使い倒す』作業ができません。これでは知的読書に結びつかないのです。Libraryは『図書館』のほかに『蔵書』『書斎』という意味もあります。」(p58)


あとは、付箋について、気になった箇所

「いま読んでいる本の中で紹介されていた文献を手に入れよう、あるいは『読みたい(かな?)』と思った箇所があれば、横に付箋を貼ります。一冊読了した時点で、横に貼られた付箋を五秒くらいで再点検し、そこで『不要』と判断しない限りは、すぐにネット書店で全部注文することにしています。たいていすぐ届くので、届いた日に読み終えてしまうのがコツです。さもなくば、どんどんたまるばかりでしょう。」(p139)

エ~ッ。すごいなあ。と読むのでした。
このあとに、こんな箇所がありました。

「私は本を購入したときに・・なぜこの本を買ったのかという理由や目的を、最初のページに書き込んでおいたり、そもそも読む本の動機をつくってくれた元の本の核当部分をコピーして挟んでおきます。こうすれば、『つながり』を忘れることなく、つきあわせて検証する――などのアクセスの時間を短くするためには、手っ取り早い方法です。
読書量が多くなればなるほど、この本をなぜ買ったか、忘れてしまって当然です。が、その『なぜ』は、とても重要なことですから、何らかの形(コピーをして本に挟むか、メモをするか)で判別できるようにすることをお奨めします。」(p140)

うん。ありがたいお奨めを読めて、何となく場当たり的にやっていたことに、規則性を持ち込めるよい機会を提案していただいた。という気分。

ちなみに、私には、この新書の通読は不可。
通読するだけで、なんとも疲れます。
パラパラ読みで、引っかかる箇所を、ひろいあげようと思い、そうしました。そんな視点で見ると、なんともこの新書、パラパラ読みの読者にも、ひっかかりやすい新書の構成となっていることに気づかされます。
最後に引用させてもらった箇所など、
これからの読書への参考になります。はい。

う~ん。ちなみに書きながらの連想なのですが。
舌切り雀のお話で、大きいツヅラと小さなツヅラの、
どちらがよいと、迫られている場面がありましたよね。
この新書から、あれもこれもと多く散りばめられた指摘を、全部取り込もうとしたら、それでもう大きなツヅラの二の舞いとなるような。そんな連想が働きます(笑)。一箇所でも二箇所でも、我が身に引き寄せられれば、宝になり、全部我が物にしようとするとガラクタとなりそう。そんな気がするのでした。

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石堂淑朗。

2011-12-02 | Weblog
朝刊に石堂淑朗氏の死亡記事。

古本3冊注文。


「偏屈老人の銀幕茫々」
「怠惰への挑発」
「日本人の敵は『日本人』だ」

以前に雑誌に連載されていたコラムで
気になる人でした。ですが、読まずにおりました。
この機会に。
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