一般に「津波てんでんこ」で知られる山下文男氏は、1924年生まれでした。
佐野眞一著「津波と原発」(講談社)で、
東日本大震災の際に、当の山下文男氏が病院の四階でカーテンにつかまって助かった。
それからの一部始終を読むことができたのでした。
それが貴重なことだと思っていたら、
今日、森健著「『つなみ』の子どもたち」(文芸春秋)がとどき、
ひらいてみると、そこに
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)の第二章「昭和八年の津波」にある「子供の眼」で登場する牧野アイさんの現在が紹介されているのでした。
牧野アイさんの尋常小学校六年の時の作文と、大人になってからの津波に対する心構えとは、「三陸海岸大津波」できわだって印象に残る箇所としてあります。
まさか、その方が現在もご健在で、森健氏が聞き取りに行くとは、思ってみないことでした。それが、この新刊で、肉声を伝えており。とりあえず、その箇所だけ拾い読み、思わず、ジーンとして本を閉じました。
佐野眞一著「津波と原発」(講談社)で、
東日本大震災の際に、当の山下文男氏が病院の四階でカーテンにつかまって助かった。
それからの一部始終を読むことができたのでした。
それが貴重なことだと思っていたら、
今日、森健著「『つなみ』の子どもたち」(文芸春秋)がとどき、
ひらいてみると、そこに
吉村昭著「三陸海岸大津波」(文春文庫)の第二章「昭和八年の津波」にある「子供の眼」で登場する牧野アイさんの現在が紹介されているのでした。
牧野アイさんの尋常小学校六年の時の作文と、大人になってからの津波に対する心構えとは、「三陸海岸大津波」できわだって印象に残る箇所としてあります。
まさか、その方が現在もご健在で、森健氏が聞き取りに行くとは、思ってみないことでした。それが、この新刊で、肉声を伝えており。とりあえず、その箇所だけ拾い読み、思わず、ジーンとして本を閉じました。