杉山平一著「希望」に、詩「処方」というのがありました。
処方
本当の心を注射して
絆創膏のように切手を貼って
送ったが
効かなかったらしい
お世辞の毒を入れてみた
元気が出てきました
と返事がきた
さてっと、ボンヤリとしていると、詩の余白に思い浮かぶのは、
杉山平一著「詩と生きるかたち」(編集工房ノア)にあるところの
「竹中郁氏の手紙」という文でした。
なあに、切手からの連想で、手紙つながり。
そこには、こんな箇所がありました。
「以後、竹中さんはお便りに、よく私の詩の欠点を指摘して下さった。大戦後でも、若い人から贈られた詩集の受取りに、欠点苦言を書き添えるといっておられた。歯に衣をきせぬそれを怨みに思った人もかなりいたらしい。」(p302)
それにしても、ふだん手紙を書かない者としては、
たまに、貼る切手はぶきっちょな感じになります。
「バンソウコウのように切手を貼って」
というのは、何だか手紙を出しているなあと思うのですが、
「お世辞の毒を入れてみた」
というのが、何だかどのようなものか、
読んでいるうちに、わからなくなってきて、
うん。毒がまわってくるようです。
もうひとつ、別の詩を。
詩集「希望」に「木の枝」というのがあります。
最初の3行は省略して
若いときは
背のびをすると
本当に高くなることがあります
読んでもいない本を
友だちの前で読んだふりをしたため
帰ってから本当に読み
少し賢くなったことがあります
うん。今年の私のブログ
休まず続けるぞ。と言っていたのに
けっこう休んでおりました。
最後まで読まずに、読もうという
希望ばかりを書いておりました。
ちょうど、師走ですが、
97歳の杉山平一氏の詩集「希望」には
「約束」という詩もありました。
約束
遠い土地からの電波に応えて
わが家のチューリップも
赤の花を着けた
北の国へ白い鶴も
翼をひろげて旅立った
仲間を連れて
忘れていた
忘れていた
私にも約束があった
応えねば
急がねば
処方
本当の心を注射して
絆創膏のように切手を貼って
送ったが
効かなかったらしい
お世辞の毒を入れてみた
元気が出てきました
と返事がきた
さてっと、ボンヤリとしていると、詩の余白に思い浮かぶのは、
杉山平一著「詩と生きるかたち」(編集工房ノア)にあるところの
「竹中郁氏の手紙」という文でした。
なあに、切手からの連想で、手紙つながり。
そこには、こんな箇所がありました。
「以後、竹中さんはお便りに、よく私の詩の欠点を指摘して下さった。大戦後でも、若い人から贈られた詩集の受取りに、欠点苦言を書き添えるといっておられた。歯に衣をきせぬそれを怨みに思った人もかなりいたらしい。」(p302)
それにしても、ふだん手紙を書かない者としては、
たまに、貼る切手はぶきっちょな感じになります。
「バンソウコウのように切手を貼って」
というのは、何だか手紙を出しているなあと思うのですが、
「お世辞の毒を入れてみた」
というのが、何だかどのようなものか、
読んでいるうちに、わからなくなってきて、
うん。毒がまわってくるようです。
もうひとつ、別の詩を。
詩集「希望」に「木の枝」というのがあります。
最初の3行は省略して
若いときは
背のびをすると
本当に高くなることがあります
読んでもいない本を
友だちの前で読んだふりをしたため
帰ってから本当に読み
少し賢くなったことがあります
うん。今年の私のブログ
休まず続けるぞ。と言っていたのに
けっこう休んでおりました。
最後まで読まずに、読もうという
希望ばかりを書いておりました。
ちょうど、師走ですが、
97歳の杉山平一氏の詩集「希望」には
「約束」という詩もありました。
約束
遠い土地からの電波に応えて
わが家のチューリップも
赤の花を着けた
北の国へ白い鶴も
翼をひろげて旅立った
仲間を連れて
忘れていた
忘れていた
私にも約束があった
応えねば
急がねば