和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

キラキラと。

2011-12-30 | 地域
KAWADE夢ムック「花森安治」に、鶴見俊輔氏の文「花森安治讃」が2ページほどで載っておりました。気になった箇所

「私が京都にきて、1週間ほどして会った梅棹忠夫は、会いに行くと、花森安治編集の雑誌『暮しの手帖』を揃えていた。家の改築を何年もかけて自分でやるのだと言った。庭に大工道具が置いてあった。」(p18)

国立民俗学博物館の「梅棹忠夫 知的先覚者の軌跡」という冊子にも、鶴見俊輔氏の文があり、それは「同時代人からみた梅棹忠夫 新しい道を照らす人」という文でした。そこには、こうあります。

「京都で梅棹の家を訪ねると、庭に工作器具が置いてあって、五ヵ月計画で、家を改造すると言う。こんな学者にはじめて会った。家の隅には『暮しの設計』が積み上げられていた。自宅の改造に役にたつと言う。」


う~ん。この「暮しの手帖」と「暮しの設計」というのは
どうなんでしょうね。
たんなる、印刷まちがいなのか。記憶ちがいなのか。

それによって、梅棹忠夫と「暮しの手帖」との接点が
ひょとして、消えてしまうことも考えられる。

まあ、それはそうと、
ここでは、加藤秀俊著「わが師わが友」(中央公論社 C・BOOKS)から、
この箇所を引用しておきましょう。

「鶴見さんは、ほとんどわたしと入れかわりに東京工大に移られたから、いっしょにいた期間はきわめて短かったが、そのあいだに、わたしに、ぜひいちど梅棹忠夫という人に会いなさい、と熱心にすすめられた。鶴見さんによると、梅棹さんという人は、じぶんで金槌やカンナを使って簡単な建具などさっさとつくってしまう人だ、あんな実践力のある人は、めったにいるものではない、というのであった。まことに失礼なようだが、鶴見さんは、およそ生活技術についてはいっこうに無頓着、かつ不器用な人だから、鶴見さんからみると、大工道具を使うことができる、ということだけで梅棹さんを評価なさっているのではないか、ずいぶん珍奇な評価だ、とわたしはおもった。金槌やカンナくらい、誰だって使える。大工道具を使えない鶴見さんのほうが、率直にいって例外だったのである。
だが、それと前後して、わたしは雑誌『思想の科学』(1954年5月号)に梅棹さんの書かれた『アマチュア思想家宣言』というエッセイを読んで、頭をガクンとなぐられたような気がした。このエッセイには、当時の梅棹さんのもっておられた、徹底的にプラグマティックな機能主義が反映されており、いわゆる『思想』を痛烈に批判する姿勢がキラキラとかがやいていた。それにもまして、わたしは梅棹さんの文体に惹かれた。この人の文章は、まず誰にでもわかるような平易なことばで書かれている。第二に、その文章はきわめて新鮮な思考を展開させている。そして、その説得力たるやおそるべきものがある。ひとことでいえば、スキがないのである。これにはおどろいた。いちど、こんな文章を書く人に会いたい、とわたしはおもった。たぶん、鶴見さんが日曜大工をひきあいに出されたのは、鶴見流の比喩であるらしいということも、『アマチュア思想家宣言』を読んだことでわかった。」(p80~81)

これから、図を描くということで、
花森安治さんと梅原忠夫さんとを比べてみたいのですが、
今日はここまで。


コメント
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