和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

岩手県の津波研究家。

2011-12-15 | Weblog
今朝の朝刊に
山下文男氏の死亡記事。
産経新聞には、津波研究家とありました。

「13日、肺炎のため死去、87歳。通夜は16日午後5時、葬儀・告別式は17日午後1時、岩手県大船渡市盛町みどり町20の1・・・・岩手県の津波研究家で、津波の時はほかの人を気にせず、てんでんばらばらに逃げろという『津波てんでんこ』という教えを広めた。3月の東日本大震災では、同県陸前高田市の病院で入院中に被災し、大船渡市の自宅も津波で全壊。昭和三陸地震津波でも被害に遭っており、『哀史 三陸大津波――歴史の教訓に学ぶ』などの著書がある。・・・」

本棚から、佐野眞一著「津波と原発」(講談社)をとりだす。

そのp53から引用していきます。

「ホテルを訪れ部屋に入ると、山下はベッドに横たわったまま『やあ佐野さん、まさかこんなところであなたに会うなんて、思いもしなかったよ』と言った。・・・・
――高田病院にも行ったんですが、メチャクチャでしたね。あんな状態の中でよく助かりましたね。
『僕はあの病院の四階に入院していたんです』
――えっ、津波は四階まできたんですか。
『津波が病室の窓から見えたとき、僕は津波災害を研究してきた者として、この津波を最後まで見届けようと決意したんです』
――津波に呑み込まれる人の顔は見ましたか。
『いや、それは見ていません。僕はインド洋津波(スマトラ沖地震津波)のビデオの解説をしていますが、あれとそっくり同じ光景でした。大木やいろいろなものが流されて、人が追いつかれて、人が巻き込まれるのは見ています』
――それを四階の病室から見ていたんですね。
『そう、それを最後まで見届けようと思った。と同時に、四階までは上がってこないだろうと思った。陸前高田は明治29年の大津波でも被害が少なかった。津波を甘く考えていたんだ、僕自身が』
・・・・・・・」

うん。これからが、読みどころなのですが、
うん。それは皆さん読んでのお楽しみ。
ということにしておきましょう。
私も追悼をこめて、読み直してみます。
コメント
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