「茨木のり子の家」を見てると、
ごく自然に、詩人と家ということを思うわけです。
すると、詩人と部屋へということで連想がひろがります。
そういえば、田村隆一の詩に、詩人の部屋というような詩があったなあ。
ということで、本棚から取り出してきて、
ありました。詩「水銀が沈んだ日」に
・・・・・
寒暖計の水銀が沈んだ日
ニューヨークのイースト・ヴィレッジにある
安アパートをぼくは訪ねて行った
階下は小さな印刷屋と法律事務所
詩人の部屋はその二階だが
タイプライターと楽譜が散らばっているだけさ
むろん 詩人の仕事部屋なんか
昔から相場がきまっている 画家や
彫刻家のアトリエなら 形の生成と消滅の
秘密をすこしは嗅ぐこともできるけれど
ここにあるのは濃いコーヒーとドライ・マルチニ
それにラッキー・ストライク
ぼくには詩人の英語が聞きとれなかったから
部屋の壁をながめていたのだ E・M・フォースターの肖像画と
オーストリアの山荘の水彩画 この詩人の眼に見える秘密なら
これだけで充分だ ヴィクトリア朝文化の遺児を自認する「個人」
とオーストリアの森と
ニューヨークの裏街と
・・・・・・・・・
うん。田村隆一の、この詩にならって、茨木のり子の家の写真を観まわしていたりします。
ところで、この「水銀が沈んだ日」は詩集「新年の手紙」にはいっておりました。詩集の装幀が池田満寿夫。
せっかくだから、このなかにある「新年の手紙(その二)」の出だし
元気ですか
毎年いつも君から『新年の手紙』をもらうので
こんどはぼくが出します
そういえば、この詩集には、家というのがよく登場しているのでした。
たとえば「詩神」。これは短いので詩全文引用
詩神
茂吉のpoesieの神さまは
浅草の観音さまと鰻の蒲焼
かれには定型という城壁があったから
雷門へ行きさえすればよかった
ぼくの神経質な神は
いつも不機嫌だ 火災保険もかけてない
小さな家と
大きな沈黙
「人間の家」という題の詩もあります。
人間の家
たぶん帰りは遅くなるだろう
おれはそう言って家を出た
おれの家は言葉でできている
古い戸棚には氷河が
浴室にはまだ見たこともない地平線が
電話かれは砂漠と時間が
うん。この「人間の家」は、もうすこし引用してみましょう。
ドアを開けたって部屋があるとはかぎらない
窓があるからといって室内があるとは言えないのだ
なんてありまして、「人間の家」の詩の最後の2行は
むろん おれの家はきみの言葉でできていない
おれの家はおれの言葉でできている
さてっと、詩集「新年の手紙」をめくってから
あらためて「茨木のり子の家」をひらきはじめる。
それはそれは、何とも贅沢な気分。
おいおい、まだ年賀はがきも書いてない癖して。
ごく自然に、詩人と家ということを思うわけです。
すると、詩人と部屋へということで連想がひろがります。
そういえば、田村隆一の詩に、詩人の部屋というような詩があったなあ。
ということで、本棚から取り出してきて、
ありました。詩「水銀が沈んだ日」に
・・・・・
寒暖計の水銀が沈んだ日
ニューヨークのイースト・ヴィレッジにある
安アパートをぼくは訪ねて行った
階下は小さな印刷屋と法律事務所
詩人の部屋はその二階だが
タイプライターと楽譜が散らばっているだけさ
むろん 詩人の仕事部屋なんか
昔から相場がきまっている 画家や
彫刻家のアトリエなら 形の生成と消滅の
秘密をすこしは嗅ぐこともできるけれど
ここにあるのは濃いコーヒーとドライ・マルチニ
それにラッキー・ストライク
ぼくには詩人の英語が聞きとれなかったから
部屋の壁をながめていたのだ E・M・フォースターの肖像画と
オーストリアの山荘の水彩画 この詩人の眼に見える秘密なら
これだけで充分だ ヴィクトリア朝文化の遺児を自認する「個人」
とオーストリアの森と
ニューヨークの裏街と
・・・・・・・・・
うん。田村隆一の、この詩にならって、茨木のり子の家の写真を観まわしていたりします。
ところで、この「水銀が沈んだ日」は詩集「新年の手紙」にはいっておりました。詩集の装幀が池田満寿夫。
せっかくだから、このなかにある「新年の手紙(その二)」の出だし
元気ですか
毎年いつも君から『新年の手紙』をもらうので
こんどはぼくが出します
そういえば、この詩集には、家というのがよく登場しているのでした。
たとえば「詩神」。これは短いので詩全文引用
詩神
茂吉のpoesieの神さまは
浅草の観音さまと鰻の蒲焼
かれには定型という城壁があったから
雷門へ行きさえすればよかった
ぼくの神経質な神は
いつも不機嫌だ 火災保険もかけてない
小さな家と
大きな沈黙
「人間の家」という題の詩もあります。
人間の家
たぶん帰りは遅くなるだろう
おれはそう言って家を出た
おれの家は言葉でできている
古い戸棚には氷河が
浴室にはまだ見たこともない地平線が
電話かれは砂漠と時間が
うん。この「人間の家」は、もうすこし引用してみましょう。
ドアを開けたって部屋があるとはかぎらない
窓があるからといって室内があるとは言えないのだ
なんてありまして、「人間の家」の詩の最後の2行は
むろん おれの家はきみの言葉でできていない
おれの家はおれの言葉でできている
さてっと、詩集「新年の手紙」をめくってから
あらためて「茨木のり子の家」をひらきはじめる。
それはそれは、何とも贅沢な気分。
おいおい、まだ年賀はがきも書いてない癖して。