和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

いらっしゃいと。

2011-12-31 | 詩歌
花森安治の「暮しの手帖」からつながって、この「茨木のり子の家」(2010年11月初版)という写真集を手にしました。
詩人の茨木のり子が亡くなったのが2006年。享年79歳。この写真集は撮影期間が2008年から2010年までとあります。
サッシではなく木枠にガラスが入った窓。あけたすぐそばに金木犀が咲いていたり、二階のやはり木組のガラス窓から下を見ると、紫陽花が咲いていたりします。庭のみかんの木。みかんの花。当時とかわらない近所の坂道の散歩道。書斎の曇りガラスは、模様が、おはじきのようなギザギザで、そのおはじきが卵型の大きさをしてガラス面をうめ尽くしている模様となっております。その窓の写真が、そのまま表紙にもなっておりました。木製で武骨な北欧の山門みたいな玄関ドア。一階の漆喰塗りの白い壁。食堂椅子は背もたれも座部も木製で、ていねいに使い古され、背は黒光りしておりました。二階の書斎の本棚も写されております。古いアルバムからの写真も。茨木さんの詩も写真の邪魔をしないように挿入されて。そこにならべられた詩は、まるで、この家からたちのぼる香りでもあるかのように読めるのでした。生前には発表されることのなかった詩集「歳月」の詩が入った箱と原稿も見ることができます。

最後には「伯母と過した週末」という宮崎治氏の2頁の文。
以下は、そこからの引用。

「茨木のり子は32歳のとき、従姉妹の建築家と一緒にこの家を設計した。施行は1958年・・・今年で築52年になるが、もしも伯母夫婦に子供がいたらこの家は間違いなく建て替えられていただろう。煙草の脂(やに)で変色した壁紙やファブリックには、長年暮らした余韻が今も色濃く残存している。・・・
門灯が灯る頃、伯母の家の呼び鈴を押すと、木製の扉の格子窓に伯母の姿が現れ、いつも【いらっしゃい】と小さな声で囁いて、暖かな空間へ招き入れてくれた。本や雑誌が山積みされた狭い階段を注意深く上ると、台所からはその都度違ったレシピの濃密な香りが漂っていた。・・・」
コメント
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