文藝別冊のKAWADE夢ムック「花森安治」。
素敵な冊子です。
クリスマスにちなんでいえば、
丸い大きなクリスマスケーキに例えたくなります。
ひとりで、全部食べようとすると、お腹をこわしそう。
まずは、すこしづつ切り分けて、食べます。
というので、読み始めたのが
鶴見俊輔の「花森安治讃」
津野海太郎の「時代の空気 ロゲルギストと花森安治」
この二つの文は、対で楽しめる内容。
津野さんの文は、花森安治をもうひとつ大きな地平線へと
置き直す試みなのじゃないかと、面白かったなあ。
次に読んだのが、
茨木のり子の「『暮しの手帖』の発想と方法」
茨木のり子さんの、この文は始めて。
読めてよかった。そこに出てくる
暮しの手帖のバックナンバーは、とりあえず買えるのを古本屋へ注文。
あと、そういえば、昨年かに出ていた写真集らしい「茨木のり子の家」というのも、古本屋へと注文することにしました。
さてっと、茨木のり子さんの文には
「淡々として抑制のききすぎたくらいなのが散文としては美しいという考えかたがこちらにあるものだから、そういう尺度からすると・・」(p134)
という箇所など、自身のことを語っていたりするので、楽しめます。
うん。古本で「茨木のり子の家」が来るのが楽しみ。
その台所を見てみたいとおもったりするのは、このムックの文によります。
家といえば、
鶴見俊輔氏の文に
「私が京都にきて、1週間ほどして会った梅棹忠夫は、会いに行くと、花森安治編集の雑誌『暮しの手帖』を揃えていた。家の改築を何年もかけて自分でやるのだと言った。庭に大工道具が置いてあった。」(p18)
これなど、茨木のり子さんの文に出てくる
「『暮しの手帖』初期の『自分で工夫して建てた家』『坪一万七千円の家』『専門家の建てた十六坪の家』それから別冊として1950年に出された『すまいの手帖』『美しい部屋の手帖』など溜息とともに何度読んだかわからない。特に1954年から19回以上にわたって連載された【台所研究】から学ばされることが多かった。それらを取捨選択し、自分たちで設計図を引き、設計家に見てもらうと何一つ訂正されずにパスした。その人に専門的なことはすべて依頼してでき上がった家である。」
そういえば、どちらも大阪出身でしたっけ?
関西と【暮しの手帖】の関係は、案外深いのでしょうか。
それにしても、大工と『暮しの手帖』が結びつくんですね。
私には知らないことばかり。
ムック冊子の最後に掲載されている
「『暮しの手帖』152冊ダイジェスト」には
昭和27年(1952)の欄に
「千葉千代吉によるカレーの作り方。作家の志賀直哉は記事を見て自作。うまくできたことを喜び、『暮しの手帖は役に立つ』と会う人ごとに宣伝。このカレーは志賀家の定番メニューとなったという。」(p215)とあったりします。
うん。楽しいクリスマスケーキは、今日はこのへんで、
いちどに食べるわけにもいきません。
素敵な冊子です。
クリスマスにちなんでいえば、
丸い大きなクリスマスケーキに例えたくなります。
ひとりで、全部食べようとすると、お腹をこわしそう。
まずは、すこしづつ切り分けて、食べます。
というので、読み始めたのが
鶴見俊輔の「花森安治讃」
津野海太郎の「時代の空気 ロゲルギストと花森安治」
この二つの文は、対で楽しめる内容。
津野さんの文は、花森安治をもうひとつ大きな地平線へと
置き直す試みなのじゃないかと、面白かったなあ。
次に読んだのが、
茨木のり子の「『暮しの手帖』の発想と方法」
茨木のり子さんの、この文は始めて。
読めてよかった。そこに出てくる
暮しの手帖のバックナンバーは、とりあえず買えるのを古本屋へ注文。
あと、そういえば、昨年かに出ていた写真集らしい「茨木のり子の家」というのも、古本屋へと注文することにしました。
さてっと、茨木のり子さんの文には
「淡々として抑制のききすぎたくらいなのが散文としては美しいという考えかたがこちらにあるものだから、そういう尺度からすると・・」(p134)
という箇所など、自身のことを語っていたりするので、楽しめます。
うん。古本で「茨木のり子の家」が来るのが楽しみ。
その台所を見てみたいとおもったりするのは、このムックの文によります。
家といえば、
鶴見俊輔氏の文に
「私が京都にきて、1週間ほどして会った梅棹忠夫は、会いに行くと、花森安治編集の雑誌『暮しの手帖』を揃えていた。家の改築を何年もかけて自分でやるのだと言った。庭に大工道具が置いてあった。」(p18)
これなど、茨木のり子さんの文に出てくる
「『暮しの手帖』初期の『自分で工夫して建てた家』『坪一万七千円の家』『専門家の建てた十六坪の家』それから別冊として1950年に出された『すまいの手帖』『美しい部屋の手帖』など溜息とともに何度読んだかわからない。特に1954年から19回以上にわたって連載された【台所研究】から学ばされることが多かった。それらを取捨選択し、自分たちで設計図を引き、設計家に見てもらうと何一つ訂正されずにパスした。その人に専門的なことはすべて依頼してでき上がった家である。」
そういえば、どちらも大阪出身でしたっけ?
関西と【暮しの手帖】の関係は、案外深いのでしょうか。
それにしても、大工と『暮しの手帖』が結びつくんですね。
私には知らないことばかり。
ムック冊子の最後に掲載されている
「『暮しの手帖』152冊ダイジェスト」には
昭和27年(1952)の欄に
「千葉千代吉によるカレーの作り方。作家の志賀直哉は記事を見て自作。うまくできたことを喜び、『暮しの手帖は役に立つ』と会う人ごとに宣伝。このカレーは志賀家の定番メニューとなったという。」(p215)とあったりします。
うん。楽しいクリスマスケーキは、今日はこのへんで、
いちどに食べるわけにもいきません。