和田浦海岸

家からは海は見えませんが、波が荒いときなどは、打ち寄せる波の音がきこえます。夏は潮風と蝉の声。

ただの『評論家』。

2011-12-18 | 短文紹介
なべさんが、このブログのコメント欄に、「一億総評論家」の本を指摘してくださいました。ありがたい。ということで、今日は、そのことについて語れます。
ちなみに、
大宅壮一氏の言葉は、ネット検索ですぐに捜せます。

テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。
— 「週刊東京」1957年2月2日号 - 大宅壮一

というのが、見つかります。
さてっと、

大宅壮一氏が、一億総白痴化と書いたのが1957年。
中西輝政氏が、一億総評論家と書いたのが2011年。

まあ、他の方が言っているかもしれず。
おおまかには、白痴化から50年たって評論化へ、
という筋道をたどれるんじゃないか。
テレビ・ラジオによる白痴化が
そこに登場する語り手による評論化へ
という道筋。
なんとも、わかりやすい。
では、あらためて、中西輝政氏の
その言葉が登場する場面を引用しておきます。
平成23年8月発売の中西輝政著「国民の覚悟」。
その最後の方にありました。

「日本には『能力のある人』はたくさんいます。
しかし、『心のない日本人』が多すぎます。
テレビのチャンネルをひねれば、竹中平蔵さんのように
ペラペラ喋れる評論家は山のようにいます。
しかし、著名人に限らずどの人も、
日本人の心をどこかに置き忘れてきたかのような、
ただの『評論家』にすぎなくなっています。
つまり【一億総評論家】になってしまっていますから、
日本のことを、その将来のことを
真剣に考えた発言や政策が出てこないのです。」(p268)


うん。このテーマは、考えさせられます。
たとえば、こうしてブログに書き込みをしている、
というのも、りっぱに一億総評論家会員であります(笑)。
コメント
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