なべさんが、このブログのコメント欄に、「一億総評論家」の本を指摘してくださいました。ありがたい。ということで、今日は、そのことについて語れます。
ちなみに、
大宅壮一氏の言葉は、ネット検索ですぐに捜せます。
テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。
— 「週刊東京」1957年2月2日号 - 大宅壮一
というのが、見つかります。
さてっと、
大宅壮一氏が、一億総白痴化と書いたのが1957年。
中西輝政氏が、一億総評論家と書いたのが2011年。
まあ、他の方が言っているかもしれず。
おおまかには、白痴化から50年たって評論化へ、
という筋道をたどれるんじゃないか。
テレビ・ラジオによる白痴化が
そこに登場する語り手による評論化へ
という道筋。
なんとも、わかりやすい。
では、あらためて、中西輝政氏の
その言葉が登場する場面を引用しておきます。
平成23年8月発売の中西輝政著「国民の覚悟」。
その最後の方にありました。
「日本には『能力のある人』はたくさんいます。
しかし、『心のない日本人』が多すぎます。
テレビのチャンネルをひねれば、竹中平蔵さんのように
ペラペラ喋れる評論家は山のようにいます。
しかし、著名人に限らずどの人も、
日本人の心をどこかに置き忘れてきたかのような、
ただの『評論家』にすぎなくなっています。
つまり【一億総評論家】になってしまっていますから、
日本のことを、その将来のことを
真剣に考えた発言や政策が出てこないのです。」(p268)
うん。このテーマは、考えさせられます。
たとえば、こうしてブログに書き込みをしている、
というのも、りっぱに一億総評論家会員であります(笑)。
ちなみに、
大宅壮一氏の言葉は、ネット検索ですぐに捜せます。
テレビに至っては、紙芝居同様、否、紙芝居以下の白痴番組が毎日ずらりと列んでいる。ラジオ、テレビという最も進歩したマスコミ機関によって、『一億総白痴化』運動が展開されていると言って好い。
— 「週刊東京」1957年2月2日号 - 大宅壮一
というのが、見つかります。
さてっと、
大宅壮一氏が、一億総白痴化と書いたのが1957年。
中西輝政氏が、一億総評論家と書いたのが2011年。
まあ、他の方が言っているかもしれず。
おおまかには、白痴化から50年たって評論化へ、
という筋道をたどれるんじゃないか。
テレビ・ラジオによる白痴化が
そこに登場する語り手による評論化へ
という道筋。
なんとも、わかりやすい。
では、あらためて、中西輝政氏の
その言葉が登場する場面を引用しておきます。
平成23年8月発売の中西輝政著「国民の覚悟」。
その最後の方にありました。
「日本には『能力のある人』はたくさんいます。
しかし、『心のない日本人』が多すぎます。
テレビのチャンネルをひねれば、竹中平蔵さんのように
ペラペラ喋れる評論家は山のようにいます。
しかし、著名人に限らずどの人も、
日本人の心をどこかに置き忘れてきたかのような、
ただの『評論家』にすぎなくなっています。
つまり【一億総評論家】になってしまっていますから、
日本のことを、その将来のことを
真剣に考えた発言や政策が出てこないのです。」(p268)
うん。このテーマは、考えさせられます。
たとえば、こうしてブログに書き込みをしている、
というのも、りっぱに一億総評論家会員であります(笑)。