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S20年生、後期高齢ゾーン、人生最終コーナー「遊行期」の
徒然残日写真録

160621 梅雨前線、大荒れの夏至。舛添元知事は晩節をけがしたのか?都庁を無言で去る!

2016年06月21日 | アフターセブンティ

 今日は夏至、湿気が高く不快指数があがった一日。昨夜から天気が大荒れ、また熊本で時間雨量150ミリの記録的大雨で死者もでた。ほんとに今年は熊本は踏んだり蹴ったりだ。近くの宝満川も急流となっている。

 

 今日づけでマスコミリンチから解放されて舛添さんは知事を辞任、誰に見送られることもなく巨大な東京都庁をあとにした。あれだけマスコミのリンチに会い都民から非難されればお別れの挨拶もくそもないわね。まあたかが2年4か月の勤務で3000万も退職金をもらえるのだからありがたいことだ。サラリーマンが3~40年ひたすら働いてえられる金額だ。

 晩節を汚すという言葉があるが67歳の舛添さんは今まで立派な業績をあげ人様から尊敬されていたのかね。そんな人ならこの言葉があたるのだがあまりそうでもなさそうだ。ウキペディアによると高校時代は陸上インタハイにでたスポーツマンで、東大法学部に合格、卒業後東大の助手になり、フランスに留学してしまった。頭はよかったのかもしれないね。帰国後東大教養学部政治学の助教授になり、フランス語のしゃべれる気鋭の政治学者のふれこみで1980年代末からTVに顔をだすようになったとある。このころから特権階級的慢心が芽生え始めていたのかもしれない。

 99年の知事選に敗れ2001年の参院選に自民公認で比例区で当選、2006年には自民の政策審議会長になっている。2007年に第一次安倍内閣の厚労大臣、そのごの福田、麻生内閣でも引き続き厚労大臣を務めたがこの辺りから慢心おごりが頂点になり自民の時代は終わったと高言、離党して新党改革の党首になり自民から総スカンをくらう。13年参院不出馬、そして14年2月、公明党の支援で東京都知事選にでてしぶしぶ自民の支援もあって当選。そして2年4か月、いろいろ支援をしてくれた公明党から突き放され力尽き辞職に追い込まれたというわけ。結局はこういうことで人間ができてなかったということだね。おごり慢心人間の結末ということか・・・

この雨のおかげで水田は美しい姿をみせてくれている。もうマスコミは次の知事候補だだれかと追っかけまわしている。政治とマスコミ、同じ穴のむじな、懲りない面々が騒いでいる。ああ・・・・


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