「らんざん」での5時半夕食までの時間を周辺の嵐山嵯峨野の神社仏閣を散策。30分圏内に建立されており、人気のコース。
渡月橋前を左折して竹林の小径を通過、蕉門十哲の一人,向井去来が結んだ庵という落柿舎(らくししゃ)をへて少し行くと豪華な唐門の二尊院につく。
紅葉の馬場といわれる参道の先に本堂。
通常浄土宗のお寺ではご本尊の阿弥陀如来の脇に勢至菩薩や観音菩薩が並んでいるが、ここではなんと脇がなく、右手に釈迦如来、左手に阿弥陀如来が並び、それゆえに二尊院という。
右手の釈迦如来は左手を下げて右手を挙げて手の平をそのまま正面にむける「施無畏の印」を結び現世の民の心の恐れを取り除くやさしく送り出す仏様。左の阿弥陀如来は普通とは全く反対に左手をあげて、右手をさげ、左手の親指と人差し指で輪を作る「来迎の印」を結び、送り出された民を西方浄土へしっかり迎えてくれる仏様。左右対称の二尊が末法の穢土で苦しむ民が心安らかに浄土にいけるよう救済するというわけである。
本堂の裏手を上がったところに浄土宗の開祖、法然の御廟があるようだが夕焼けの景観はまるで西方浄土のようだという。末法、乱世の民はこのようなこのような仏閣に心の安寧を求めたのであろう。
宿に5時頃もどりひと風呂浴びて、足腰の筋肉をほぐし、夕食の間へ。昨夜は宿坊での弁当だったが、今宵は京懐石のコース。ありがたきかなである。とりあえずは生で乾杯、しばし久しぶりの心楽しい歓談のひと時。1000年余におよぶ古都京都の神社仏閣は幾多の戦乱をへて苦しんだのは下層の民ばかりで、彼らの労苦のうえで、それぞれの文化が花開いたことを知るべきでしょう。
7時過ぎ会食を終えしばし休憩。テレビではサッカーワールドカップ。なんと、ドイツをやぶる大金星をあげた侍ジャパンがコスタリカに敗退。気分なおしに、着替えて、宿の正面にある天龍寺塔頭の宝厳院のライトアップを見に出る。
門前に「嵐山羅漢」がライトアップされ、得も言われぬ雰囲気を醸し出している。羅漢とは釈尊の弟子で悟りをえた崇高な修行者のことらしい。
その前を法厳院の僧がとおりすぎてゆく。この近辺にいると、現生と来世の間を浮遊しているような感覚におそわれる。人力車が数台、客待ちをしており、ライトアップをみてでてきた女性たちに「のりませんか」としきりに勧誘。女性たちがけらけら笑って立ち去ってゆく。絢爛たる古都京都の紅葉時期の現代の一コマである。