1972年昭和47年2月27日、今はどうなっているか定かじゃないが熊本のある式場で挙式した。今日で満47周年となる。その年は日朝友好議員連盟13人が平壌を訪問。今日はくしくもベトナムで2回目の米朝会談が行われようとしておりマスコミはハノイ報道一辺倒。日本列島改造論の田中内閣が成立。浅間山荘事件、SLブームや喝采、瀬戸の花嫁などのヒット曲。そういえば披露宴では女性陣が瀬戸の花嫁を合唱していました。そんな47年前でした。現役時代は26か27日かよく間違えたり忘却したり、いろいろありました。
が、きのう、きょうと何やかや忙しくて、ゆったりと結婚記念日という感じじゃなかったですね。
昨日は妻からやいやい言われていた孫娘のためのひな壇づくりを急きょ実施。ひな壇を組み立てて、ひ毛氈をかぶせて、ひな人形他をテーブルにだして、11時過ぎあわてて、いつもの駐車場に止て太宰府天満宮へ。博多芸妓衆の徒歩参りとそのあとの九博ホールでの公演撮影に出かけたという次第。
(飛梅の反対側の皇后梅、満開)
我ながら2月は結構あちこちと動いたものと感心。長崎ランタンフェスティバル、梅とモデルの撮影会、宮地嶽神社光の道、そして博多芸妓衆。ばたばたするばかりでこれぞという作品は?だが、バタバタする酉年の性分はどうしようもないようだ。博多券番の芸妓さんの徒歩での太宰府天満宮参り、恒例になって観衆は増える一方。とくにジジババアマチュアカメラマンの増加が著しい。かくいう私もその一人だが。事前のロケハン。絵馬堂のあたりから太鼓橋をわたる芸妓衆を狙う。ただし芸妓さんにつきまとう先ほどのジジババさんに邪魔されたらおしまい。
ラッキー、なんとか写せた。ただし追っかけを隠すため大部トリミングをしました。
楼門や本殿前の地上部分ではほとんど邪魔されてダメでしたね。待機型はだめで人の前に出るしか撮れない。その1枚が上の写真。参拝が終わったら九博に移動。
また追っかけ。最近は九博スタッフさんのご配慮で撮影機会を提供していただくようになった。
(低速シャッターで)
九博への連絡トンネルにむかう芸妓衆を撮る。13時開場、公演は13時半。車にもどり昼食弁当。12時50分、ホール前にもどる。すでに数十人の待機組、行列。イヤハヤ、楽してたら良い席はとれないということ。真ん中にすわったらやばいということでサイドをさがす。なんと最前列の右端が1席アキ、ラッキーでしたね。
あでやかに華麗に舞踊がはじまる。裾さばきが見事。バチバチ撮りまくり。
目の前の三味線の音色が粋に伝わってくる。博多の旦那衆や政財界のお偉方は夜な夜なこのようなキレイどころを呼んで楽しんでいるのかしらね。
一部、二部20分づつの公演、楽しませていただきした。ありがとうございました。梅が枝餅を3つお土産に買って帰宅。お雛さんを飾る予定でしたが妻がきれいに飾ってくれていました。まあすべからくきっちりしているベターワイフなのであります。
そして今日は午前中、娘がやってきて、いつものディスカウントスーパーへ買い物に妻と3人で、私が運転手をつとめて、その後、金龍ラーメンの昼食をへて、そしてスパゲッティ&サラダ&ワインの結婚記念日夕食とあいなった次第。
ずっと福岡から離れて仕事をしていた息子夫婦が急きょ、まったく予想していなかった福岡への転勤が決まり、先日、大濠公園近くの賃貸マンションの仮契約を完了。何年こちらにいるのか定かではないが激烈な薬品業界だからね。妻も私も今のところ大病もなく過ごせていることは大変有難く、感謝感謝の47周年であります。「生老病死」。二人に一人は癌にかかるという時代、これからどうなるかわかりませんが、すこしでも人様へお役にたてるべく生きてゆきたいものであります・・・・