この日のコンサートに何故に訪れたかと言うと大きく三つの理由がありました。
一つめの理由は、読響の演奏会だからです。
日本のオーケストラでトップ3の呼び声の高いN響、読響、都響のうち読響だけを聴く機会にこれまで恵まれなかった。
だから、演奏を聴きたかった、と言う事です。
二つめは指揮者が下野竜也氏であるからです。
昨年は、4月に音楽監督をされている広島ウインドオーケストラの東京公演、6月にNHK交響楽団の定期公演(ホルストの「惑星」がメインの曲でした。)と2度ほど下野氏の指揮で演奏を聴かせて頂きました。
いずれのコンサートも、非常に記憶に残る演奏会でしたので、今回も下野氏の指揮が楽しみです。
三つめ、これが最大の理由ですが、ラヴェルの編曲以外で「フルオーケストラ」の“展覧会の絵”が聴けるからです。
以前、NHKの教育テレビ(だったと思う…)で他の作曲家が編曲したオーケストラ版“展覧会の絵”を少しだけ聴いたことがあります。(この時の編曲者は残念ながら忘れてしまいました。曲の冒頭「プロムナード」が弦楽合奏で始まったのには非常に興味を惹かれましたね。)
恥ずかしながら、編曲者のヘンリー・ウッドのことはよく知りませんが、どんな編曲なのか、非常に“興味津々”でございます…。
2014年(平成26年)1月19日、日曜日。
場所は、横浜みなとみらいホール(大ホール)です。
本当は、全く同じプログラムで前日の18日に東京芸術劇場(自宅の浦和や都内の職場からも近いので)でのコンサートの方に行きたかったのですが、仕事のため、横浜遠征となった次第です。
今回は予算の問題もあるのですが、行きなれた“みなとみらいホール”で初めて3階席に挑戦してみました。
どのように聴こえるかが楽しみです。
演奏前に指揮者の下野竜也氏がステージに現れ、楽曲の解説をして下さいました。
さあ、みなとみらいホール独特の開演を知らせる“ドラの音(ね)”がホール内に鳴り響いています。
いよいよ、コンサートの始まりです。
[演奏]読売日本交響楽団
[指揮]下野 竜也(首席客演指揮者)
[コンサートマスター]デヴィッド・ノーラン(ゲスト)
◆ 前奏曲とフーガ BMV545 (J.S.バッハ/arr. A.オネゲル)
◆ 「おお人よ、汝の罪の大いなるを嘆け」BMV622 (J.S.バッハ/arr. M.レーガー)
◆ ジーク風フーガBMV.577 (J.S.バッハ/arr. G.ホルスト)
◆ シャコンヌBMV.1004 (J.S.バッハ/arr. J.ラフ)
〔休憩〕
◆ 組曲〈展覧会の絵〉 (M.ムソルグスキー/arr. H.ウッド)
Ⅰ.Promenade
Ⅱ.Gnomus
Ⅲ.ⅡVecchio Castello
Ⅳ.Les Tuileries
Ⅴ.Bydlo
Ⅵ.Ballet of the Unhatched Chicks
Ⅶ.Samuel Goldenberg and Schmuyle
Ⅷ.The Market at Limoges
Ⅸ.Catacombs(Sepulcrum romanum)-Cum mortuis in lingua mortua
Ⅹ.The Hut on Hen’s Legs(Baba Yaga)
?.The Great Gate of Kiev
前半は、オール、バッハです。
シブイ選曲です。
しかも、いろいろな時代の著名な作曲家が編曲している作品です。
もともと、オルガンやチェンバロのために作られた曲を時代や各作曲家の個性で見事に表現されており、楽しく聴かせて頂きました。
まずはオネゲルの編曲です。
オネゲルと言えば、俗に言う“フランス6人組”の中に数えられる著名な作曲家です。
20世紀前半に活躍されただけあって、ダイナミックなオーケストレーションは、なぜか妙にバッハの音楽にマッチしていて、非常に面白く感じました。
新しい“発見”に出会ったような気がしましたね。
次の曲のアレンジャーは、マックス・レーガーです。
後期ロマン派に属するドイツの作曲家です。
マーラー、リヒャルト・シュトラウスといった作曲家とほぼ同年代の方で、もともとはオルガン曲で評価を得た作曲家のようです。(ちなみにラフマニノフとは同い年みたいです。)
今回演奏された曲は、バッハの作品を見事な弦楽合奏曲にアレンジしたものでした。
重厚なロマン派の弦楽合奏が心に沁み入り、バッハの世界とは趣の違う優れた作品に仕上がっていたように思います。
ステキでした…。
3番目の曲は、ご存知、ホルストの編曲です。
プログラムの解説によると“ジーク”とはイギリス諸島起源のリズムの“様式”なんだそうです。
その影響もあるのでしょうけど、何かバッハの音楽がホルスト特有のイギリス民謡みたいに聴こえてくるんですよねぇ。
不思議です。
最初は、チェロから始まってビオラ、ヴァイオリンとソロが受け継がれていきます。
徐々に楽器が増えて、tuttiになる頃には、バッハでありながら、ホルストの世界が満載ですね。
楽しめました。
前半、最後の曲は、J.ラフの編曲です。
私は音楽史に詳しいわけではありませんので、恥ずかしながら、ラフという人物を存じ上げませんでした。(リストのお弟子さんであったようですね。)
近年、再評価されつつある作曲家です。
また、このラフが編曲した(この日、演奏された)「シャコンヌ」は、前の3曲がオルガン曲であったのに対して、ヴァイオリンの曲です。
ロマン派の作曲家らしく、スケールの大きいダイナミックな曲になっていました。
前半が終わりました。
オール・バッハという、なかなか粋なプログラムには個人的には大満足でした。
共通するバッハの旋律を使いながらも、しっかりと各々の個性を出した音楽に完成させている。
さすが、それぞれの時代を代表する作曲家の皆さんです。
と同時に、読響も、それぞれの編曲者の“独自の世界”を十分に具現化した演奏で、大いに楽しませて頂きました。
また、危惧していた“3階席”の心配は杞憂に終わりました。
程良く響いていて、聴き辛く感じませんでした。
ただ、視覚的な不満は残りますが…。
さて、後半は、ヘンリー・ウッド編曲の「展覧会の絵」です。
サー・ヘンリー・ウッド(1869~1944)は、19世紀から20世紀に活躍したイギリスの指揮者です。
現在「BBCプロムス」として名高いプロムナードコンサート(初回は1895年)の指揮者として指名されたことから、彼の将来が開けていきます。
様々な部分でイギリスクラシック界に一石を投じて来たウッドでしたが、編曲者としての一面も持っていました。
古いバッハやヘンデルの曲を近代的なオーケストレーションで編曲し、ある意味“蘇らせた”ことが多々あったようです。
ちなみに今回のコンサートで演奏されたのは、時間的にいうとラヴェルより以前の編曲なのだそうです。
さあ、演奏が始まります。
どんな編曲なのでしょう?
やっぱり、最初のプロムナードのメロディは弦楽合奏かな?
なんぞと空想を膨らませながら、待っておりました。
すると…。
出だし、ある意味、予想外でした…。
ラヴェル版だとトランペットソロですが…。
あれ、同じ金管楽器で曲が始まりました…、しかも、多分、舞台上の全ての金管楽器が演奏している金管合奏です。
しかし、ラヴェルを聴きなれている身からしても、新鮮な感じこそすれ、違和感はなかった。
それ以降も、ラヴェルとは違う感じで興味深かった。
特に「古城」のサックスソロ(ラヴェル版)が、バンダでユーホニウムソロとトランペットソロになっていたのが面白かった。
若干、違う雰囲気なのだけれど、共通する“時間”を感じました。
それと全般的にラヴェル版より、打楽器が使用されていたような。(それが故に多少、音量的に大げさに感じた部分もありました…。)
ラヴェル版は完成度が高く、メロディに合わせて、華やかさや素朴さを兼ね備えた名編曲だと思います。
だからこそ、「展覧会の絵」と言えば、誰もが“ラヴェル”と連想するんじゃないでしょうか?
それと比較して、ウッド版は“新しさ”を強く感じました。
もちろん、聴き慣れてないから、そう思う部分もあるかもしれませんが、僅か数年の違いとは言え、とてもラヴェル版以前の編曲とは思えない。
より現代に近い感性を感じた次第。
是非、もう一度聴いてみたい編曲でした。
読響も素晴らしかった。
表現力が豊かだし、ヘンな表現かもしれませんが、初めて聴く曲を観客にわかりやすく“咀嚼”して聴かせてくれたように感じました。
次回は、じっくりと、ブルックナーやマーラーとかの交響曲を聴いてみたいオーケストラでした。
それにしても、マエストロ下野の指揮はキレイですね。
私は指揮の事は、全くわかりませんが、素人目から見てもカッコイイ。
ステキな音楽が聴こえて来そうな指揮でした。(実際、そのとおりでした。)
曲が終わり、盛大な拍手が長く、続いています。
そのうち、下野氏の「帰っちゃだめよ」の掛け声とともにアンコールの演奏です。
アンコールまでバッハです。
実に興味深い演奏会でした。
聴き慣れた楽曲をいい演奏でじっくりと聴くのも良いけれど、こういう変わった形の楽曲を聴くのも楽しいものです。
豊かな気持ちになって、家路を急ぐ浦和のオヤジでした…。
(演奏会から、ずいぶん時間が経ってしまいました…。スミマセン。)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます