中日ビル・半世紀あまりの歴史に幕

2019年03月28日 | 日記
中部日本ビルディング、通称は、中日ビル。
1966年に開業した中日ビル。半世紀以上名古屋の顔として市民に親しまれてきました。






ビルが老朽化に加え、耐震性の問題から2019年3月末をもって閉館し、2020年代半ばに新ビルを建設することを中日新聞社と中日ビルが共同発表した。これに伴い「中日劇場」を2018年3月25日に閉鎖したが、新ビルには劇場を設けない方針とのこと。「中日文化センター」は2018年10月に久屋中日ビルに仮移転した。

名古屋を代表する繁華街、栄のほぼ中心部の久屋大通と広小路通が交差する場所に位置し、待ち合わせスポットとしても利用されることが多い。
懐かしい思い出多い中日ビル。

昭和57年11月優勝パレード後、中日ビル2Fバルコニーより近藤監督の優勝あいさつ。

平成11年11月優勝パレード終点、中日ビル2Fバルコニーより星野監督は力強くファンに優勝報告した。

どちらもものすごい人でごった返してたのを思い出される。

1階ロビーは近年は中日ドラゴンズの試合のパブリックビューイング会場としても定着し、2007年日本一決定時にはビル内に入りきれなかった人が集まった。




屋上には回転レストラン🍴や屋上ビアガーデン🍺などビル開業時は時代の最先端のオフィスビルでした。
特に回転レストラン「バルーン」(1966年4月開店)には憧れ、一度は行ってみたいと子供ながら思ってました。

結局一度も行けず仕舞いでした…。

B2F~3Fフロアは中日ビルタウン通称チュータン。

グルメ、ファッション、雑貨など名古屋の発信地であった。

5Fの中日パレスは結婚式場や会議場に使われた。中日ドラゴンズ新人選手の入団会見もここで行われていた。

個人的には昔からの友人の結婚披露宴に招かれた為、一度きり行きました。

6Fにあった中日ドラゴンズ球団事務所もお役目を果たし、今はひっそりとしていました。

ここで多くの中日ドラゴンズに入団した選手のドラマがありました。


一時代の終わりを感じざる負えません・・・。






最新の画像もっと見る

コメントを投稿