宝石ざくざく◇ほらあなJournal3

ロシア語をはじめ、外国語学習に関するあれこれを書いておりましたが、最近は…?

年齢問題

2015年10月14日 | 日常の記録
前回の記事で、自分の年齢を書いた後、
「ああ、せっかく初めてこのブログを見てくださった方に、退かれてしまったのではないだろうか…」
と、気になってきた。

1990年にあの文章を書いていた中野翠さんも似たような年頃だったんですけどねー。
書評家の豊崎由美さんは、そこで書かなくてもというところでも自分の年齢をちょくちょく書いている印象だけど。

数年前、外国語作文添削交流サイトのLang-8を利用して、3回ぐらいロシア語作文を投稿したことがあって、
すぐに添削とコメントがついたのは嬉しかったんだけれど、
「ああ、私の実年齢を知ったら退かれるだろうなー」
とも、ちょっと思った。
ロシアの人はそんなことないのかな?
添削してくれたのはたぶん若い世代の人たちで、
「日本のカワイイ女の子がつたないながらも一生懸命ロシア語を書いてくれてる!」
というイメージを持たれてしまったような…コメントの印象から、なんとなくそんな気がしてならない。

そして思い出したのが、上記とは別方向だけど「おかあさん」問題。
先日のビートラム(富山城址公園で開催された音楽フェス)で、屋台の前で買うかどうか迷いながら(私は迷う時間が長い)立っていたところ、
「そこのおかあさん、注文聞きました?」
てな感じで、屋台のお兄さんから声をかけられたのだった。

複数の人が立っていたので区別するための呼称だと思うし、家族連れで来ている人も多かったし、その時の私は天候の変化を考えてつば広の帽子をかぶっていたので、ひときわマダムっぽく見えたのかも(?)しれないし、よくある「オバサン邪魔」みたいなイヤな感じじゃ全然なく、接客としては普通だと思うのだけれど。

なんともいえず複雑な気持ちに。
音楽を愛するココロは、隣にいた若い女の子たちと同じなのに、外見はやっぱり違ってみえるんだな、という寂しさもあり。
一方、実際のところ私は子供もおらず結婚もしていなくて経験値の少なさがコンプレックスだったりするんだけど、ちゃんと年相応のおかあさんをやっている社会人にみえるんだーという意味では嬉しかったりもする。

トシは関係ないという考えもあるけど、私は人を知るうえで年齢は結構重要なファクターだと思っている。やっぱりどの年齢でどの時代の空気にじかに触れていたかで人は違ってくると思うので。

が、また一方で年齢という概念を忘れてしまうときもある。
また振り返ってしまいますが、先日の田島貴男さんは年齢というものを超越していた!
というか、実年齢50手前の人の動きでは絶対、ない(笑)
(あー動きのことばかり書いていたけど、声の伸びやかさにもカンドーしたのだった)

私もジョギングはじめようかなー
・・・
などと年齢問題は結論づけられないのでこれにて。

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