真実と幻想と創価学会

創価学会について色々書いています。ほぼ毎週日曜更新。

聖教新聞より 2015.04.12

2015-04-12 17:03:12 | 創価学会問題

本日は統一地方選挙ですね。

このブログをご覧の方々などは当然選挙の重要性を分かっておられることでしょうから心配はありませんが、もしまだ投票に行っていないという方がいれば、是非投票所に足を運んで下さいね。

さて、今日はいつもと趣向を変えて聖教新聞(聖教オンライン)の内容をご紹介。

私は当然聖教新聞を購読していないので、聖教オンラインで読める部分に限りますがw

大勝利さんの「一面だけは読んでやる」や、いつもコメントくださるミルフィーユさんの聖教レポートに触発されたわけです、ハイ。

聖教オンラインは左の欄のブックマーク集にもありますので、興味のある方はそちらからどうぞ。

詳しい一面記事は大勝利さんのブログやミルフィーユさんのコメントにある通りなので置いといて、これまたアンチに突っ込まれることの多い「寸鉄」を見てみましょう。

創価の人間革命の実践に調和の社会導く方途が―博士(ハーバード)。平和の連帯(スクラム)は磐石。

御聖訓「始より終りまで弥(いよいよ)信心をいたすべし」。誓いは果たしてこそ誓い

鉄の意志を持つ限り逆境も好機に―大統領(マンデラ)。絶対勝利の祈りで人生を飾れ

他2編・・・防災と地方選に関する言葉。

というわけで、( )の中がフリガナなワケですが、相変わらずフリガナの使い方が独特で秀逸ですね。読者に理解を甘えすぎなんじゃないですかw

一番目のハーバードの博士って誰でしょうね?ハーバードには大学が一つしかないわけではないので、日本人がハーバードと言われて思うあの世界的に有名な工科大学とは限りませんね。

二番目の「誓いは果たしてこそ誓い」とは如何にも創価らしい。努力の過程は認めず、達成された成果しか価値がないと。失敗や目的に向かって歩いた過程にこそ人間を成長させる価値は凝縮されているものですが、そんな人間的な成長は学会には必要ない、ということですね。

三番目。マンデラ大統領を折伏してから言え。

聖教オンラインをあまりじっくり巡ってみたことはないのですが、面白いコーナーがありました。

「暮らし・教育」のというカテゴリの中に「〈暮らしのアンテナ〉きょうのテーマは『ビジネスマナー』〈下〉」[2015年3月30日]というコーナーでビジネスマナーについて解説してあります。

社会人になったら「学生言葉」を卒業しようとか、そんな感じの普通の内容です。

その中で「アポイントを取って他社へ」という内容がありまして・・・。

他社を訪問する際は、アポイントを取ってから伺うようにしましょう。突然訪ねるのは相手に迷惑です。

・・・って、おまいう、みたいなw

他社と同志は違うってか。

いいですか、親しき中にも礼儀あり。

他社にしてはいけないことは、同志にもしてはいけないんですよ。分かりましたね?

一面に目を戻してみると、

偉大な人間だからこそ、
卑小な人間に妬まれる。
諸君は「妬む人」ではなく、
「妬まれる人」になってもらいたい。

と名誉会長の言葉としてこのような一文がありました。

相変わらず「らしい」言葉です。自分が偉大だから卑小な人間に妬まれているんだと言いたいんですね。ええ、分かりますとも。

しかし、真に偉大な人間は卑小な人間にも「妬まれ」たりしないものです。どのような功績や境遇をもってして「偉大な人間」と言っているのか分かりませんが、妬まれるのはそれだけの人間性だというものです。

もっと言えば、多少偉大性に劣っていたとしても、誰からも妬まれないような人間の方が魅力的ではありませんか。

「卑小な人間」と他者を見下し蔑んでいるから「妬まれている」とあたかも相手が悪いかのように感じるのです。自分が被害者であるかのように。これが創価の選民意識の現われでもあります。

他者は自分の鏡であると、よく言うでしょう。「卑小な妬む人間」こそが自分の人間性であると評しているようなものです。

まず省みるべきはそんな自分の卑しい心なのではないでしょうか。

それにしてもバリ活さんたちは、よくこんな不愉快な記事を読んで疑問も抱かず喜んでいられるものですな。相変わらずスゲーですよ、ホント・・・。