久々の軽井沢での仕事を終え、サンピアへ直行する道中、頭の中で突然
流れだした Merezco
家に帰りyoutubeで聴きかえしてみると、やはりいい。
次の Pregúntale al polvoも。
最近ラジオから聞こえてくる、わが国期待の、今注目されてるという歌の子供っぽさと
聞き覚えのある雰囲気に、やや失望気味の私にはこちらの方が刺激的。
復興相不適切発言 今村雅弘復興相辞任へ 震災「東北で良かった」発言で更迭
産経新聞 4/25(火) 20:43配信
昨年8月に発足した第3次安倍再改造内閣で閣僚が辞任するのは初めて。平成24年発足の第2次安倍内閣以降では、昨年1月の甘利明前経済再生担当相以来、今村氏で5人目。
今村氏は25日、所属する自民党二階派のパーティーで講演し、東日本大震災の被害に関し「まだ東北で、あっちの方だったから良かった。首都圏に近かったりすると、莫大(ばくだい)な、甚大な額になった」と述べた。
今村氏は講演後、記者団に「私の大変不適切な発言で皆さんを大変傷つけたことを深く反省し、おわび申し上げる」と語った。
パーティーに出席した首相は「東北の方々を傷つける極めて不適切な発言だ。首相としておわびをさせていただきたい」と不快感を示していた。
今村氏は4日の記者会見で、東京電力福島第1原発事故に伴う自主避難者の帰還について「自己責任」との認識を示し、謝罪、撤回したばかりだった。
今村氏の発言に対しては、野党だけでなく公明党も辞任を求めた。政府は今村氏を続投させた場合、国会審議が停滞し、共謀罪の構成要件を厳格化した「テロ等準備罪」を新設する組織犯罪処罰法改正案などの成立が危ういと判断した。
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この先生の人としての復興もだが、もはやヒトラーと同盟関係にあった旧日本と同様に
武力を振りかざすトランプに媚を売り、世界唯一の被爆国日本の政府とは言い難くなった
日本の政治の復興も急務だ。
「われわれは諦めない」 辺野古護岸工事でゲート前市民
琉球新報 4/25(火) 10:27配信
集まった市民はゲート前で肩を組んで歌を歌い、新基地建設阻止の思いをあらためて決意した。「これから工事が止められなくなるわけではない」として、今後も声を上げ続けることを確認した。通常午前9時ごろからゲートに進入する工事車両の搬入はなかった。
朝からゲート前で座り込みをしている富樫守さん(75)=旧姓・渡嘉敷、読谷村=は「いてもたってもいられず、昨日から辺野古に来ている。砕石の投入は長い工事過程のうち、一つの節目だと思うが、これからも抗議を続けていきたい」と話した。「辺野古の問題は沖縄だけの問題でなく、全国の問題だ。多くの人がゲート前に来てほしい」と呼び掛けた。【琉球新報電子版】
辺野古にも日本人の生活の場があるのに、それを完全に無視する政府を支持する理由は
もはやどこにも無い!
辺野古、25日に埋め立て開始 予定地の護岸造成
朝日新聞デジタル 4/25(火) 0:31配信
米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の移設計画で、政府は25日、名護市辺野古の沿岸部を埋め立てる護岸工事を始める。日米両政府が普天間返還に合意してから21年。辺野古に大量の石材や土砂が投じられれば原状回復は難しくなり、大きな節目となる。沖縄側は強く反発することが予想される。
沖縄防衛局は、まずは辺野古の埋め立て予定地の外側を囲む護岸を造り、新たに建設する飛行場の一部とする。波の状況などによっては開始がずれる可能性もある。工事が順調に進めば、年度内にも堤防の内側に土砂を投入し、本格的な埋め立てを始め、埋め立てについては5年間での完了を目指す。
普天間移設計画を巡っては、安倍政権と沖縄県の翁長(おなが)雄志(たけし)知事が激しく対立。翁長知事は2015年10月に前知事による埋め立て承認を取り消したが、昨年12月の最高裁判決で敗訴。防衛局は辺野古での工事を再開させ、海に土砂が広がるのを防ぐ汚濁防止膜設置を今月14日までに終え、石材の搬入など準備作業を進めていた。
政府関係者によると、23日投開票のうるま市長選への影響を避けるため、工事開始のタイミングを計っていたが、政権が支援する現職が勝利し、着工の環境が整ったと判断した。
一方、翁長知事は対抗策として、工事差し止め訴訟や埋め立て承認の撤回、県民の民意を改めて示す「県民投票」の可能性を模索している。(山下龍一)
朝日新聞社
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アメリカにNO!と言えない腰抜け首相の為に
騒音被害と北の標的が
普天間から辺野古に移動しただけのこと。
爆笑問題のHO氏が板金職人として何かの技能賞をもらったようで、人が大勢
集まっていました。で、私も職人の端くれみたいで、HO氏の作った雨樋を
見ようと屋根の上に上がろうとすると、後から続々と屋根の上に見学者が
上がってきて、10人以上は居ました。しかし、雨樋を見るとそれは陶器で作られていて、
中には固定に使っているものなのか、太目の番線が曲げて納められていて、陶器の
雨樋もその部分だけは番線を通すための溝が刻まれていました。
いくら夢とはいえ、雨樋を陶器で作るという発想はどこから来たのだろう?