築地市場の閉場。
都議会に送っていただき、1年と少しですが、築地市場を守れなかったことへの悔しさとやるせない気持ちです。
都議になる前から、築地市場で働く方々、築地市場に仕入れに行っている飲食店のみなさんの思いに接してきたこと、そして築地市場に海産物を届けている産地のみなさんの思いがこうした思いにさせているのだと思います。
陸前高田市の藤倉泰治市議が、町田にきて演説してくださった内容は本当に胸を打つものでした。(参考:「「築地が失われることは、被災地にとって耐え難いこと」──東京町田と被災地とつなぐ」)
「三陸地方では、東日本大震災から復興するために一生懸命やってきた。その中心が水産業で、陸前高田でも毎朝、暗いうちから船を出して、豊かで新鮮な海産物、牡蠣やホタテ、ワカメをとって築地に直送している。築地を通して、みなさんのところに届くことを誇りにしている。築地が失われることは、被災地にとって耐え難いこと。池川さんには、被災地と東京都をつなぐために、何としても被災地の代表として、築地ブランドを守るためにがんばってほしい」
築地ブランドとはなんだろう? と考える機会がありました。築地で働き、築地とか変わってきた方々からすれば、それは「生き方」そのもので、私のような築地について聞きかじったような素人の想像力では及ばないほどかけがえのないものだと思います。
これも、以前に紹介しましたが、築地を客観的に見たときの位置を示すものとして、「シャネル社長が「豊洲移転」に異議唱える理由銀座の魅力は築地によって保たれている」(東洋経済ONLINE 2017年05月16日)という記事がその一つの回答となっていると思います。
築地市場を移転すれば、銀座だけでなく、東京、さらには日本のイメージを破壊しかねないと考えています。築地を移転するなんて、ノートルダム大聖堂をパリからリヨンに移すのと同じくらいバカげています。
築地には多くの日本的な価値があります。築地は日本という国を最高の形で、なおかつ「生」で見せることができる場所なのです。技術、品質へのこだわり、伝統、人々の絆、味覚、美学――そうしたものがあそこには詰まっているのです。
銀座のアイデンティティはまさしく築地のような場所と、シャネルのビルや、歌舞伎座のような場所との間にある「緊張関係」によって生まれているのです。築地のように、銀座を銀座たらしめている場所がなくなってしまったら、どうなってしまうでしょうか。
日本食が追加されたことも忘れてはいけません。築地を正当に導くことによって、東京に住む未来の世代の人たちや世界にとって、築地が最高のレガシーとなるときがくるでしょう。
あらゆるものがそこには詰まっているのです。
築地市場に海産物を直送している人たちの思いも受け止め、引き続き奮闘していきます。
被災地の方から「毎朝、暗いうちから船を出して、豊かで新鮮な海産物、牡蠣やホタテ、ワカメをとって築地に直送している。築地を通して、みなさんのところに届くことを誇りにしている。築地が失われることは、被災地にとって耐え難いこと」。これが築地ブランドです。 https://t.co/1vQ1CrX7aL
— 池川友一 (@u1_ikegawa) 2018年10月6日
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