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lotus type46 乗りのブログです.今年は走りまくります~(の予定).

雑感

2005年11月07日 20時42分01秒 | type46
車が大好きな親のもとに生まれ、スーパーカー全盛期に小学生時代を過ごし、中学生時代は日産車の改造車に憧れ、高校生時代はCARBOYを読み漁って、兄が廃車にした車をバラバラに分解していた。
大学に入ってからバイトに明け暮れ、一発免許を十回以上受けてやっと普通免許を取った。
最初は箱スカのGT-X・2枚ドア。すぐに崖から落ちて廃車にした。この時、生まれて初めて救急車に乗ることになった。しばらく、原付きに戻って、ココロに余裕が出てきたので、箱スカの4枚ドアのGT-Rを探して回った。何台か実際にみたが、完調の個体が無く、維持するのが大変に思えたので、現代の車で気に入る車を探してみた。その車がAE86レビン・アペックス・2枚ドアであった。
峠はすぐそこにあり、意味もなく夜に走りに行っていた。しばらくして、足回りとブレーキを良くしたくて、店を探して訪れてみた。KP61 EP71 のスターレットや、ダルマセリカ、VR-4、AE92、ランタボなどいたが、車よりも店長の恐さと奥さんの綺麗さに驚いていた。今でもある「ファントム」という店である。
そのころ、関東に86乗りでスゴイ奴がいるということで見たビデオには、土屋圭市さんが出ていた。家にはビデオデッキがなく、店で「おお~」と言いながら小さな画面で見ていたことを覚えている。
その頃が一番速く車を走らせていたと思う。夜のタイムアタック、夜の草ラリー、サーキット走行等など…。けっして他人より速かったわけではなく、自分の人生のなかで一生懸命走っていた。
走り終えたあとに赤く透けてみえるエキマニ。エンジンルーム内のゴムが焦げる臭い。たまに炎を上げたブレーキパッド。溶けるタイヤ。手が切れるマカロニ・スパイクピン。切れやすいヘッドライトバルブ…。何も意味もなく走り、普通に受け入れていた。
タイヤをセミレーシングのタイプDに換え、ショックアブソーバーをビルシュタインに換え、ブレーキパッドをウィンマックスに換え、クスコの4ピニのLSDを組み込んだだけの86だった。

兄の廃車のエンジンを降ろすときも、最初の箱スカを探すときも、それを解体屋へ運ぶときも、86でサイドブレーキターンの練習をするときも、親父が横にいてくれた。今、思うと、自分に同じことができるだろうかと考えてしまう。

その後、東京へ行くことが決まり、86を売って電車の生活がしばらく続いた。