霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

念仏奉仕団(9:京都観光)

2018-04-20 23:41:28 | 思い出すまま
二日間の奉仕作業も無事に終了し、団旗のペナントリボンが一つ加えられました。
さあ、みんな楽しみの京都観光です。清水寺をはじめ有名な神社を巡りましたが、中でも三十三間堂の1001体の千手観音はありがたがられていました。
疲れたのでしょう、せっかくの名所なのにバスを降りない人も出てきて勿体ないと思いました。
お土産品はあちこちで買ってましたが、いよいよ最後の京都タワーでは心残りのないよう、土産品を選んだり楽しんでいました。私も藤の花の簪を2つ新京極で買ったのを覚えているのですが、誰にあげたのかが思い出せません。
観光も終わり、疲れた皆を待っているのは夜行列車の長旅です。もう一踏ん張りです。

ヒトは強いのか

2018-04-19 21:24:15 | つぶやき
もし、人間がジャングルやサバンナに置き去りにされたら、おそらく一晩も生き延びることは難しいでしょう。それほどヒトは弱い存在です。近い共通の祖先を持つヒヒは今もライオン等に捕食されています。それも可愛い子供が真っ先に狙われるという悲惨な現実です。
ヒトが圧倒的に強いのは、蟻が象やライオンを倒すように群れが組織体として動けるからでしょう。それは鰯の群れのように逃げるだけではダメで、攻撃する群れでなければなりません。
それにプラスして経験の積み重ねを伝承出来たことで頂点に立てたと考えます。脳の発達だけではダメなことは「猿の惑星」が暗示しています。文明が破壊され言葉すらリセットされた人間は、この映画のように何もできないでしょう。
あと自然の決定事項として「寿命」と「進化」があります。雌をめぐる雄の闘いは太古の昔からの宿命であり、進化は今も続いていることは疑いなく、これらを含めて得心するものがあればと探求しています。

前方後円墳

2018-04-18 21:18:47 | 史跡巡り
古墳は大和地方にあるものだと思っていましたが、ここ霞ヶ浦周辺にも古墳が沢山あり、近くには八艘と呼ばれる8つの前方後円墳があります。
長さは60-90m程の結構立派なもので、
大抵は霞ヶ浦を見下ろせる台地上にあり、5世紀末~6世紀中頃に築造されたもので、石棺が埋設され埴輪が出土します。
重機も無い時代に、これだけの小山を築くに相当の年月と人力を要したものと感心します。当時の権力者の勢いを想像しますが、埋葬されたその権力者が誰なのか名前すら不明です。たった1500年の時の流れなのにと、無常を感じました。

念仏奉仕団(8:抹茶接待)

2018-04-17 22:40:32 | 思い出すまま
奉仕作業が一段落すると、国宝の鴻ノ間(対面所)で抹茶の接待がありました。秀吉がここで大名と対面したとか聞きましたが、はっきりしません。前年は飛雲閣で接待されたそうです。
お茶のお菓子は「松風」という京都の銘菓です。これは織田信長と11年に及んだ石山合戦において、本願寺の兵糧になり戦い抜いたという謂れがあるもので、私もお土産に買いました。
このような由緒ある場所でお茶の接待を受けて、みな遥々本山に来た歓びを感じ信仰心が深まったようです。

捕食について

2018-04-16 22:55:13 | つぶやき
動物は全面的に植物に依存していると知った時に、それまでモヤモヤとしていたものがスッキリしました。
無機質を有機質に変換する、つまり光合成能力を獲得したシアノバクテリアを細胞内に取り込んだ植物は捕食の必要はなく、一方細胞内にシアノバクテリアを持たない動物は常に有機物(他の植物や動物)を摂取や捕食しなければ生命を維持できないのです。これは生命(真核生物)の発生時点での決定事項というわけです。
このことを出発点にするとキリスト教の原罪とか、仏教の業とか言われているものも根元はこれに行き着く気がします。
では何故、人間の倫理感は自然の営みとかけ離れたものになるのでしょう。