霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

内陸旅行(3:雪上車)

2018-01-31 20:58:09 | 南極の思い出
砂漠を行くキャラバン隊はラクダが頼りのように、雪原を行くには雪上車が頼りです(宗谷時代には犬橇も活躍しました)。
使用した雪上車は、小型のKC20型、大型のKD60型、中型のSM50型の3種類で、いずれもキャタビラで、ハンドルではなく左右のテンパー(レバー)を引いて方向を変えます。SM50型は初めて持ち込まれたもので、ガイドローラーにゴムタイヤが使われ乗り心地が良くなりました。
とい言うのは、キャタビラはゴツゴツゴツゴツと震動が伝わってきて乗り心地は良くありません。雪面も平らではなくサッスルギといって氷のように固くなって、風紋のようにでこぼこしているのです。
雪上車の中は両サイドはソファーで後ろで炊事ができ、下ろすと二段ベッドになって寝られます。夏は旅行気分でしたが、秋はうって変わり羽毛シラフ(寝袋)を二枚重ねても寒く、ポットの水が翌朝凍っていたのに驚きました。

左下:鹿野賢三氏提供


ー サッスルギ ー

補給(南鳥島:マーカス)

2018-01-30 20:05:26 | 観測船の思い出
45年前、アマチュア無線をしている友人から、初めてマーカスという言葉を聞きました。三角の島で、当時真ん中に東京タワーより高い400mのアンテナ(ロラン局)があるQSLカードを見せてもらいました。
米軍と海上保安庁と自衛隊と気象庁の男ばかりの絶海の孤島で、3ヶ月交代とはいえ現代の島流しと言えますが、経験者は天国だよと言います。私も一度は行ってみたい憧れの地でした。
水は天水です。ある時、降水が少なくて貯水槽が底をつくという事態になり、補給に向かうことになりました。青い空と海の中、200m程先の真っ白な砂浜(珊瑚礁)にショートパンツに上半身裸又はシャツ一枚で日に焼けた男達が群がってました。眩しい光景でした。
すぐ目の前にして上陸が出来なかったことが、今でも心残りです。

麻雀の思い出(6:牌の積み方)

2018-01-29 22:17:46 | 思い出すまま
麻雀の牌は、写真上のように2枚を重ねて積みますが、船が大きく揺れ始めると崩れてしまい、出来なくなってしまいます。
そこで、下のように積まずに平に置くと、余程の大波でないと崩れません。このような状況になる頃は、船酔いで気持ちも悪くなっているのですが、非番の時は寝るしかないのもつまらないので、けっこう集まってきます。
そうまでしても、やりたくなる程、麻雀は面白いゲームです。

木工事

2018-01-28 15:38:57 | マイホーム建築の思い出
7月の暑い中の瓦工事(4000枚程)が終わり、暫くして木工事が始まりました。木材をはじめ資材が次々と運ばれてうず高く積まれます。住む空間が無くなるのではと心配するくらい、こんなにもいろいろ使うのかと思いました。
 ー 大工さんから聞いたことです ー
柱は一ヶ月もあれば乾くが、柱は痛みが進むので早めに窓枠を入れてシートで覆う。
柱が見えるようにするのが真壁、隠すのが大壁と言い、真壁には桧材を使い和室に、大壁は杉材で洋室にする。いずれも四寸角。これまで畳を敷けば和室になると思ってましたが、すでに床から作り方が違ってました。
使用する木材は、梁は冬に切った青森県産の松(切る時期があるそうです)、土台はヒバ、桁は米松。銘木として床柱は黒檀とエンジ、玄関敷居はブビンガ、廊下は無垢桧板を使用。
鋸を引くのは墨付線の内側か外側かとの質問に、線を半分残して引くのだとか、研いで半分以下に短くなった鉋の刃を見て職人技に感動したものです。

一言言える人

2018-01-27 17:23:55 | つぶやき
先の見通しが立たない時や困難な状況に陥った時など、不安で一杯になりますが、そんな時に「何とかなります、大丈夫です。」と言える人がいます。どうみても根拠などなく、張ったりとさえ思えるのですが、人はその一言に救われてホッとするものだと思います。
先が見えない時には、普通は不安を顔に出したり、だめだと弱音を吐いたりし勝ちで、相手や周囲をより不安にしてしまいます。自分も往々にして顔に出してしまいがちです。
どんな時でもニコニコして大丈夫だと言える人がいました。かなわないと思いました。