霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

鳥島

2018-05-21 20:50:51 | 観測船の思い出
鳥島は、八丈島と父島の中間にある火山島で、明治の中頃にアホウドリの羽毛目的で島民が住んでいましたが、明治35年の噴火で島民125名が全滅しました。
戦後間もなく気象観測所が設置され、20~40人の職員が3ヶ月交代で観測してましたが、昭和40年に火山活動の活発化に伴い観測所は閉鎖され、再び無人島になりました。新田次郎の小説「孤島」と「火の島」の舞台です。
この鳥島で実際勤務した先輩達から色々な面白い体験談を聞きましたが、男ばかりの世界(監獄?)は天国だったようです。
一度だけ鳥島へ行く機会がありました。上陸はしませんでしたが島の周りを小船でトローリングしました。持っていた縄が凄い勢いでグイッと引かれ、先の方で鰹がピチピチと勢い良く跳ね回り、何とも強い手応えでした。大型のシラマサや鰹が何匹も釣れました。

ハナオコゼ

2018-03-03 22:08:24 | 観測船の思い出
非番で釣りをしていると時々珍しい魚が釣れましたが、ハナオコゼもその一つです。5cm程の小さなもので全体が透き通った黄色でした。
全身を衣装で着飾った様な姿形もさることながら、ヒレを手足のようにした動きかたも独特です。さらに驚くのは自分より大きな魚を補食することでした。
一緒に水槽に入れていた5~6cmの魚を頭から丸のみにしてしまいました。もちろん全部入りきれないので半分は口の外にあり、大口を開いたままでずっといるのは疲れないのかと心配しましたが、結局数日後吐き出していました。
人間は大食いチャンピオンと言えど、とても自分の体重程食べれません。それを思うと、恐るべしハナオコゼです。

補給(南鳥島:マーカス)

2018-01-30 20:05:26 | 観測船の思い出
45年前、アマチュア無線をしている友人から、初めてマーカスという言葉を聞きました。三角の島で、当時真ん中に東京タワーより高い400mのアンテナ(ロラン局)があるQSLカードを見せてもらいました。
米軍と海上保安庁と自衛隊と気象庁の男ばかりの絶海の孤島で、3ヶ月交代とはいえ現代の島流しと言えますが、経験者は天国だよと言います。私も一度は行ってみたい憧れの地でした。
水は天水です。ある時、降水が少なくて貯水槽が底をつくという事態になり、補給に向かうことになりました。青い空と海の中、200m程先の真っ白な砂浜(珊瑚礁)にショートパンツに上半身裸又はシャツ一枚で日に焼けた男達が群がってました。眩しい光景でした。
すぐ目の前にして上陸が出来なかったことが、今でも心残りです。

着氷(オホーツク海)

2018-01-17 04:29:55 | 観測船の思い出
オホーツク海の冬の観測に一度だけ行きました。
砕氷船ではないので、海氷のあるまで所までは行きませんでしたが、気象状況によっては飛沫が凍り、船体が着氷してしまうという現象を見ました。
手摺りなどがどんどん太くなっていきますが、こうなると船の復元力が弱まって危険になるとのことです。
南下して気温が上がればよいので、注意しながらギリギリまで北上しだと思いましたが、このような中で操業している北洋漁業の厳しさを、あらためて 思った次第です。

台風監視(南方定点 - 7 - 終)

2018-01-12 23:05:13 | 観測船の思い出
出港すれば3週間は海の上です。毎日が同じ気候で同じ景色のもと、単調な日課の繰り返しです。
でも帰港する度に、陸地の季節は大きく変わってしまっています。新緑が梅雨空に、次は真夏、そして次はもう秋と、季節が飛んでしまっているのです。当時はこれが堪らなく虚しく思えました。
ところが、この歳になると、出港さえすれば世間の煩わしさから解放されて、時間の流れなど気にせずに思いのまま過ごせるなんて、天国そのものではないかとさえ思えるようになりました。そんな南方定点の日々を懐かしく思い出します。
ただ、すぐ足元に広がる海はどこまでも青く透明ですが泳ぎは絶対禁止で、唯一それが心残りでした。

写真:
(上)保安庁の射撃訓練、アッパーデッキにて、鮫の歯
(中)巡視船「のじま」、船室風景
(下)ー夕方~夜の甲板風景ー