霞ヶ浦のほとりで

徒然なるままに

自然資本

2021-10-04 14:15:16 | 散歩

9,600歩 (05:24-06:55)

晴れ 16℃


明け方の空には白い三日月(月齢26日)が出ていました。いつ渡ってきたのか湖面にはカモの姿が見え始めました。コロナの非常事態宣言が解除されたこともあり、何人かの釣り客が糸を垂れていて以前の光景に戻ってきた感があります。


先のブログ(6月17日)で経済成長に関して、限りある地球資源を考えていないのではないかと呟いたのですが、今朝(3日)の新聞(朝日GLOBE)の「絶滅しない経済学」に、まさにこの問題に納得のいく解説されていて興味深く読みました。世の中にはちゃんと問題意識を持って深く研究されている人がたくさんいるということを知り、この上ない嬉しさと安心感を覚えました。


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人間は地球環境を傷めつけることと引き換えに経済成長を遂げている。そんな「不都合な真実」を突きつけ、国内総生産(GDP)の成長至上主義に疑問を呈した「生物多様性の経済学/ダスグプタ・レビュー」。

人工資本や人的資本だけでなく、自然資本を合計した「包括的な富」を算出する必要がある。GDPが高い伸びだったとしても、同じ時期に自然資本が減少していれば、包括的な富は減っているかもしれない。持続可能な発展というのは、我々が前の世代から受け継いだ資本と少なくとも同等のものを、次の世代に引き継ぐ、未来に残すということだ。

今は経済活動による自然・生態系の利用量(需要)が供給能力の1.7倍程度に達していて2030年には地球2個分必要になると説明されている。

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このままでいくと本当に地球環境は壊れて人間も含めて生物の絶滅は免れないと確信してきました。大変なことです、深刻な危機感を持って何とかしなければならないと思います。


敬老の日

2021-09-22 10:48:34 | 散歩

9,600歩 (05:19-06:48)

快晴 14℃


暑さ寒さも彼岸までと云われるように今朝(20日)は半袖では肌寒くて日の出が待ち遠しく思えるほどでした。畦道には彼岸花、土手にはコスモスが咲き誇りいつもの秋景色です。


4年ほど前のことですが年番で町内会の班長をしていた時、敬老の日に紅白餅などを班内の70歳以上の方々に配りました。今日はついに配ってもらう側になったのかと思っていたところ、市の基準が変わり敬老の対象者は75歳以上になったことを知りました。


まだ老人扱いではないと妙な納得をしたのですが、自分の60代が過ぎ去ってしまったことも実感させられました。今思うと60代は体も動き精神的にも時間的にもゆとりがあり好奇心も旺盛で、人生で一番良い時期だったのではないかと思われてきます。この佳き日々を淡々と過ごしてしまったことに悔いと寂寥感を暫し覚えた敬老の日でした。


経済成長

2021-06-17 12:21:48 | 散歩

8,300歩 (05:17-06:30)

曇り 19℃


50日振りの霞ヶ浦です。梅雨空の下筑波山は低い雲に隠れて見えず、湖面も水鳥の姿は無く静かでした。周辺の木々は葉が繁り稲田の苗や道端の草丈も伸びて緑豊かになりました…

でも全くというほど昆虫の姿は見かけられません。そう言えば毎年この時期生垣のマサキにびっしりついていた毛虫も昨年辺りからいなくなりました。この静けさは『沈黙の春』のようで何とも不気味で不安になります。


以前に書いたかもしれませんが、経済成長はプラスでなければならないとか人口減少は深刻な危機だとか言われていますが、それに異議を唱えることは経済を知らない者の言うことだと一刀両断されてしまいます。

しかし、直感的に限られた地球資源のキャパシティを考えたら経済成長も人口増加も続くはずはないとどうしても思うわけです。


最近新聞に書いてあった記事が腑に落ちてとてもスッキリしました。それは経済成長を前提とした今の資本主義のシステムの中ではゼロ成長やマイナス成長の意見は否定されて当然で、これからは有限の資源の中で成り立つ経済システムを構築していかなければならないというものです。


諦観

2021-04-23 13:27:02 | 散歩

7,600歩 (10:00-11:28)

快晴 16℃


40日振りの霞ヶ浦です。花粉も無く天気も良くて爽やかな散歩日和でした。運動公園でのウォーキングに比べると解放感があってやはり一味違います。

田圃はもう代掻きが始まっていて白鷺も見られます。土手の工事も終わっていて盛り土で少し高くなった所もありました。


吉田兼好は68歳まで生きたそうですが、私はすでにその歳を越えました。徒然草の後半にみられるという諦観の境地とはどんなものか自分も味わえたらとずっと思って来たのですが未だに自覚できてません。

ある雑誌に老人の心境の特徴が二つ書かれていました。生来の性格が表面化してくることと、自分の善きところも悪しきところも自分の事として受け入れらるようになることです。

それは、老人になったから丸くなったとか我が儘になったとかではなく、それは元々持っていた性格なんだということ、そして自分の嫌な所もそれが自分なんだと考えられるようになるということなんだと思います。もし、これを諦観というものなら私も何となくわかりかけて来た気がします。


白木蓮

2021-03-17 14:22:10 | 散歩

5,000歩 (10:10-10:55)

晴れ 15℃


花粉が舞い始めてからは外に出ることも少なかったのですが、連れ合いも運動不足気味ということで先週から一緒に少し歩き始めました。私は霞ヶ浦を散歩したいのですがトイレが心配とのことで近くの運動公園のウェーキングコースになりました。

咲き始めた河津桜が青空に映え鶯の鳴き声が聴こえてきて、霞ヶ浦の散歩とはまた違った味わいがあります。


家の白木蓮の花が今年も咲いて甘い上品な香りを放っています。新築時に植えたので樹齢は20年を過ぎて幹回りも40cmに成長しました。勢い良く枝を伸ばして放っておくと樹高10m以上になる木ですので毎年強く剪定していましたが年齢と共に追いつかなくなってきたこともあり、この花が散ったら可哀想ですが伐採することにしました。長年一緒に暮らしてきて愛着もありこのまま棄てられないので、木彫りで何かしらの形にして残したいと思っています。