徳ちゃん繁昌リポート

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【商店街探訪】歴史に名だたるあの寺院を発見

2014年04月17日 | 出張先々
京都・錦市場を過ぎて三条から御池間の寺町商店街辺りをぶらついていると何となく気になるお寺!?何ヵ所かのお寺は通り過ぎたのですが何故だかこのお寺の前で足が自然と動いて引き寄せられるように入って行ったのでした。すると驚き!歴史に名だたるあの有名な寺院だったんですよ。

それは日本人なら誰もが知る「本能寺」。1582年6月2日主君織田信長を裏切り攻め入った重臣明智光秀のクーデター「敵は本能寺にあり」、下剋上とはいえこの事件が日本の歴史を変えたのも事実で想像するだけで鳥肌が立ちましたよ。ちなみに本能寺の変が勃発したのは天正10年6月2日未明、光秀の信長に対する怨念説が有力ですが、光秀、秀吉、家康との三者共謀説や天皇・公家の陰謀説、千利休と堺町衆説などもあり真実は闇の中というところでしょうか。元々は日蓮上人の教えを受けた日隆(にちりゅう)上人が油小路高辻に建立した本応寺が前身。四度目の焼失と再建を繰り返し、旧地の四条西洞院で「本能寺の変」で焼失後、天正19年に豊臣秀吉の命で現在の寺域(中京区寺町御池下ル)へと移転させられたそうです。帰りしな気付いたのですが確かに寺院の表門には「大本山本能寺」と書かれ、寺院の敷地内には割と狭い本堂があり奥には信長公廟もありました。織田信長肖像画や麒麟の香炉、朱印状、太刀、茶道具などを展示した大寶殿宝物館にも入り勉強してきましたよ。

今まさにNHK大河ドラマ「軍師官兵衛」では江口洋介演じる織田信長。戦国乱世で天下統一の足がかりを作った歴史上の人物の最期の場所(当時の本能寺は移転)がこんな商店街の片隅にあるなんて考えもしませんでした。それを目前にして歴史の証人にでもなったみたいに得意気に何枚もの写メを送っていました。

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