飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

創造的破壊サミット&忘年会のお知らせ!!

2011-11-17 15:19:33 | ブログ

あまり時間がないので、
速報!!
創造的破壊サミット&忘年会が12月11日開かれる!!
東京で・・・・・! 錚々(そうそう)たるメンバーだ!!


 和佐大輔君については、何度も書いてきた。又、会いもし、その講義も聴いた

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 きっと、百聞は一見に如かず、という言葉がある。世界が拓かれるかも知れない。


 和佐大輔君はノウハウの達人だ。

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 原田翔太さんは、理論武装には欠かせない論客だろう。


 木坂健宣さんは会ったことはないが、コンテンツでは何度も教えを承った。これほど分かりやすいさわやかなビジネス解説を他には知らない。


 吉田傑さんは寡聞にして良く知らない。だからこそ、又、好奇心をそそる。


 以上、4名が一同に会すると言うことは珍しい。


 その一日セミナーである。鳥瞰するにはまたとない機会である。何事も一事が万事。本物と偽物を判断するには、鳥瞰するに限る。ビジネスに於ける真髄は、中々、普通のコンサルタントセミナーでは窺えない。


 自ら実践した重みは、そこに顕れる。

H1_logoサミット&忘年会について見る! 


 

 きっと、何かしら発見があるだろう。その発見は、この先の変動する世界に大きな羅針盤になる。それから、本格的な探求に入ればよい。


 何しろ、時間がないので今日はこの辺で・・・・・。


 詳しくはこちら

 


敢えて、内部被曝について、徹底論議!! その②

2011-11-17 13:07:04 | ブログ

 

低線量被曝が安全だって???


 

内部被曝は



 

どうよ!


 


という論議に挑む!




福島産米から630ベクレル/kgが検出された・・・
哀しむべき事だが、
予想されたことだ!!
とにかく、499ベクレル/kg以下は
流通しているのだ・・・・・


 この事は、既に指摘した。うっかり書くと『風評』と言われる。しかし、真実が明らかになると、それは『風評』ではない。その被害は『実害』であって、『風評被害』ではない。


 奇しくも、検出されたのはサンプル調査ではなく、自家消費米として保存していたものからの発覚である。生産者も自ら食する訳であるから、慎重を期したのであろう。当然である。


 それ以前に、499ベクレル/kg以下は、暫定基準値内であるから、問題にされることはない。これが意味するものは何か?


 枝野経産相(元官房長官)に伺ってみよう。

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 枝野さんは、『直ちに健康被害を及ぼすものではありません。』と何度も『安心』を与えてくれた。そして、国会では『私は、1年間食べ続けたら健康に影響の出る飲み物や食べ物について、1~2回食べても直ちに影響はないと言っただけだ。』と発言されて、ちょっと弁明された。


 日本人なら、お米は毎日食べる。一度二度では済まない。食べ続けたら、・・・・・考えるもおぞましい。そうは思わないか? しかし、選択は個人の自由である。


 既に、内部被曝は深刻であるとの情報がある。これは日本では決して報道されることはない。内部被曝禁句なのだ。


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 下記掲載の動画を視聴して頂けると、了解頂けるが、車両のエアフィルターの比較である。人間に譬えると、気管の粘膜、あるいは肺胞と考えることが出来る。


 これ以上、内部被曝を許すことは出来ない。せめて、口からの摂取は注意すれば防ぐことが可能だ。あるいは、これからの課題は、寧ろ、内部被曝の体内除染だろう。


 これが可能かどうかは、見解の分かれるところであろうが、これまで人間は幾度も不可能を可能にしてきた歴史がある。困難だが、挑戦する必要があろう。これについては、稿を改めて書く資料を持っている。その時に譲る。


 このままでは、危険だ。既にその線は越えている。その判断は、情報をに基づかなければならないが、残念ながら、メディアは流さないし、その元の政府・保安院・東電に到っては、常に後出しだ。


 こうなると、探り、暴く以外にないではないか! それを疎(うと)ましく思う奇特な人々も多い。時々、コメントまでしてくる方も、希にいる。文字通り、疎(うと)ましく、疎遠であってもこちらは結構なのであるが、奇特と言うほかない。


 何か、不都合でもあるのだろう。








『3匹の子豚との日々』さんに心からの哀悼を・・・・・・!

2011-11-17 10:07:18 | エッセイ風

ひろみさんのご主人がお亡くなりになった・・・・!
こころより、お悔やみ申し上げる。
予感はあった
いかにも早かった
人生は無常だ
ふさわしい言葉は見つからない
哀悼する他、術はない。



 スペインで活躍する日本人である。その又、日本人であるご主人がご逝去された。


 逢ったことはないが、縁を感じる。そして、慰めの言葉もないが、ささやかな励ましの言葉はある。受け入れられないかも知れないが、独白である。


 誰でも死出の旅路は、生まれた瞬間から始まっている

 早いも遅いもない

 与えられた時間を、最善を尽くして生きたものは幸いだ

 思い残すことはない

 逝くものを惜しむのは当然だが

 哀しみすぎるのは良くない

 思いが惹かれるであろう

 魂は天に還る、肉体は塵に還る

 生命は永遠だ

 肉の想いは分かるが、魂を呼び止めてはなるまい

 残された者は

 為すべき使命がある

 限りある人生に為すべき使命がない人など

 一人もいない

 それを成し遂げるのだ

 そして、

 その時がくれば

 また、

 召し還る時が必ず訪れる

 その時、

 再会することが出来る

 必ず、再会する

 必ず、必ず、再会する

 その時、笑みを保って

 迎えてくれる人々がいる

 その中に

 逝った方が居るだろう

 それを楽しみに

 生きることだ

 それが最良の生き方である。


 

【転載開始】この数日のこと。

2011-11-20 00:09:42 | Hymne a l'amour

先日の「お知らせ」の記事 で、書きましたように、この数日人生で初めての
慌しい日々を過ごしていました。

それは、突然、やってきました。。。
覚悟をしていたこととはいえ、あまりに突然で・・・、今でもまだ現実感が
ありません。。。



11月11日(金)
朝、夫が呼吸困難で救急搬送、入院。
一緒に行こうかと思ったけれど、子供を学校に送り出さなくてはいけないので、
私は付き添いはせず、子供が出かけてから、村の診療所で処置しているだろうと
行ってみたら、サラマンカの病院へ搬送した、と言われ、駆けつけたいけれど、
子供が学校から帰ってくるし、駆けつけようにもバスがないので家で待機してました。
夕方、やっと電話がつながり、夫と話したら、声が元気だったので一安心。

11月12日(土)
朝から、子供を連れて、夫の荷物を持って病院へ。
突然の様態の悪化に、驚いて、先妻の息子達、マドリッドの友人に電話。
そんな最中にfacebookで知り合った方がskype電話を携帯にくれて、びっくり。
あまりの、タイミングのよさに、思わずいろいろと話してしまいました・・・。

意識はあるけれど、ほとんど寝ている状態で、これはヤバイと思ったれど、
夕方のおやつを食べ、夕食をちょっと食べて、飲むヨーグルトを飲んで、
少し回復したみたいでした。
付き添いで泊まり、寝る前に、久しぶりにいろいろと話しをしました。

11月13日(日)
朝日を見ながら目覚めた朝。<上の写真>
前日とはうって変わって、かなり回復した感じ。
午前中に先妻と息子達がお見舞い。午後はマドリッドの日本人の友人夫妻と
アルベルカのスペイン人の友人夫妻がお見舞いにきてくれました。
お見舞いに来てくれた人たちに、少しでも元気な様子を見せようとはりきって
いたせいか、アルベルカの友人夫妻が帰る頃にはかなり疲れているように
見え、気になりつつも、子供の学校があるので、私は一緒にアルベルカに
帰りました。

11月14日(月)
朝起きて、メールを書いたりブログの記事を書き終わったところに、電話。。。
ちょっと前に、亡くなりました・・・って。。。
う、うそ~。そ、そんな~。
みんなに連絡して、とりあえず、パキに迎えに来てもらって、病院へ。
病室には変わり果てた姿が・・・。
前日、全ての力を使い果たしてしまった、という感じでした。

入院した日に遺言のようなメモを見つけていて、そこに火葬して欲しい
と書いてあったので、できるだけ希望に添いたいと検討しました。

その時に、パキが、金曜日に電話した時に、「俺は行くよ。」「行くって、
アルベルカに戻ってくるってこと?」「違う、永久に逝くんだ」って言って
いたのだそうです。。。

それを聞いたときに、夫は、金曜日に救急搬送されたときに、もう既に
三途の川を渡りかけていたのかもしれない・・・、日曜日に回復したかに
見えたのは、最後に会いたい人たちに会うためと、私と過ごす時間を猶予
してもらっただけなんじゃないか、って思いました。
土曜日の夜に、久しぶりに、穏やかに、昔話からこれからのことを話して、
「お前にはまだやり残したことがあるだろう」って言う声が聞こえた、と
言って、将来的にはこうやって、仕事をしようとか、すごく前向きなことを
話していたのも、なんだか、理想の会話をしたような感じでした。
今では、まるで、夫から、遺志を託されたような気がしています。

11月15日(火)
諸事情の為、日本のようにお通夜も葬儀もしないで、12時から荼毘に
ふしました。
私達が出会った頃に、夫と一緒に会社を設立した2人のメンバーが
駆けつけてくれました。
思い出話と、それぞれの今の状況を話したりして、待っていました。
こちらでは、自分達で遺骨を拾う事はしないので、途中で火葬場を
離れ、夕方に遺灰と火葬証明書をもらって、帰ってきました。

父が親戚関係にメールで知らせてくれていたので、親戚からお悔やみの
メールが何通か届いていたり、日本の取引先の人からも、私はまだ
連絡していないのですが、別の人がしてくれたようで、何通かお悔やみの
メールきていました。

みんな突然の訃報に驚いていました。
一番近くにいた、私でさえも、ここまで悪い状態になっているなんて、
気付いていなかったのですから・・・。
というか、気付いてはいるけれど、そのことを認めたくなかった・・・
というのが正しいのかもしれません。。。

一週間くらい前から、モルヒネ系の痛み止めの貼り薬を貼ってから、
運動神経の麻痺のようなことが起こり、歩くのが困難になっていた
のですが、どうやら気道と食道を隔てる弁の動きもおかしくなって
いたようで、急性肺炎を起こしていたのだそうです。
肺が機能していないので、呼吸困難になり、そのまま逝ってしましまいた。
心筋の動きがおかしくなって、急に心臓が止まるパターンじゃなくて、
本当によかった・・・って思います。(不幸中の幸い)

荼毘にふして、煙と共に空にのぼり、私達のことを見守ってくれているん
だろうな、あぁ、この人はそういう人だな、不器用で、とにかく大きい人、
強情っぱりで、素直になれない人で、あぁ、この人らしい最期だなぁ、
って妙に納得できた感じです。

肉体から離れて、きっと自由になれて、喜んでいるんじゃないかな、って
思います。
そして、空から私達のことを見守ってくれているのでしょう・・・。

マドリッドじゃなくて、ラ・アルベルカににて、本当に良かったと思います。
友人やご近所の方々が皆さん、親切にしてくれるので、本当に助かりました。
私と一緒に行動してくれた、パキにマリ、フロレンシオ。
子供達が学校から戻ってきた後、様子を見てくれていたサンティと、心配
して仕事の帰りに寄ってくれたフランシス。
今日も、マリルーとパトリシア、サンティとマノロ、パキとマリが夕食や朝食、
ちょっとつまむものやおやつを差し入れしてくれたり・・・。
電話やメッセージをくれた人達・・・。
みんな、みんな、ありがとうございます。

まだちょっと、ボーっとしていますし、何かにつけて、泣いていますが・・・。

私達の最初の出会いからの年数と、日付を考えたとき、全てがまた意味が
あるような気がして、いろいろな思いがどど~っと寄せてきます。。。

2005年に大腸がんの手術をしているので、遅かれ早かれ、こういう日が
来る事は覚悟していたので、案外さばさばしているので、大丈夫です。
ここまで、突然やって来るとは思っていなかったので、ちょっと驚きましたが・・・。
それもこれ以上、私達を悲しませない、苦しませない、彼らしい、ちょっと
無骨な思いやりだと思っています。。。

子供達、特に一番上がかなりナーバスになっていますので、
当面は、午前中に片付けと仕事、午後は子供のケアを中心に、
落ち着くまでは、あまり無理せずにやっていこうと思っています。


15/11/2011
雨。冷たい雨。【転載終了】