飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

『3匹の子豚との日々』さんに心からの哀悼を・・・・・・!

2011-11-17 10:07:18 | エッセイ風

ひろみさんのご主人がお亡くなりになった・・・・!
こころより、お悔やみ申し上げる。
予感はあった
いかにも早かった
人生は無常だ
ふさわしい言葉は見つからない
哀悼する他、術はない。



 スペインで活躍する日本人である。その又、日本人であるご主人がご逝去された。


 逢ったことはないが、縁を感じる。そして、慰めの言葉もないが、ささやかな励ましの言葉はある。受け入れられないかも知れないが、独白である。


 誰でも死出の旅路は、生まれた瞬間から始まっている

 早いも遅いもない

 与えられた時間を、最善を尽くして生きたものは幸いだ

 思い残すことはない

 逝くものを惜しむのは当然だが

 哀しみすぎるのは良くない

 思いが惹かれるであろう

 魂は天に還る、肉体は塵に還る

 生命は永遠だ

 肉の想いは分かるが、魂を呼び止めてはなるまい

 残された者は

 為すべき使命がある

 限りある人生に為すべき使命がない人など

 一人もいない

 それを成し遂げるのだ

 そして、

 その時がくれば

 また、

 召し還る時が必ず訪れる

 その時、

 再会することが出来る

 必ず、再会する

 必ず、必ず、再会する

 その時、笑みを保って

 迎えてくれる人々がいる

 その中に

 逝った方が居るだろう

 それを楽しみに

 生きることだ

 それが最良の生き方である。


 

【転載開始】この数日のこと。

2011-11-20 00:09:42 | Hymne a l'amour

先日の「お知らせ」の記事 で、書きましたように、この数日人生で初めての
慌しい日々を過ごしていました。

それは、突然、やってきました。。。
覚悟をしていたこととはいえ、あまりに突然で・・・、今でもまだ現実感が
ありません。。。



11月11日(金)
朝、夫が呼吸困難で救急搬送、入院。
一緒に行こうかと思ったけれど、子供を学校に送り出さなくてはいけないので、
私は付き添いはせず、子供が出かけてから、村の診療所で処置しているだろうと
行ってみたら、サラマンカの病院へ搬送した、と言われ、駆けつけたいけれど、
子供が学校から帰ってくるし、駆けつけようにもバスがないので家で待機してました。
夕方、やっと電話がつながり、夫と話したら、声が元気だったので一安心。

11月12日(土)
朝から、子供を連れて、夫の荷物を持って病院へ。
突然の様態の悪化に、驚いて、先妻の息子達、マドリッドの友人に電話。
そんな最中にfacebookで知り合った方がskype電話を携帯にくれて、びっくり。
あまりの、タイミングのよさに、思わずいろいろと話してしまいました・・・。

意識はあるけれど、ほとんど寝ている状態で、これはヤバイと思ったれど、
夕方のおやつを食べ、夕食をちょっと食べて、飲むヨーグルトを飲んで、
少し回復したみたいでした。
付き添いで泊まり、寝る前に、久しぶりにいろいろと話しをしました。

11月13日(日)
朝日を見ながら目覚めた朝。<上の写真>
前日とはうって変わって、かなり回復した感じ。
午前中に先妻と息子達がお見舞い。午後はマドリッドの日本人の友人夫妻と
アルベルカのスペイン人の友人夫妻がお見舞いにきてくれました。
お見舞いに来てくれた人たちに、少しでも元気な様子を見せようとはりきって
いたせいか、アルベルカの友人夫妻が帰る頃にはかなり疲れているように
見え、気になりつつも、子供の学校があるので、私は一緒にアルベルカに
帰りました。

11月14日(月)
朝起きて、メールを書いたりブログの記事を書き終わったところに、電話。。。
ちょっと前に、亡くなりました・・・って。。。
う、うそ~。そ、そんな~。
みんなに連絡して、とりあえず、パキに迎えに来てもらって、病院へ。
病室には変わり果てた姿が・・・。
前日、全ての力を使い果たしてしまった、という感じでした。

入院した日に遺言のようなメモを見つけていて、そこに火葬して欲しい
と書いてあったので、できるだけ希望に添いたいと検討しました。

その時に、パキが、金曜日に電話した時に、「俺は行くよ。」「行くって、
アルベルカに戻ってくるってこと?」「違う、永久に逝くんだ」って言って
いたのだそうです。。。

それを聞いたときに、夫は、金曜日に救急搬送されたときに、もう既に
三途の川を渡りかけていたのかもしれない・・・、日曜日に回復したかに
見えたのは、最後に会いたい人たちに会うためと、私と過ごす時間を猶予
してもらっただけなんじゃないか、って思いました。
土曜日の夜に、久しぶりに、穏やかに、昔話からこれからのことを話して、
「お前にはまだやり残したことがあるだろう」って言う声が聞こえた、と
言って、将来的にはこうやって、仕事をしようとか、すごく前向きなことを
話していたのも、なんだか、理想の会話をしたような感じでした。
今では、まるで、夫から、遺志を託されたような気がしています。

11月15日(火)
諸事情の為、日本のようにお通夜も葬儀もしないで、12時から荼毘に
ふしました。
私達が出会った頃に、夫と一緒に会社を設立した2人のメンバーが
駆けつけてくれました。
思い出話と、それぞれの今の状況を話したりして、待っていました。
こちらでは、自分達で遺骨を拾う事はしないので、途中で火葬場を
離れ、夕方に遺灰と火葬証明書をもらって、帰ってきました。

父が親戚関係にメールで知らせてくれていたので、親戚からお悔やみの
メールが何通か届いていたり、日本の取引先の人からも、私はまだ
連絡していないのですが、別の人がしてくれたようで、何通かお悔やみの
メールきていました。

みんな突然の訃報に驚いていました。
一番近くにいた、私でさえも、ここまで悪い状態になっているなんて、
気付いていなかったのですから・・・。
というか、気付いてはいるけれど、そのことを認めたくなかった・・・
というのが正しいのかもしれません。。。

一週間くらい前から、モルヒネ系の痛み止めの貼り薬を貼ってから、
運動神経の麻痺のようなことが起こり、歩くのが困難になっていた
のですが、どうやら気道と食道を隔てる弁の動きもおかしくなって
いたようで、急性肺炎を起こしていたのだそうです。
肺が機能していないので、呼吸困難になり、そのまま逝ってしましまいた。
心筋の動きがおかしくなって、急に心臓が止まるパターンじゃなくて、
本当によかった・・・って思います。(不幸中の幸い)

荼毘にふして、煙と共に空にのぼり、私達のことを見守ってくれているん
だろうな、あぁ、この人はそういう人だな、不器用で、とにかく大きい人、
強情っぱりで、素直になれない人で、あぁ、この人らしい最期だなぁ、
って妙に納得できた感じです。

肉体から離れて、きっと自由になれて、喜んでいるんじゃないかな、って
思います。
そして、空から私達のことを見守ってくれているのでしょう・・・。

マドリッドじゃなくて、ラ・アルベルカににて、本当に良かったと思います。
友人やご近所の方々が皆さん、親切にしてくれるので、本当に助かりました。
私と一緒に行動してくれた、パキにマリ、フロレンシオ。
子供達が学校から戻ってきた後、様子を見てくれていたサンティと、心配
して仕事の帰りに寄ってくれたフランシス。
今日も、マリルーとパトリシア、サンティとマノロ、パキとマリが夕食や朝食、
ちょっとつまむものやおやつを差し入れしてくれたり・・・。
電話やメッセージをくれた人達・・・。
みんな、みんな、ありがとうございます。

まだちょっと、ボーっとしていますし、何かにつけて、泣いていますが・・・。

私達の最初の出会いからの年数と、日付を考えたとき、全てがまた意味が
あるような気がして、いろいろな思いがどど~っと寄せてきます。。。

2005年に大腸がんの手術をしているので、遅かれ早かれ、こういう日が
来る事は覚悟していたので、案外さばさばしているので、大丈夫です。
ここまで、突然やって来るとは思っていなかったので、ちょっと驚きましたが・・・。
それもこれ以上、私達を悲しませない、苦しませない、彼らしい、ちょっと
無骨な思いやりだと思っています。。。

子供達、特に一番上がかなりナーバスになっていますので、
当面は、午前中に片付けと仕事、午後は子供のケアを中心に、
落ち着くまでは、あまり無理せずにやっていこうと思っています。


15/11/2011
雨。冷たい雨。【転載終了】

 


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1 コメント

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びっくりしました。 (谷間の百合)
2011-11-17 12:46:50
びっくりしました。
なにも知りませんでした。


ひろみさん  ほんとに大変でしたね。
よく頑張ってこられましたね。

今はそれしか言えません。
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