飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

最悪を想定して、大安心に生きる!

2011-07-15 15:29:18 | エッセイ風

私事で恐縮だが・・・・
些細な日常の出来事から、
ありふれた危機管理を説く!!


 日頃から、人間は必ず死ぬものであると、腹を括っている。惜しむらくは、犬死にである。犬死にとは、犬には悪いが、何の役にも立たない死に方をすること、辞書にはある。

5779762813_d99b5d5446

<記事に無関係:植物奇形か?ヨッシーさん提供>


 客観的に役に立っているかどうかは、自分では判断できないから、さて置くとして、主観でそう思うことにしている。まあ、やりたいことがあると言うことは、人間誰しも何かの役割はあると考える方が、自然であろう。


 時に体調不調は来るものである。


 ひどく肩が凝り、その内に手指先までが痺れだした。パソコンの使いすぎ、根の詰めすぎ、季節の変わり目の体調不良・・・、いろいろ考えてみるが、どれも中っている。まあ、その内に取れるであろうとは思っているが、しかるべき対処をする事とした。


 まず、最悪を想定する事である。


 投稿者の周りには、それなりの年代を重ねてきた団塊の世代であるから、ぼつぼつ半身不随、言語障害も少なくはない。中には、還らなくなった人も少なくない。


 手指の痺れは、案外、重大な病因を内蔵していることも少なくない。先ずは脳卒中の初期症状、あるいは脳梗塞、これは常識だ。しかし、診断は自分では付かない。そう言う時は、医者に限る。

5779851581_83cf1c9d1c

 

<記事に無関係:植物奇形か?ヨッシーさん提供>


 ほとんど医者に世話になる」ことはないが、こう言う時は別であろう。薬もほとんど飲まないし、注射など怖くはないが、ここ何年も打ったことはない。予防注射など全くしない。しかし、医者を否定はしない。


 医者は最も身近な身体の専門家だ。


 そこで、診察を受けることとした。勿論、内科だ。総合診療だ。最寄りの高度医療センターを選んだ。その方が、うろうろしなくて済む。


 何を診断してもらうのか? それは医者に任せねばならないが、身体は本人固有のものであるから、選び取るのは本人である。


 『先生、カクカクジカジカの容態ですが、なんぞ、重篤な事態は考えられますか?』 そう単刀直入に聞いたりした訳ではないが、要はそう言うことである。


 交番に行って、道を訊ねる時に『私はどこに行けばいいのでしょうか?』と、問うのは野暮だから、投稿者は医者にも『どこが悪いのでしょうか?』という、診察は受けない。


 少し、生意気であるかも知れないし、煙たがられることは承知の上である。素人ながら、可能性調査は既にしてある。その最悪は、先に書いた、脳障害であろう。


 これが一番困るのである。人間のCPUが故障しては、何事にも差し障りがある。周りにも多大の迷惑をかけることとなる。それ以外の故障は、何とか付き合っても行けるが、そうなると付き合い方も判断できなくなる。


 そう言う訳であるから、診察も要を得て、迅速である。寧ろ、患者主導と言うべきだ。予め、血圧の測定は済ませてある。最高125、最低71、脈拍79であるから、それを提示する。上等だ。

110711_164401

 

<記事に無関係:植物奇形か?ヨッシーさん提供>

 それ以上は、素人では困難であるから、医者に任す。早速、いろいろな診断法が試みられる。詳しくは分からないので書けないが、要するにCPU関連の不具合を確認する。全てクリアー。


 残るは、年齢相応の頸椎異常の頸椎レントゲンを指示される。これも取り立てての異常はなし。頸椎の異常を起因とする諸症状の説明を受けるが、原因が突き止められた訳ではない。


 薬も注射もなしの診察は終わった。これで良いのである。最悪はほぼ否定された。


 数日を経た。まだ、痺れはある。ちょっと拡大している。自分で調べてみる事とした。ネットで大概の情報はある。


 症状に最も合点がいく病名に、『手根管症候群(しゅこんかんしょうこうぐん)』がある。あのNHKの『ためしてガッテン』の取り上げられた病名だ。たまたま、観ていた。


 これは、死に至る事はないが、少々やっかいだなという想いが、去来した。何がやっかいかと言うと、根治は手術とある。もう一度、件の医師に再診断を乞うこととした。


 患者が、生意気にも病名を告げて診察を求めるものだから、医者もやりにくそうなのは百も承知だ。しかし、こちらも言う権利はない訳ではない。こちらが商売で言えば、お客様であることは明確である。


 少し、重苦しい状況はない訳ではなかったが、そんなことはお構いなしに主張すると、否定はせず、その場で整形外科に予約を取ってくれた。そして、こちらの求めに応じて、せめて貼り薬を処方してくれた。有り難い。少しの気休めとなる。


 かくて、過日、整形外科の診察を受けてきた。


 結果である。


 『手根管症候群(しゅこんかんしょうこうぐん)』の兆候はなしとしないが、容態観察の時期、詳細検査も可能だが、致しますかとの言。無論、必要ありませんと返事した。それほど酷い兆候ではない、との自覚はある。


 そして、頸椎の椎間板検査はCT検査も出来るとのことであるが、それも、一応、現段階ではお断りした。それも整形外科医師は納得の表情であった。


 要するに、これで一応の診察は終わりと言うことで、気休めの貼り薬を少々多めに処方して頂いて、医療センターを後にしたのである。しばらくは通う必要はないだろうとの結論である。締めて期間10日間、4500円(健康保険負担は除く)であった。安いものだ。


 痺れはまだある。しかし、拡大する兆候はない。一定の安心の所為か、少し、気に掛からなくなったのは不思議と言えば不思議だ。その内に和らぐだろうとの確信が芽生えた。根詰めの解消と、体操を心掛けようと誓った。一度、針と整体でも試みるに限る。


 生身の身体は、好不調は誰にでもある。それは仕方のないことだし、ある意味で警鐘でもある。ブログの執拗な書き込みも一因があるのかも知れない。と思いながら、それを題材に書いている自分に苦笑する。


 長々と書いてきたが、言いたいことは一つである。


 肉体は一つの機関であるから、いずれ、くたびれ果てる。その時が死である。肉体を捨てる時だ。それまでは大事に扱いたいと思う。したいことを思う存分して、出来れば少しは役に立てたいと思う。家族に於いては、一応、少しは頼りにされている。

 

<あと3日!!>

 

 医者に行くことは滅多にないものであるから、ひどく心配をかけた。別に医者が嫌いだとか、苦手などはないのである。大方はその必要がないのであるから、行くことは極めて少ない。しかしながら、行く時は言われなくても行くのである。


 想定される事態が仮に外れても、予見される時には最悪を考えて行動する。これは周りには異常事態と写るらしい。それは責任上そうせざるを得ない。そして、大安心を得れば、遙かに安い損得勘定と言うことになる。


 細君のすすめる、とある整体師に、一度、お世話になった。これがいわゆる治療という治療の初めてのものだ。これは効いた。気持ちが良かった。もう一度、二度お世話になるとすっかり、治る気がしている。間違いあるまい。