飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その102

2011-07-01 18:52:44 | 物語

山上の垂訓(終り)。道徳規範の結び。キリスト者カペルナウムに帰る!! 


 いわゆる山上の垂訓は終わる。なんともすががすがしい。はたして、如何だろう?  

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 <無題・・・・・・。

 

 ひとにより捉え方は、様々だろう。それをどうこうするつもりはない。又出来ない。すがすがしく受け取る者もいれば、慚愧の念を感ずる人もいるかも知れない。いずれであれ、感ずる人は幸いであろう。魂に届いた証拠でもある。せせら笑う人もいるかも知れない。なにをか況(いわん)や!


 人は慈悲により、自由を与えられている。と思う。であるから、如何なる思いも許される。課程の途上に居るのが人間だ。しかし、必ず、終わりが来る。終わりというのは、肉体を離れ、魂そのものになる時のことである。ある人は、それを死と言い、全ての終わりだと考えているが、肉体の終わりには違わないが、全ての終わりではない 


 裁判官はその時の魂の奥にある真の自己だ。神性にして真実の自己、自己と言うには語弊もあろうが、生命の本質である。これは誰にでもある。それが裁く。裁くというのが他己的というなら、言い換える、識別する。これが懺悔である


 その時、納得が行くなら、すがすがしいであろう。反省するなら、慚愧の念が生ずるだろう。いずれにしても魂に響いた証拠だ。その時、新たに生きる。価値ある人生であったと言えるであろう。 


 あざ笑う者よ。なんじは豚に真珠、猫に小判である。


 人生に悲観する必要はないのだ。真実は一つしかない。相対の世界(コメント氏からも、貴重な議論があったが・・・)、まさしく、この肉の世界は相対の世界である。好き、嫌い、難、有り難し、喜、怒、哀、楽、終、始、・・・・・きりがない。その中で己を見つめる機会を得たのだ。


 価値とは何か? 相対の中にあっては、肉を喜ばせるものが価値がある。それは至極当然だ。誰しもだ。しかし、それが本当か? 問う者がいる。それが魂の存在だ。一生問わないものもいる。魂が眠っているか、存在を否定している者だ


 絶対的価値というと、大仰な! と言う声が聞こえる。常に価値は相対的であると言う、声が聞こえる。本当にそうか? ならば、問いたい。 幸せか? 幸せと感ずる人は、絶対価値をこころに抱いている。嬉し、ヤッターは所詮、相対的価値の範疇に居る人だろう。哀し、悔しいが同居しているはずだ。こころに問うてみたまえ。


 信仰とは、絶対的価値を認めるところから始まる。それは、洗脳されることでもなく、静かにこころを内省し、存在の確認を求め、生きている不思議を素直に受け入れることだ。神と呼ぼうが、宇宙と呼ぼうがそんなことは自由だ。しかし、人間は生きているのは、生かされていることに他ならず、明日の我が身を誰一人として決定できる者が居るだろうか?


 必ず、死ぬ。生まれると言うことは、死ぬことを決定づけられている。それを制御できる人は居ない。そして、死ぬと言うことは、『往生』することで、無に帰することでは決してない。自殺は単に次元を異にすることに過ぎず、現時点の心境を固定化する最も愚かな行為である。


 ついでに書いておきたい。人間は死ねない。自殺はその事を知る、短絡で身勝手な行為となる。理由の如何を問わず、そうなる。それを知るのはその行為者そのもので、誰もそれを止める手だてはない。如何なる事由も、全ては魂の課程の糧だと言うことを堅く信念する必要がある。


 

山上の垂訓(終り)。道徳規範の結び。キリスト者カペルナウムに帰る。



 生命の果実は、肉の心を養うには良すぎる。飢えた犬にダイヤモンドを投げてやれば、見よ、犬は逃げて行くか、怒って人に咬みつくかであろう。


 神に良い香気はベルゼブルには不快である。天のパンは霊の生命の分からない人々には籾殼(もみがら)に過ぎない。教師はかしこくて、塊が消化の出来るもので、これを養ってやらねばならぬ。


 すべての人々に与えるだけの食物がないなら願い求めるがよい。そうすれば与えられる。熱心に求められれば見出す。ただ聖言(みことば)を言って叩けば戸は開く。


 誰でも信仰によって、求めて与えられなかったことなく、求めて無駄なことなく、正しく叩いて門の開かないことはなかった。人々が天のパンをあなたがたに求めたら、これを振り棄てたり、肉の木の果実を与えてはならない。


 もし息子がパンを求めたら、石を与えるだろうか。魚を求めたら、塵(ちり)の蛇を与えるだろうか。あなたがたが神から与えられたいと思う物を人々に与えるがよい、あなたがたの人としての価値のはかりは、人に対する奉仕のはかりによって定められる。


 完全な生命(いのち)に行く道はあるが、一度にこれを見出す者は尠(すくな)い。これは狭き道で、肉の生命の岩や陥坑(おとしあな)の間を通るが、しかしこの道には陥坑(おとしあな)も岩もない。


 悲惨窮乏に行く道がある。これは広い道でここを歩む者は多い。これは肉の生命の快楽の森のなかを通る。注意せよ、世には死の道を歩みながら、生命の道を歩むと主張する者が多い。


 しかし、彼らは言行ともに偽りで、にせの予言者である。本当は狼が羊の皮で身をつつんでいる。長くは隠せない。人々はその果実によって分かる。いばらから葡萄を集めたり、あざみから無花果(いちじく)をとることは出来ない。


 果実は木の娘で、子は親に似ている。善き果実を結ばない木は根こそぎ引き抜かれて捨てられる。


 長く声張りあげて祈るからとて、その人が聖者である証拠(しるし)ではない。折る人がすべて魂の国にあるとは限らない。清き生活をいとなみ、神の聖意(みこころ)を行う人は、魂の国にすまう。


 善き人は心の宝から全世界に祝福と平和を送る。

悪しき人は、希望と歓喜を枯渇(こかつ)させる思想を送り、悲惨と呪詛(のろい)を以て世のなかを満たす。

人は心に満ち溢れるところから、考え行い語る。


 裁判の時が来れば、人々は群をなして、自分たちのために嘆願しようと出頭し、言葉によって裁判官の好意を買おうとする。そして彼らは言う、『見よ、われらは全能者の名に於いて、多くの働きを行ったではありませんか。悪霊につかれた人からこれを追い出したではありませんか。


 予言しなかったでしょうか。色々な病気をいやさなかったでしょうか。悪霊につかれた人からこれを追い出さなかったでしょうか。』


 その時、裁判官は言うだろう、『わたしは知らない。お前たちは、心ではベルゼブルを拝しながら、言葉で神に奉仕した。悪人は生命の力をしぼり出して、多くの大きな仕事をするかも知れぬ。おまえたち悪をなす者よ、立ち去れ』と。


 生命の言葉を聞いて、これを行わない者は、砂の上に家を建てる人のようなものである。大水が出れば流されて、みんな無くなってしまう。


 しかし、生命の言葉を聞いて、正しいまごころでこれを受け入れ、その上これを秘めおさめて、清き生活を送る者は、岩の上に家を建てる人のようなものである。大水がいで、風が吹き、嵐が家に打ちつけても、家は動かない。


 行って真理の堅き岩の上に家を建てるがよい、そうすれば、悪しき者が来て、全身の力を振っても、これをゆり動かすことが出来ない。」


 かくて、イエスの山上の垂訓は終わった。それからイエスは十二弟子と共に、カペルナウムに帰っていった。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百一章 山上の垂訓(終り)。道徳規範の結び。キリスト者カペルナウムに帰る。


1)生命の果実は、肉の心を養うには良すぎる。

2)飢えた犬にダイヤモンドを投げてやれば、見よ、犬は逃げて行くか、怒って人に咬みつくかであろう。

3)神に良い香気はベルゼブルには不快である。天のパンは霊の生命の分からない人々には籾殼(もみがら)に過ぎない。

4)教師はかしこくて、塊が消化の出来るもので、これを養ってやらねばならぬ。

5)すべての人々に与えるだけの食物がないなら願い求めるがよい。そうすれば与えられる。熱心に求められれば見出す。

6)ただ聖言(みことば)を言って叩けば戸は開く。

7)誰でも信仰によって、求めて与えられなかったことなく、求めて無駄なことなく、正しく叩いて門の開かないことはなかった。

8)人々が天のパンをあなたがたに求めたら、これを振り棄てたり、肉の木の果実を与えてはならない。

9)もし息子がパンを求めたら、石を与えるだろうか。魚を求めたら、塵(ちり)の蛇を与えるだろうか。

10)あなたがたが神から与えられたいと思う物を人々に与えるがよい、あなたがたの人としての価値のはかりは、人に対する奉仕のはかりによって定められる。

11)完全な生命(いのち)に行く道はあるが、一度にこれを見出す者は尠(すくな)い。

12)これは狭き道で、肉の生命の岩や陥坑(おとしあな)の間を通るが、しかしこの道には陥坑(おとしあな)も岩もない。

13)悲惨窮乏に行く道がある。これは広い道でここを歩む者は多い。これは肉の生命の快楽の森のなかを通る。

14)注意せよ、世には死の道を歩みながら、生命の道を歩むと主張する者が多い。

15)しかし、彼らは言行ともに偽りで、にせの予言者である。本当は狼が羊の皮で身をつつんでいる。

16)長くは隠せない。人々はその果実によって分かる。

17)いばらから葡萄を集めたり、あざみから無花果(いちじく)をとることは出来ない。

18)果実は木の娘で、子は親に似ている。善き果実を結ばない木は根こそぎ引き抜かれて捨てられる。

19)長く声張りあげて祈るからとて、その人が聖者である証拠(しるし)ではない。折る人がすべて魂の国にあるとは限らない。

20)清き生活をいとなみ、神の聖意(みこころ)を行う人は、魂の国にすまう。

21)善き人は心の宝から全世界に祝福と平和を送る。

22)悪しき人は、希望と歓喜を枯渇(こかつ)させる思想を送り、悲惨と呪詛(のろい)を以て世のなかを満たす。

23)人は心に満ち溢れるところから、考え行い語る。

24)裁判の時が来れば、人々は群をなして、自分たちのために嘆願しようと出頭し、言葉によって裁判官の好意を買おうとする。

25)そして彼らは言う、『見よ、われらは全能者の名に於いて、多くの働きを行ったではありませんか。悪霊につかれた人からこれを追い出したではありませんか。

26)予言しなかったでしょうか。色々な病気をいやさなかったでしょうか。悪霊につかれた人からこれを追い出さなかったでしょうか。』

27)その時、裁判官は言うだろう、『わたしは知らない。お前たちは、心ではベルゼブルを拝しながら、言葉で神に奉仕した。

28)悪人は生命の力をしぼり出して、多くの大きな仕事をするかも知れぬ。おまえたち悪をなす者よ、立ち去れ』と。

29)生命の言葉を聞いて、これを行わない者は、砂の上に家を建てる人のようなものである。大水が出れば流されて、みんな無くなってしまう。

30)しかし、生命の言葉を聞いて、正しいまごころでこれを受け入れ、その上これを秘めおさめて、清き生活を送る者は、

31)岩の上に家を建てる人のようなものである。大水がいで、風が吹き、嵐が家に打ちつけても、家は動かない。

32)行って真理の堅き岩の上に家を建てるがよい、そうすれば、悪しき者が来て、全身の力を振っても、これをゆり動かすことが出来ない。」

33)かくて、イエスの山上の垂訓は終わった。それからイエスは十二弟子と共に、カペルナウムに帰っていった。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 101

The Sermon on the Mount, concluded. The concluding part of the code of ethics.
The Christines return to Capernaum.

THE fruitage of the tree of life is all too fine to feed the carnal mind.
2) If you would throw a diamond to a hungry dog, lo, he would turn away, or else attack you in a rage.
3) The incense that is sweet to God is quite offensive unto Beelzebub; the bread of heaven is but chaff to men who cannot comprehend the spirit life.
4) The master must be wise and feed the soul with what it can digest.
5) If you have not the food for every man, just ask and you shall have; seek earnestly and you shall find.
6) Just speak the Word and knock; the door will fly ajar.
7) No one has ever asked in faith and did not have; none ever sought in vain; no one who ever knocked aright has failed to find an open door.
8) When men shall ask you for the bread of heaven, turn not away, nor give to them the fruit of carnal trees.
9) If one, a son, would ask you for a loaf, would you give him a stone? If he would ask you for a fish, would you give him a serpent of the dust?
10) What you would have your God give unto you, give unto men. The Measure of your worth lies in your service unto men.
11) There is a way that leads unto the perfect life; few find it at a time.
12) It is a narrow way; it lies among the rocks and pitfalls of the carnal life; but in the way there are no pitfalls and no rocks.
13) There is a way that leads to wretchedness and want. It is a spacious way and many walk therein. It lies among the pleasure groves of carnal life.
14) Beware, for many claim to walk the way of life who walk the way of death.
15) But they are false in word and deed; false prophets they. They clothe themselves in skins of sheep, while they are vicious wolves.
16) They cannot long conceal themselves; men know them by their fruits;
17) You cannot gather grapes from thorns, nor from the thistles, figs.
18) The fruit is daughter of the tree and, like the parent, so the child; and every tree that bears not wholesome fruit is plucked up by the roots and cast away,
19) Because a man prays long and loud is not a sign that he is saint. The praying men are not all in the kingdom of the soul.
20) The man who lives the holy life, who does the will of God, abides within the kingdom of the soul.
21) The good man from the treasures of his heart sends blessedness and peace to all the world.
22) The evil man sends thoughts that blight and wither hope and joy and fill the world with wretchedness and woe.
23) Men think and act and speak out of the abundance of the heart.
24) And when the judgment hour shall come a host of men will enter pleadings for themselves and think to buy the favor of the judge with words.
25) And they will say, Lo, we have wrought a multitude of works in the Omnific name,
26) Have we not prophesied? Have we not cured all manner of disease? Have we not cast the evil spirits out of those obsessed?
27) And then the judge will say, I know you not. You rendered service unto God in words when in your heart you worshipped Beelzebub.
28) The evil one may use the powers of life, and do a multitude of mighty works. Depart from me, you workers of iniquity.
29) The man who hears the words of life and does them not is like the man who builds his house upon the sand, which when the floods come on, is washed away and all is lost.
30) But he who hears the words of life and in an honest, sincere heart receives and treasures them and lives the holy life,
31) Is like the man who builds the house upon the rock; the floods may come, the winds may blow, the storms may beat upon his house; it is not moved.
32) Go forth and build your life upon the solid rock of truth, and all the powers of the evil one will shake it not.

33) And Jesus finished all his sayings on the mount and then he, with the twelve, returned unto Capernaum.

 【続く】


現代の『天の岩戸』開きに挑戦するアメノウズメ塾!!②

2011-07-01 13:10:39 | ブログ

アメノウズメとは天宇受賣命、
あの天の岩戸開きに貢献した女神で、
岩戸隠れした天照大神を引き出し、
世に光を取り戻した神話である。その②


 現代の岩戸隠れは、人々の心だ。マスゴミが岩戸で、洗脳がその手段だ。それを解く試みが始まっている。アメノウズメ塾amenouzumumeiさんだ。



 総じて、これまでの復習になろうが、知らなかった指摘も多い。



 9.11事件ばかりではない。洗脳はありとあらゆるところにある。それを見据えていると、何を隠し、何をしようとしてるかがかいま見えてくる。そして、それはほとんど犯罪である


貴方を洗脳から覚醒させるアメノウズメ塾④
http://youtu.be/EUSNIFDCkqM

貴方を洗脳から覚醒させるアメノウズメ塾⑤
http://youtu.be/RjjPSe-wzpE

貴方を洗脳から覚醒させるアメノウズメ塾⑥ブッシュの嘘
http://youtu.be/59SJCYU5zXE