それはインターネットの世界とその威力に
新しい視点をもたらすだろう・・・・・。
セミナーにも参加した!!
和佐大輔君、原田翔太君にも逢ってきた!!
彼らは本物で、ネット界の真のリーダーだ!!
今日から、『創造的破壊プロジェクト』第2弾が始まった。7月17日までの限定公開だ。はたして、それは何か? 論より証拠、食ってみれば分かる。つまり、会員登録して、無料のセミナーを視聴してみれば分かる。
それから先は、個人個人の判断だ。
17歳で1億円稼いだ車椅子の男からのメッセージ
http://youtu.be/I9uEkf0433w
ところが、一年前からフォーカスし、2月に紹介をした立場から、3月には『創造と破壊セミナー』に参加実践した責任から、少し、解説をしたい。
彼らは、実に若い。だから、君付けで書いたが、尊敬の念は変わらない。『老いては、子に従え』という言葉があるが、ある意味で重要な意味合いを含んでいる。
『創造』は若者の特権だ。それが、
『破壊』とまで言い出すとは、一体、彼らは何者か?
最初、紹介した動機だ。セミナーに参加した動機でもある。
若者には固定概念がない。それが、『創造』の原動力だが、最近はそうでもない若者が多い。それは画一的洗脳教育が災いしている。しかし、インターネットはそれを無視して、全く新たな世界を提供する。
これは投稿者も経験しているから、はっきりと言える。
だから、素直に触れてほしい。何かを買えとか、入会して信者になれという意味ではない。実際、投稿者は何も買わず、信者でもない。しかし、彼らには大変多くの学びを得た。感謝している。
そして、今度はそれを拡散する責務を感じている。また、それを活かして、彼らには遠く及ばないかも知れないが、ビジネスにも大きく活かされつつある。これは真実だ。
要はこういう事である。世界は人で成り立っている。コミュニケートはあらゆる分野の基本だ。それが瞬時に、多元的にコミュニケートできる手段が、インターネットである。
インターネットは危険な部分もあると言うが、それは対応するその人自身で決まる。炎上もするが、決定的拡散力は炎上以上に絶大だ。それを活かすのはその人自身である。ビジネスならば、決定的拡販力はインターネットで達成される。
今では、これを抜きにしてビジネスを語ることは出来ない。これを抜きにして、表現方法を語ることは出来ない。しかし、それは少しの学びを必要とする。それも、正真正銘の手本が必要だ。
多くの手本が世の中にはあるが、多くのバイアスが掛かっている。バイアスというのは、偏りという意味で、意図的に誇張されている場合が多い。ペテン師の言うことは、バイアスの固まりだ。多くのネット情報(コンテンツ)には、多くのバイアスがある。広告は話半分というのが世の常だ。
彼らの情報にはそれがない。事実しか語られない。実際、セミナーに参加し、この目で逢っているから、言える話である。
そう言う意味で、最高の手本となるだろう。それを学ぶか否かは、個人の自由だ。実践するかどうかも、他人の出る幕ではない。自身で決定する問題だ。
手本は、学ぶ上での近道だ。事実の即した良い手本は、何よりも早く世界を広げるだろう。
経済的自由のために活用するのも、良いだろう。表現力の拡大には、インターネットをおいて、右に出るものはない。単に受け身でインターネットを活用したい向きには不必要かも知れない。それでも、知っている価値は大きい。
少なくとも、正しくインターネットを受け入れる素養が身に付く。これからの時代、それは重要な課題だ。ネットスキル(能力)は、個々の人間関係作り以上の意味合いを持ってくるだろう。
良く引きこもりが、問題になる。しかし、敢えて言おう。引きこもりが問題なのではない。孤独が問題なのだ。弘法大師も引きこもって悟りを得た。つまり、宇宙と繋がったことが悟りだ。
そこまでは言わないが、ネットで世界と繋がる。その他大勢と繋がる。顧客と繋がる。読者と繋がる。これで引きこもりであろう筈がない。
この事は、当てもなく、炎天下でさまよう営業マンの数百倍のビジネスを成立させることは、インターネット引きこもりが可能なのだ。事実、和佐大輔君は、身体障害者でありながら、身を立て、家族を率い、大勢の人々のリーダーシップを果たして居るではないか。
この事実からしても、手本となるであろう。
原田翔太君にも逢った。彼は理論家だ。雄弁家だ。そして、多くの書籍も著している。若干27才だ。普通の茶目っ気のある気さくな青年だ。誰でも親しくなれる。
創造的破壊プロジェクトプロモーション2nd
http://youtu.be/KHD6eUBfpKs
彼らは本音しか語らない。事実しか語らない。だから、本物である。
セミナーを受講した限りにおいて、インターネットの技術的問題は重要ではない。重要なのは、それに対する姿勢であり、考え方だ。人間関係において、社交技術が重要ではなく、人間に対する姿勢・考え方が重要であるのと同じである。
ネットの先には、同じ人間が無数に存在するのである。同じだ。只、それは個々の人間に対する関係性より、ある意味、よりシビアーである。大数は個々の事例のように弁解が効かない。その意味で、これを活かすか殺すかは、大業を為すか、無視されるか大きな差が生ずる。
成功するか否かのチャンスである。