飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

『創造的破壊プロジェクト』を紹介する目的と意義!!

2011-07-08 15:58:21 | ブログ

『創造的破壊プロジェクト』を紹介している!!
その目的と意義について書いておこう・・・・。
何事も知ることは重要だ!
知れば、少なくとも世界が拡がる!
世界が拡がると、自由度が高まる!


 これは概念の話ではない。実際の話である


 例えば、『一億円』と言えば、空想の世界であろう。しかし、『100万円』と言えば、夢の話とは言えない。『10万円』と言えば、死活の話である。


 『3万円』と言えば、例えば、投稿者の小娘(16才)にとって、おいしいお小遣いの話だ。


 それぞれに人は概念を持っている。そして、その概念は実際を描き出す。この事は、言わずもがなだと誰しも否定はしないだろう。


 問題は、現在の実際をもって、あらゆる概念を否定しないことだ。現在は現在の概念から生み出されている。


 『創造的破壊』とは、常に固定概念を破壊しないと創造的概念は生まれないという原則を表している。


 自分を不幸だと思っている人は、その不幸概念を洗い出してみる必要がある。これは他人には出来ない。いろいろ、アドバイスは出来るだろうが、心の琴線に触れるアドバイスは極めて魂のすぐれた人物以外、困難だ。


 自分を貧乏だと思っている人は、やはり、概念に依る。しかし、これは比較的簡単だ。形振り忘れて、何でも良いから働けばよい。その機会は、現代社会において、あれこれ言わなければ無数にある。即日で解決する。


 ただ、好きなことをして貧乏を脱したいというなら、少し考えなければならないだろう。それには『創造的破壊』しかない。


 もう一つ、


 豊かになりたいと望むなら、『創造的破壊』を繰り返すことをお奨めする。何も紹介する『創造的破壊プロジェクト』に参加する事ばかりではないが、それも一つの方法であると断言して止まない。


 繰り返しになるが、『固定概念を破壊しないと創造的概念は生まれない。』というのは、一般的公理である。


 人は、思いが先で、行動が生まれる。


 良く『口は悪いが、心は良い。』等と言う向きがあるが、これはウソである。悪い言葉を吐くのは、心で悪いことを想念するからである。心が優しければ、語る言葉も優しい。


 さて、『創造的破壊プロジェクト』は紹介しているが、投稿者は実践している。その成果は間違いがない。その内、その成果をブログ上でも、報告できるかも知れないが、それはそれとして、先ずは虚心坦懐に拡散しているに過ぎない。別に和佐大輔君の、あるいは、原田翔太君の専売特許ではない普遍的原理だからである。


 ただ、彼らの『創造的破壊プロジェクト』プロデュースが確かである。その切り口が巧妙である。その演出は真似る(学ぶ)べき価値がある。それに尽きる。彼らはすこぶる若く、投稿者は遙かに年寄りだ。恥ずかしいほど年寄りだ。しかし、歳には関係がない。寧ろ、打算については、年寄りが年の功があるものだが、彼らは若く純粋である。


 ウソがない。


 好き嫌いは仕方がないので、嫌いな人には無理には奨めないが、実践するのは自分自身であるから、その価値を下げる話ではない。


 概念がその人の実際を創るというのは、間違いはないので、現在の概念に生きることを満足していない人なら、聞く価値があると言うことである。


 勿論、人生問題をテーマにした話ではない(賢く判断すれば同じなのであるが・・・)ので、幸不幸の問題は二の次として、インターネットを活用するマーケティングに限って、その驚くべきノウハウは他の似非マーケッターの比較にならない。本物である。


 旧来のマーケッティングについては、ビジネスに携わるものとしては、避けては通れず、少なからず研究もし、実践もしてきた。これはあらゆる職種についても不可欠の必須事項であろう。経営者なら尚更だ。しかし、時代は大きく変化した。


 旧来においては、所詮、力の差というものが歴然とその勝敗を決定した。つまり、金脈、人脈である。余り好きではないので触りはしなかった権脈というものがさらに大きく支配したであろう。それで苦杯をなめた人は多い。


 ネットではそれは皆無である。本当に皆無である。必要なものはスキル(手腕・技量)である。その事を彼らは実践した。その集積が『創造的破壊プロジェクト』には確かにある。


 今、ビジネスにおいて苦杯をなめていたり、将来への希望を見いだしていないのであれば、今すぐそこにあるから、拾ってほしいと思っている。


 そうして、


 『一億円を稼いだ男』を素直に学んでほしいと思っている。一億円があまりの法外ならば、年収をせめて公務員並に思考しても良いのではないか? 断言しよう。


 誰にも気兼ねせず、自由で好きな分野で、およそ数十分の一の実働でそれが可能であることを保証する。保証すると言っても、するのは自分自身だから自己責任ではあるが、そう言う世界がかいま見えるというのは間違いがない。


 今の今まで、個人がメディアを保持することは不可能であった。ネットならば可能だ。現在、このブログは連日数万人が目を通している。しかもほとんど無料でそれが実現している。過去にはそれは不可能だった。


 一所懸命、ビラ配りしても数十人止まりだ。詳細に説得活動しようとしたら、10人を越えることは出来ない。この違いがビジネスを変えた。しかし、その事に気付いている人は極めて少ない。


 と言うことは、今こそチャンスである。何の脈・権力を保持しなくても、直ちにチャンスをものにすることが可能だろう。その為のノウハウをいち早く掴むことは、何に増して重要なことと確信する。


 全ては、自分自身の概念に掛かっていると言うことだ。チャンスは概念を点検することから始まる!

 


不思議な少年!! その103

2011-07-08 14:21:20 | 物語

キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す!! 


 有名な話である。信仰とは、揺るぎない確信であって、拝むばかりが信仰ではない。 

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 <記事に無関係-巨大な太陽フレアー

 

 はたして、その信念を持つ信仰者がどれほど居るであろうか? 大抵はあわよくばの世界が過半であろう。 絶対への信念が信仰である。


 奇跡と言うが、絶対への信仰には、奇跡はない。その事が当然であるからだ。奇跡というのは、相対的な観点で、有り得ざる事が対極に想定されている。殊に現代はそれが多い。例えば、科学に対する信仰がそれである。科学は一つの見方であり、絶対的ではない 


 人は何故、生まれ、生き、死ぬか? 科学はその解を知らない。単にその有様を論理的に説明しようとするが、誰もその何故に答えられない。そこには絶対的な魂の意思が存在する。魂の意思とは、それに同通する神の意思でもある。つまり、生きようとする魂が生まれ、生き、死ぬのであって、科学はそれを解けない。 


 科学は、絶対的な意思が、物事の有様を説明しようとする一つの見方を提供しているが、言い方によっては全て、後付理論と言うことになる。在りて有るものは、既に在る。そして、起こり得べきものは、全て起こり得るのである。


 死者の蘇りも、魂が望めばそれはあり得る。スプーン曲げも、科学が説明に窮しているが、やはりあり得る。説明の手法が、一元的であるから、付かないのだ。


 時間と空間は、線形ではない。つまり、常に一定ではない。ある場では、超μセコンドで経過すると考えると、その場においては、金属も気長に塑性を起こすことが可能だ。一年360日もかければ十分だろう。他方、それはコンマ一秒でそれは為されたと見る者は、スプーンは一瞬にして曲がったり、断裂するかのように判断する。


 それを行うのは、魂の意思の念である。時間と空間は、絶対の意思(マトリックス) から投影されたスクリーン状の物語と観れば、納得できる。スクリーンと言っても、単なる2次元ばかりではない。言わすと知れたこの世界は3次元であるが、4次元も5次元もあると考えられる。 


 そう言う世界に科学は足を踏み入れた矢先に過ぎない。


 科学は信仰に対立するものではなく、信仰する世界から投げ与えられた一つのメソッド(方法)と考えることが至当だ。そのメソッド(方法)を過信した人間の思い上がりは、今頂点に立っていると考えられる。 


 思い(想い、念い)一つで世界は変わる。今、人類はその試金石の上に立っている。


 

キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す。彼らガリラヤ中に行き、教えまた病気をいやす。イエス、ナインでやもめの息子を生きかえらす。一同カペルナウムに帰る。



 十二弟子はイエスと共にその家に行って、数日すごした。イエスは今ここで書物に記されてふさわしくないような内的生活について多くの事を彼らに語った。


 さて、カペルナウムには、富めるローマの百卒長が住んでいた。彼はユダヤ人を愛し、そのために会堂を建ててやった。然るに、その僕(しもべ)が中風に罹り、死ぬばかりに苦しんでいた。


 百卒長はイエスのことを知り、かねてイエスが聖言(みことば)によって病人をいやすことを聞いて、これを信じていた。そこで彼はユダヤ人の長老にたのんで、イエスに伝言して助けを求めた。


 イエスは百卒長の信仰を認め、直ちに病人をいやそうとして出たが、百卒長は途中彼に逢って言った、「見よ、主よ、あなたがわたしの家にはいられるのはよろしくありません。わたくしは神の人の前にあるような立派なものではございません。


 わたくしは軍人で、屢々(るる)同胞の生命をとるような連中と一緒に暮らして参りました。確かに、もしわたくしの家の屋根の下に来られるなら、御身分をけがすでございましょう。


 ただ聖言(みことば)を賜わるなら、僕(しもべ)はよくなると思います。」


 するとイエスは振りかえって自分について来た人々に言った、「百卒長の信仰を見よ。これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない。饗宴はあなたがたの前に出ているのに、疑って手をつけないうちに、外国人が信仰を抱いて来て生命のパンを取る」


 それから百卒長に言った、「帰りなさい。あなたの信仰どおりになろう。あなたの僕は生きている。」イエスが聖言(みことば)を言ったその時、中風の人が起ちあがって元気になっていた。


 それからキリスト者は教えに出かけた。ヘルモン通りの町ナインに来ると、大勢の人々が門のほとりにいた。それは葬列であった。あるひとりの寡婦(やもめ)の息子が死んで友人たちがそのなきがらを墓に葬りに行く途中であった。


 死者はやもめのひとり息子で、母親は悲しんで気も狂わんばかりであった。そこでイエスは言った、「泣くんではありません。わたしは生命です。お子さんは生きます。」


 それからイエスは手を挙げたので、死者を運ぶ人々は立ち留まった。そこでイエスは棺に手をかけて言った、「若者よ、帰れ。」


 魂は帰った。死者のからだに生命が満ち、起き上がってもの言った。


 人々はこのありさまを見て驚き、神をほめよと叫んだ。ひとりのユダヤの祭司は言った、「見よ、大予言者が現われた。」すると人々はみなアーメンと言った。


 キリスト者は旅をつづけ、ガリラヤの町で教えまた病人をいやし、それから再びカペルナウムに帰つた。 


 

【宝瓶宮福音書:栗原 基訳】            


第十六部 イエスのキリスト者奉仕の二年目 


第百二章 キリスト者イエスの家に行く。イエス彼らに秘密の教義を示す。彼らガリラヤ中に行き、教えまた病気をいやす。イエス、ナインでやもめの息子を生きかえらす。一同カペルナウムに帰る。

1)十二弟子はイエスと共にその家に行って、数日すごした。

2)イエスは今ここで書物に記されてふさわしくないような内的生活について多くの事を彼らに語った。

3)さて、カペルナウムには、富めるローマの百卒長が住んでいた。彼はユダヤ人を愛し、そのために会堂を建ててやった。

4)然るに、その僕(しもべ)が中風に罹り、死ぬばかりに苦しんでいた。

5)百卒長はイエスのことを知り、かねてイエスが聖言(みことば)によって病人をいやすことを聞いて、これを信じていた。

6)そこで彼はユダヤ人の長老にたのんで、イエスに伝言して助けを求めた。

7)イエスは百卒長の信仰を認め、直ちに病人をいやそうとして出たが、百卒長は途中彼に逢って言った、

8)「見よ、主よ、あなたがわたしの家にはいられるのはよろしくありません。わたくしは神の人の前にあるような立派なものではございません。

9)わたくしは軍人で、屢々(るる)同胞の生命をとるような連中と一緒に暮らして参りました。

10)確かに、もしわたくしの家の屋根の下に来られるなら、御身分をけがすでございましょう。

11)ただ聖言(みことば)を賜わるなら、僕(しもべ)はよくなると思います。」

12)するとイエスは振りかえって自分について来た人々に言った、

13)「百卒長の信仰を見よ。これほどの信仰はイスラエルの中でも見たことがない。

14)饗宴はあなたがたの前に出ているのに、疑って手をつけないうちに、外国人が信仰を抱いて来て生命のパンを取る」

15)それから百卒長に言った、「帰りなさい。あなたの信仰どおりになろう。なたの僕は生きている。」

16)イエスが聖言(みことば)を言ったその時、中風の人が起ちあがって元気になっていた。

17)それからキリスト者は教えに出かけた。ヘルモン通りの町ナインに来ると、大勢の人々が門のほとりにいた。

18)それは葬列であった。あるひとりの寡婦(やもめ)の息子が死んで友人たちがそのなきがらを墓に葬りに行く途中であった。

19)死者はやもめのひとり息子で、母親は悲しんで気も狂わんばかりであった。そこでイエスは言った、「泣くんではありません。わたしは生命です。お子さんは生きます。」

20)それからイエスは手を挙げたので、死者を運ぶ人々は立ち留まった。

21)そこでイエスは棺に手をかけて言った、「若者よ、帰れ。」

22)魂は帰った。死者のからだに生命が満ち、起き上がってもの言った。

23)人々はこのありさまを見て驚き、神をほめよと叫んだ。

24)ひとりのユダヤの祭司は言った、「見よ、大予言者が現われた。」すると人々はみなアーメンと言った。

25)キリスト者は旅をつづけ、ガリラヤの町で教えまた病人をいやし、それから再びカペルナウムに帰つた。

 

【原文:The Aquarian Gospel of Jesus by Levi H. Dowling  


SECTION XVI

AIN

The Second Annual Epoch of the Christine Ministry of Jesus

 

CHAPTER 102

The Christines at the home of Jesus. Jesus unfolds to them the secret doctrine.
They go through all Galilee and teach and heal.
Jesus brings to life the son of a widow at Nain.
They return to Capernaum.

THE twelve apostles went with Jesus to his home, and there abode for certain days.
2) And Jesus told them many things about the inner life that may not now be written in a book.
3) Now, in Capernaum, there lived a man of wealth, a Roman captain of a hundred men, who loved the Jews and who had built for them a synagogue.
4) A servant of this man was paralyzed, and he was sick nigh unto death.
5) The captain knew of Jesus and had heard that by the sacred Word he healed the sick, and he had faith in him.
6) He sent a message by the elders of the Jews to Jesus, and he pled for help.
7) And Jesus recognized the captain's faith and went at once to heal the sick; the captain met him on the way and said to him,
8) Lo, Lord, it is not well that you should come unto my house; I am not worthy of the presence of a man of God.
9) I am a man of war, my life is spent with those who ofttimes take the lives of fellow men.
10) And surely he who comes to save would be dishonored if he came beneath my roof.
11) If you will speak the Word I know my servant will be well.
12) And Jesus turned and said to those who followed him,
13) Behold the captain's faith; I have not seen such faith, no, not in Israel.
14) Behold, the feast is spread for you; but while you doubt and wait, the alien comes in faith and takes the bread of life.
15) Then turning to the man he said,
Go on your way; according to your faith so shall it be; your servant lives.
16) It came to pass that at the time that Jesus spoke the Word the palsied man arose, and he was well.
17) And then the Christines went abroad to teach. And as they came to Nain, a city on the Hermon way, they saw a multitude about the gates.
18) It was a funeral train; a widow's son was dead, and friends were bearing out the body to the tomb.
19) It was the widow's only son, and she was wild with grief. And Jesus said to her,
Weep not, I am the life; your son shall live.
20) And Jesus raised his hand; the bearers of the dead stood still.
21) And Jesus touched the bier and said,
Young man, return.
22) The soul returned; the body of the dead was filled with life; the man sat up and spoke.
23) The people were astonished at the scene, and every one exclaimed,
Praise God.
24) A Jewish priest stood forth and said,
Behold a mighty prophet has appeared;
and all the people said,
Amen.
25) The Christines journeyed on; they taught, and healed the sick in many towns of Galilee, and then they came again unto Capernaum.

 【続く】