こういう話は、好きだ!!
だって、そうだろう、誰も自分の人生は、自分で決めると
思っているはずだ.......!
それが、今生に生まれた後だけに限定する必要は、さらさらない!!
『月日は、百(はく)代(の過客にして、行き交(こ)う年もまた旅人なり.....。』 松尾芭蕉の奥の細道の出だしである。まあ、原点は漢文から来たものの様であるが、好きな言葉だ。
意味は、言わずと知れた『光陰矢のごとし』と同義であろうが、それ以上に人生の儚さを感じさせる名文だ。本当に人生は儚い一瞬にしか過ぎないが、それを意識することは希である。芭蕉のように旅に明け暮れていると、自ずと感慨されることもあろうが、現代は甚だ少ない。
で、ついいつまでも人生があると錯覚してしまう。そして、その人生も投げ出されたものと錯覚する。人生は忘却から始まるから、そう思うのも仕方がないが、やがて、確実にその人生も終局を迎えることになる。これは正に確実である。
その時、人生とは何であったか? 考えるときは来るのである。
無常とは、摂理である。それを見失わないことが大切だ。その時、ふとよぎるものがある。自分とは何か? 『我思う。故に我在り。』とは、デカルトの有名な言葉であるが、これは主客転倒であろう。本当は『我在り、故に我思う。』が実際だ。主体がなくて、どうして思うことが出来ようか。
時を意識するのも、主体があるからであって、無常も常なるものがなくては、意識されない。意識する主体が人間であるなら、人間は常なる存在である。デカルトそうであったように、人間が肉体的なもの、物質にすぎないと誤解したところに、常なるものを見失った。
それだけのことだ。
死とは、肉体の消滅である。物質は無常なるものであるから、それは致し方ない。それでも意識する主体は存在する。それが魂と言おうが、なんと呼ばれようと関係がない。意識は常なるものから発する。それはおそらく永遠であろう。そして、それは生死を意識して在る。
当然の事ながら、生も意識して始まるはずであるから、選択されたものと言うことが出来る。只、うまく思い出されないというだけの話だ。死も選択される。自殺のことではない。自殺は選択と言えば選択かも知れないが、誤った選択である。
生が忘却であるなら、その程度の意識でしか今生を生きていない者が、死について正しい選択を出来様はずがない。せめて、はっきりと『人は自ら生を選んで生まれて来た』と意識する者が、死についても正しい選択が出来ると言える。
その意味で、『人は自ら生を選ん で生まれてくる』と看破する、ふるいちまゆみさんには、敬服の念を禁じ得ない。
前に生まれ変わりはあるかも知れないけれど
いわゆる輪廻転生はないと書いた。
い わゆる輪廻転生というのは因果応報カルマによる輪廻転生のこと。
これは権力者が権力を行使しやすいために
都合の良いように作ったもの、
人 は生を自ら選んで生まれてくると、書いた。過去記事はこれです。
輪廻転生・前世
魂の数
輪廻転生・前世 その2
輪廻転生の補足とゾンビ続 報先週、歯科医のS先生ともこの話になって先生もほぼ同意見だった。
同じ両親に生まれながら他の兄弟姉妹と性格 が違うのは
前の生を受け継いでいるからだとも言ったらうなづいていた。
人類の数が増えているのは魂の数はどうなるのか?
これだけ は相変わらず結果が出なかったけれど。いま読んでいる本に私の考えとそっくりなことが出てきた。
きょうはその部分を紹介します。無 意識が人生の展開に深く関わっていることを発見した
アメリカの精神医学の教授イアン・スティーヴンソン博士は
30年かけて前世の記憶を持 つ子供たちの調査、分析をした人で
罪を罰せられるいわゆる因果応報カルマを示す明白な証拠は
一切見出せなかったと言っている。生 まれ変わりについてスティーヴンソン博士こう語っている。
「これ らのケースから得られた証拠で判断する限り、
私たちの行いに ついて外から審判を下す者はいないし、
功徳や善悪の報いに応じて私たちを転生させる存在もいないということになる。
もしこ の世界がキーツの言うように『魂のつくられる谷間』であるとするなら、
その魂を作るのは私たち自身なのである。」『魂 の作られる谷間』以外は、私が言っていることとそっくりでしょ。
キーツという人をまったく知らないので、
世界が『魂のつくられる谷間』の 意味がわからないけれど
勝手に解釈して、私たち人類がが新しい魂を作るということになるなら
魂が増えて人類の数も増えることになる。
子 供を生むように魂も生むのかも知れないね。更に生まれ変わりで物質面の状況は大きく変わることはあるけれど
性格、考え 方、能力、価値観、行動などはそのまま受け継ぐことが分かったとある。人って似たようなことを繰り返すし、性格も癖もなかなか変わらない でしょ。
要はこれを生まれ変わりでもやっていることになるんでしょう。そして更に現在の肉体の形や造りにも影響を与える場合があ ることもわかったそう。
(肉体の造りに関しては数百例を集めたとある。)
それに関してこう語っている。
「前世で刻印された傷は、生と生の間を、身体の延長とも言えるような何かに乗って
運 ばれるに違いない。そしてつぎにこれが、前世での肉体の傷に相当するあざや
奇形を新しい肉体の上につくりだす型板として働くのである。」そ して更に全体運動的なことも言っている。
「胃の中で行われる夕食 の消化、呼吸を制御しているものよりもずっと深い
レベルの精神活動が、これらのプロセスを司っているに違いない。」ス ティーヴンソン博士は感情に囚われず綿密で徹底した調査を行う人で
予想外のところから高い評価を受けている人みたいです。
ネット検索した ら最近亡くなられたようですね。このスティーヴンソン博士の生まれ変わりの話が
商いに都合の良いように悪利用されなければいいけ れど。
ネット検索するとすでに悪利用されているのがみえてくる。人は自ら生を選んで生まれてくる。
これを実感できると、縛り付けられて いるものから、
自らを縛り付けている大きなものから
一気に開放されるでしょう。【転載終了】