飄(つむじ風)

純粋な理知をブログに注ぐ。

不思議な少年!! その1

2009-02-06 12:09:43 | 物語

アカシック・レコード

 すべての出来事は、水面に投げ入れた石が、波紋を広げるように静かに、しかし、確かな痕跡を宇宙に響かせていく。やがて、跡形もなく消えたように見えるけれども、その響きはかすかであれ、永遠になくなるわけではない。ただ感知出来るか、出来ないかの差が生ずるのみである。

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 人間に感知出来ないからと言って、なくなったのでは決してない。それが証拠に、現代においては、磁気記憶なるものが、数々の情報を格納する時代になった。それは時と共に、より精妙に、より大量に、より永く格納することが出来る。磁気も水面の波紋と同じで、やがて減衰していく様であるから、やがて、感知出来ないようになる。いわゆる、記憶(データ)の消滅である。


 しかし、なくなったのであろうか。そうではない。優秀な感知機器が登場すれば、それらは蘇らせることが出来る。それを待たないまでも、消滅を防ぐのは、絶えずバックアップを繰り返し、磁気を強めるか、あるいは、メディアを変えて光ディスクに書き込みという方法もある。


 とにかく、一旦生じた出来事は、情報として何時までも保持することが出来るようになりつつある。


 はたして、この事は人間の創作であろうか。それとも宇宙に元々備わっている機能であろうか。


 水面の波紋は、平面であるけれども、実は、四方八方あまねく響き渡っている。そして、減衰はするが、消滅することはない。何時までも永遠に宇宙を響かせている。


 このように、すべての出来事は振動となって、宇宙にその痕跡をとどめていると見ることが出来る。それは単に、物理学的な目に見える、あるいは五感で感知出来る振動ばかりではない。思いも振動である。すべての森羅万象は、発したその刹那からバイブレーションとなって宇宙に響き渡っていると見ることが出来る。それらは永遠に消えることはない。


 やがて、新たな出来事が、矢継ぎ早に起きてくるので、それらに打ち消されて感覚から消え失せたように見えるだけである。それが忘却である。しかし、それらすべては、空間にバイブレーションとして存在する。


 もしも、それらを精妙に感得出来るとすれば、再現することが出来る。


 アカシック・レコードとは、その事である。正確には《アカシックレコード (Akashic Records) は、宇宙や人類の過去から未来までの歴史全てが、データバンク的に記されているという一種の記録をさす概念。アカシャ (Akasha) とはサンスクリットで「虚空」、「空間」を意味する。出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』》という。


 別名、神の記録書ともいう。


 確かに、存在する。存在しないわけがない。数時間前の記録は言うに及ばず、数千年前の記録もその中にはある。些細な記録も、歴史上偉大な記録も、そこにある。個人的な記録も、公の記録もそこにある。そして、山奥の落ち葉の熟れ落ちる記録も、天変地変の記録もそこにある。


 東洋では、古に『天網恢々、疎にして漏らさず』と言った。同じ事だ。


 石や、紙に書かれた記録は、それらが朽ち果てると失われるけれども、このアカシック・レコードの記録は決して朽ち果てない。すべては忘れることは出来るけれども、無くすることは出来ないのである。


 この記録から、読み解かれた物語が、これから書こうとする『不思議な少年』の物語である。一笑に付される読者もおられるであろう。それは自由である。それも含めて、確かな記録として、アカシック・レコードに記録されるであろう。同時に、戯言(たわごと)を語る、筆者の記録もそれを避けることは叶わない。(続く)