投稿 : 2月17日 宮古新報社・2月19日 宮古毎日新聞社
軍隊は住民のいのちを守らない今昔物語
人のいのちには限りがあります。ほんの数十年、一度きりの人生を、あなたは誰と、どこで、どのように生きたいですか?すべての国の子どもたちをどんな環境で育てたいですか?
1947年8月、文部省(当時)は『あたらしい憲法のはなし』の中に「人間らしい生活には、必要なものが二つあります。それは『自由』ということと、『平等』ということです。人間がこの世に生きてゆくからには、じぶんのすきな所に住み、じぶんのすきな所に行き、じぶんの思うことをいい、じぶんのすきな教えにしたがってゆけることなどが必要です。これらのことが人間の自由であって、この自由は、けっして奪われてはなりません。また、国の力でこの自由を取り上げ、やたらに刑罰を加えたりしてはなりません。そこで憲法は、この自由は、けっして侵すことのできないものであることをきめているのです」(七 基本的人権)と記しました。
しかし、時に人の歴史は、人の生活の自由を奪い、戦争で殺し合うことをよしとしてきました。また、戦争は最大の環境破壊でもありました。戦争と、戦争に至る国家間、国家内緊張は明らかに政治の失敗です。政治の誤りに対して見て見ぬふりをすることはできないと思うのです。
今、宮古島は、国の軍事力競争の舞台にさせられています。2月7日付琉球新報に「離島防衛の実態」という記事が掲載されました。筆者である渡名喜守太氏は自衛隊の隊内紙に注目し「(自衛隊の想定する)敵は上陸に際して相当の火力を使用すると予想されるため、作戦に必要な装備をして海上の敵艦船に対するミサイル攻撃を行う部隊や、流動的な戦闘を島内で行う(以下、傍点は川浦)ことから敵火の中でも『残存』できる防護能力と火力を備えた機動歩兵戦闘車の必要性を説く。わたしがここで強調しておきたいのは、自衛隊の中では住民の生命の安全については一顧だにされていないことである」そして陸自幹部が「住民混在の中で行うと明言している」と書いています。私たちはのいのちは沖縄戦同様にこんなにも軽く扱われているのです。PAC3騒ぎを想い出しました。あの時「住民はミサイルや破片落下物を見たら自分で逃げてください」という新聞報道しかありませんでした。
F15戦闘機を下地島空港に配備し、その後に米軍がオスプレイとともにやって来ると、島の生活は確実に変わります。他府県からの転勤族自衛官や米軍の兵士が、毎年、何百人と入れ替わる落ち着かない地域生活。学校の窓は二重サッシになり、風の心地よさも鳥の声も聞こえない教室で、爆音と落下物と犯罪に怯えて暮らす子どもたち。この海と空に、迷彩色の軍服と戦闘機が跋扈し、その戦闘機の行き先では市民や子どもが攻撃対象になっています。
私たち市民が望むのはどんな生活であり価値観なのか、今、沖縄の歴史と政治を学び行動しなればいけません。それは害のない食品を子どもに与えるのと同じように、おとなとしての大切な役割です。2013年2月24日(日)の午後1時半~4時半から宮古島市中央公民館の野外広場(晴天の時)または大ホール(雨天の時)にて話し合う場をつくりました。ぜひ一緒に、戦争だけは決してさせないための動きをつくっていきましょう。
愛す(かなす)宮古市民ピースアクション実行委員会委員 川浦 弥生