宮古毎日新聞の企画欄、私見/公論に、先々週、渡久山明という方が『「シナ」等の貝類の増産を期待する』と題して、子どもの頃の豊かだった海、宮古島の自然について書かれていた。亜熱帯と日本海、雰囲気はずいぶん違うが、私も漁師の息子、身体に障害を持つことがなければ父のあとを継いでいたと思うので、興味深く読んだ。
あとを継ぐといっても、私が成長する頃には海はすでにその豊かさを失っていた。季節によって沿岸で、アワビ、サザエ、ウニ、ワカメ、夏はモズクや釣りなど、父は船の上からの漁だったが、他の多くが海士漁で、とくにドライスーツが出てきてからは乱獲が始まる。折しも高度成長期、市場が広がるにつれて漁民のモラル低下に拍車がかかり、加えて環境汚染で水質や大気の状態が悪化、大規模な松の植林も壊滅した。
そのころ、上関だけでなく、山口県のあちこちに原発建設の話があり、後継ぎのいない父など、海が高く売れると、期待するようなことを言っていた。そのひとつが豊北町(現・下関市)は反対運動で原発の話は立ち消えとなり、いまでは角島という島に橋が架かり、本州最西端の地として観光客が押しかけているという。もし原発ができていたらあり得ないことだ。
その前の同じ欄で沖縄の戦後について読ませてもらった。自然が売りの沖縄でも同じようなものか。高度成長期に大きくなり、日本経済にのっかりいまの生活のある自分も加害者の一人なのだろう。渡久山氏は「50年前のことを言ってもしょうがないと思いますが」と前置きされているが、おなじことをいまの子供たちに言わせてはなるまい。
ところで「シナ」というのはどんな貝なのか、味わってみたいものだ(普)