平和を創り出す宮古ネット通信

宮古島の平和を願う3人の市民が始めたブログ。平和を阻む政治状況とたたかう市民の行動を載せる。美しい自然、環境問題も。

残された時間

2018-06-09 11:36:02 | 南の島のなまなぬら日記
 前から思っていたことだが、昨年末から体調を崩し、やむなく4日ほど入院するなどいろいろあって、診察を受けた限りでは異常はなかったが、これから残された時間がどれだけあるかわからないが、絵を描きたいと。

 二十最代、三十歳代はせっせと県美展や上野に出品していた。だが、絵の大きさも100号、200号の世界で。お金もかかり、体力もいる。どうせ中央画壇とやらでやっていくことはあり得ないので、描きたいものを描けばいいと思い、公募展への出品はやめた。

 それからはほかにやることもできて10年間、発表活動もやめた時期があったが、大阪で気に入った画廊があって、個展を再開。宮古で作品展示の機会があって、なぜか8年前から宮古島にいる。

 今年度からこれまでやっていたことを引き継いでもらえたので、これから何年か絵が描ける。名を残したいわけではないが、もう少しましな絵を描かないと、化けて出そうな気がする。


*今日からこのブロブをホームページに埋め込みます。前の日記は何度か移転したので更新できなくなったしまいました。

 前の日記はこのアドレスで見れます。

《復刻・ぬらなま日記》

また十字架につけるのか

2018-04-02 14:33:44 | 南の島のなまなぬら日記
 新年度を迎えるのを機会にこのブログを衣替えしようと思っていたら、この記事が載った。イースターの朝に。銃剣とブルドーザー、とまではいかないにしても、巨大な権力が巨大な暴力によって基地をつくっていくのは、米軍だけではないらしい。この記事も既成事実をつくって住民のあきらめを誘う情報操作の一環であろう。何度でも言うが、勝たなければならなかった市長選、勝てる選挙を、分断によって負けたことが何といっても大きい。私も年末から体調を崩し参加できていないのだが、何もしない言い訳に、毎朝、抗議のスタンディングに立つ人たちに対して、「拡声器で大きな声で怒鳴る怖い人とは一緒に立てない」というデマも流れているという。私など住民説明会にいくと、防衛局の人間に同じヤマトゥとして心の底から怒りを覚える。そういう上品な人たちは本当に怒ったこことがないのだろう。

 ローマ帝国という巨大な権力によって十字架につけられたイエス。その十字架の下には無関心な者、嘲笑するもの、ののしるものがいた。究極の孤独な十字架。野原の住民を孤立させてはならない。

2018-04-01 宮古毎日新聞