人類が誕生して間もない頃のことであった。奈良県の天理市あたり翁(おきな)と媼(おうな)がいた。契りを交わして三十年が過ぎても子供を授からずにいた。前世は人間ではなかったであろうが、きっと、悪行を重ねていたに違いない。だからこのような報いを受けるのだと、嘆き悲しんでした。
ただただ、毎日瓜をせっせと育てるばかりであった。
ある日、畑に行くと食べてしまうには惜しいほどの美しい瓜を見つけました。翁(おきな)は家に持って帰ると媼(おうな)に言いましたた。
「この玉のように美しい幼子がいたらどれだけうれしいだろうか」
「ほんにまぁ、食べるのが惜しいわい」
「同じことを考えておるわ」
ふたりはもいだ瓜を戸棚にしまっておくことにしました。
その晩、寝ていると戸棚から物音がしたのです。どうしたものかと、翁(おきな)が戸を開けると、なんともかわいらしい姫君がいました。
「ばあさん、これはいったい」
「瓜から生まれたんですよ。わたしたちが子供のように大事に瓜を育てたから、前世の悪行をお許し下さったのでしょう」
姫君は日が経てば経つほどに美しくなりました。姿顔立ちのみならず、人柄も文才も知恵もこの世にないほど優れていました。
噂を聞きつけた国の守護代は后にしたいと、手紙で申し立てました。翁(おきな)と媼(おうな)は大変喜び、支度をはじめました。
「いいかい、人さらいにあったら困ったことになる。扉は開けてはならないよ」
翁(おきな)と媼(おうな)はたっぷりと念を押して出かけました。
近所に住む世にも醜い女・天探女(あまのさぐめ)がいました。同じ貧しい家の者でありながら、美しい女だけが幸福になれるのは不公平に思ったのです。それに、あの女は瓜から生まれたというではないか。天探女は他人の、特に美しい女の、幸せは我慢ならなかったのです。
天探女(あまのさぐめ)が来て、「美しい花の枝を差し上げよう」と言うので、瓜姫は戸を開けました。天探女は瓜姫をつかまえて遠方の高い木の上に縛り付けたのです。そして瓜姫の着物を着て、自分が守護代の嫁になろうと企みました。
天探女(あまのさぐめ)は顔を隠して迎えの篭屋に乗りました。瓜姫を見つけないように、遠回りの道を教えたのですが、篭屋は間違った道を来ていたのです。上の方ですすり泣く声が聞こえてきました。篭屋が本物の瓜姫を見つけると、醜女の正体は天探女(あまのさぐめ)とばれたのです。
「こんな女と間違えるなんてひどすぎますわ」
もっともだと、迎えの者は瓜姫にわび、このことを守護代に秘密にしてもらうようお願いしました。迎えの者達は話しあい、天探女(あまのさぐめ)を始末することにしたのです。あまりの理不尽さに天探女(あまのさぐめ)は、女の武器を使って泣きながら「許してほしい」とすがりついて謝罪しましたが、男達の胸をうつにはほど遠かったのです。
男達は天探女(あまのさぐめ)を容赦なくずたずたに切り裂きました。この世に醜い女が存在してはいけないと言わんばかりに……。そして、栗(くり)と蕎麦(そば)と黍(きび)の根本に埋めたのです。
それ以来、その三種の植物は根が赤くなるのだということです。
あまのさぐめ 【天探女】
記紀神話の神。天稚彦(あめのわかひこ)の従神。高天原(たかまのはら)から遣わされた雉(きじ)を天稚彦に射殺させた。一説に、後世の天の邪鬼(じやく)に関係づけられる。
三省堂 大辞林
古代人たちは、芽生え、生育し、実り、死に絶え、その屍体の中から再び芽生えるという、大自然の死と再生の営みそのものに、偉大なる大地母神の姿を見た。地母神は、殺害され、切り刻まれ、大地に撒き散らされることによって、人間の食べられる作物を芽生えさせた
この作物起源神話は、水田農耕を知らない世界の「古栽培民」の間に広く分布している。そして同じモティーフは、確かに日本の神話の中にも見出すことができるのである。
日本書紀では、一書に曰はくとしてツクヨミ(月夜見:月の神)とウケモチ(保食神:食物の神)との話を載せ、殺されたウケモチの頭から牛馬、額からアワ、眉から蚕、眼からヒエ、腹からイネ、陰部からムギと豆が化生した。アマテラスは、アワ・ヒエ・ムギ・マメを「陸田種子(はたけつもの)」、イネを「水田種子(たなつもの)」と区別し、この世の人間の「食ひて活くべきものなり」として、五殻の起源を説明している。
蛇足ながら、瓜は女性器の隠語であります。これもまた、寝所の御伽噺なのです。
したっけ。