今回は、「五人囃子」を描きました。
五人囃子が能楽と関係があるということを、今回初めて知りました。
能の構成は、シテ方・ワキ方・地謡・囃子方で構成されますが、このうち「地謡・囃子方」が五人囃子にあたるのだそうです。
🌸 囃子とは? 能・狂言・歌舞伎・長唄・寄席演芸など各種の芸能で、拍子をとり、または気分を出すために奏する音楽を指しますが、囃子は 日本の伝統文化でありユネスコ無形文化遺産でもある能楽の演奏形式の一です。 五人囃子は能楽を上演する場合の地謡一人と囃子方四名で構成されています。 補足) 能の構成は、シテ方・ワキ方・地謡・囃子方で構成されますが、このうち「地謡・囃子方」が五人囃子にあたります。
🌸 幕府と能楽と五人囃子 室町時代、観阿弥は、将軍足利義満の支援を得て、猿楽の芸風に田楽などの歌舞的要素をとりいれて芸術性を高め、さらに音楽面での改革をも行って、能楽を創始、大いに発展させました。この観阿弥の偉業を受け継いで今日まで伝わる「 能 」の芸術性を確立したのが、息子である世阿弥です。 幼い時から舞台に立っていた美少年の世阿弥は、若干12歳で将軍の寵愛を受けることとなり、その絶大な後援を得て能を一層優美な舞台芸術に高めました。
江戸時代になると徳川家康も秀吉と同じく、知行や配当米、扶持などを能役者に与えて能を保護し、地方の有力諸藩も幕府にならって一流の弟子筋の役者を召し抱えたのでした。こうした幕府お抱えの能役者の中には引き立てを受けて高い地位についたものも少なくありませんでした。このような背景もあり江戸を中心とした関東では雛壇に五人囃子や、さらには能楽の演目『鶴亀』『高砂』などの人形も飾られ人気を博しました。 |
したっけ。
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