久しぶりに、前々任校へ行ってきた。
7年間住んでいたいわきの現状を知りたかったからだ。
前任校には去年のうちに3回行ったし、メールや書簡でやりとりをしていたので、今回の訪問はパスした。
前々任校では、合唱部を4年受け持っており、私の後任を大学時代の同級生が務めている。
そして、私が1年生の時に担任した子達が、6年生になっている。
合唱部の子達にはお菓子の差し入れを購入したのだが、その後友人から
「教頭先生に連絡しておくね。」
なんて余計な連絡が入ったものだから、「学校にも手ぶらでは行けん!」と思い、急遽近所の果樹園にて桃を購入した。
6個入りで1000円也。
うーん、美味しそう♪
高速道路でいわきへ向かう。
晴天のドライブ日和。
写真は磐越道での一枚。
合唱の練習は、なかなかの熱血指導だった。
一応動画も撮ってきたので、YouTubeにこっそりUpしてみた。
練習後は、自分が担任した子達との雑談に花が咲く。
女の子との会話に飢えていたので、久しぶりにレベルの近い話が出来て嬉しかった。
(何せ、うちのクラスはオール野郎だからw)
やはり、6年生ともなると、ファッションに五月蠅い。
女の子達の一押しは、ハニーズとユニクロだった。
友人と昼食後、被災地を案内してもらった。
友人の車で移動の為、写真は少ししか撮れなかった。
大震災直後はがれきの山だったそうだが、今はすっかり片付いているとのこと。
やや消化不良気味だったので、友人と解散後、北上することにした。
福島第一原発20キロ圏内ぎりぎりまで、近づいてみようと思ったのだ。
途中、四倉の道の駅へ立ち寄った。
ここは2年前、両親と来たところだ。
座礁した船や、壊れた建物など、津波の脅威をひしひしと感じた。
そして、更に北上し、「緊急時避難準備区域」の広野町へ。
Jヴィレッジ(原発事故収束の前線基地)付近まで近づいてみた。
写真に大きく映っている煙突は、広野発電所のもの。
(しかも、東京電力らしい。)
遠くに夜間の為の照明が見える。
これは、Jヴィレッジのものと思われる。
ここより先(多分1~2キロ)からが、警戒区域だ。
しかし、高速道路で帰ろうと思っていたので、この交差点を左折した。
下の写真が、警戒区域ぎりぎりまで近づいた証拠。
この先の高速道路は、通行止めになっている。
驚いたのが、途中立ち寄ったPAのゴミ箱に、こんな表示があったこと。
世も末だ~!!と悲しくなった。
そして、帰ってきました福島。
罹災&被災証明書確認渋滞ですがな。
無料で通行できるのはありがたいけど、これじゃ確認する人が大変だ。
もうちょっといいやり方はないのかな?って思った。
今回の日帰り旅で思ったこと。
浜通り南部は、津波の被害はあったものの、放射能の影響は比較的少ない模様。
少しずつ復興に向かっているって感じがした。
(「がんばろう○○」ののぼりも少ない。)
一方で、原発から60キロも離れているのに、放射能にピリピリする福島市。
思わず「いわきはいいなぁ。」って思ってしまったよ。
いろいろ総合すると、いわきの方が震災の被害は大きいんだけれどね。
最後に、一番気の毒に思うのが、友人の家族達。
友人はナント警戒区域出身なのだ。
数年前に退職し、第二の人生を謳歌するはずだった友人の両親は、現在会津でアパート生活とのこと。
故郷に住めない、戻れないってことほど切ないことはないよね…。
放射能にピリピリしつつも、震災前とほぼ同じ生活ができることは、家をなくしたい人や、家に帰れない人よりはマシと思うことにしよう。
7年間住んでいたいわきの現状を知りたかったからだ。
前任校には去年のうちに3回行ったし、メールや書簡でやりとりをしていたので、今回の訪問はパスした。
前々任校では、合唱部を4年受け持っており、私の後任を大学時代の同級生が務めている。
そして、私が1年生の時に担任した子達が、6年生になっている。
合唱部の子達にはお菓子の差し入れを購入したのだが、その後友人から
「教頭先生に連絡しておくね。」
なんて余計な連絡が入ったものだから、「学校にも手ぶらでは行けん!」と思い、急遽近所の果樹園にて桃を購入した。
6個入りで1000円也。
うーん、美味しそう♪
高速道路でいわきへ向かう。
晴天のドライブ日和。
写真は磐越道での一枚。
合唱の練習は、なかなかの熱血指導だった。
一応動画も撮ってきたので、YouTubeにこっそりUpしてみた。
練習後は、自分が担任した子達との雑談に花が咲く。
女の子との会話に飢えていたので、久しぶりにレベルの近い話が出来て嬉しかった。
(何せ、うちのクラスはオール野郎だからw)
やはり、6年生ともなると、ファッションに五月蠅い。
女の子達の一押しは、ハニーズとユニクロだった。
友人と昼食後、被災地を案内してもらった。
友人の車で移動の為、写真は少ししか撮れなかった。
大震災直後はがれきの山だったそうだが、今はすっかり片付いているとのこと。
やや消化不良気味だったので、友人と解散後、北上することにした。
福島第一原発20キロ圏内ぎりぎりまで、近づいてみようと思ったのだ。
途中、四倉の道の駅へ立ち寄った。
ここは2年前、両親と来たところだ。
座礁した船や、壊れた建物など、津波の脅威をひしひしと感じた。
そして、更に北上し、「緊急時避難準備区域」の広野町へ。
Jヴィレッジ(原発事故収束の前線基地)付近まで近づいてみた。
写真に大きく映っている煙突は、広野発電所のもの。
(しかも、東京電力らしい。)
遠くに夜間の為の照明が見える。
これは、Jヴィレッジのものと思われる。
ここより先(多分1~2キロ)からが、警戒区域だ。
しかし、高速道路で帰ろうと思っていたので、この交差点を左折した。
下の写真が、警戒区域ぎりぎりまで近づいた証拠。
この先の高速道路は、通行止めになっている。
驚いたのが、途中立ち寄ったPAのゴミ箱に、こんな表示があったこと。
世も末だ~!!と悲しくなった。
そして、帰ってきました福島。
罹災&被災証明書確認渋滞ですがな。
無料で通行できるのはありがたいけど、これじゃ確認する人が大変だ。
もうちょっといいやり方はないのかな?って思った。
今回の日帰り旅で思ったこと。
浜通り南部は、津波の被害はあったものの、放射能の影響は比較的少ない模様。
少しずつ復興に向かっているって感じがした。
(「がんばろう○○」ののぼりも少ない。)
一方で、原発から60キロも離れているのに、放射能にピリピリする福島市。
思わず「いわきはいいなぁ。」って思ってしまったよ。
いろいろ総合すると、いわきの方が震災の被害は大きいんだけれどね。
最後に、一番気の毒に思うのが、友人の家族達。
友人はナント警戒区域出身なのだ。
数年前に退職し、第二の人生を謳歌するはずだった友人の両親は、現在会津でアパート生活とのこと。
故郷に住めない、戻れないってことほど切ないことはないよね…。
放射能にピリピリしつつも、震災前とほぼ同じ生活ができることは、家をなくしたい人や、家に帰れない人よりはマシと思うことにしよう。