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哲学の科学

science of philosophy

この世に神秘はない(3)

2013-04-13 | xxx4この世に神秘はない

そこで人間にとって残る問題は、この自然現象(生命現象)に関して、人はなぜ神秘感を持つのか?命の存在感はどこからくるか、という問題です。つまり動物を見たときの人間の脳の反応の問題です(拙稿7章「命はなぜあるのか)。

 

人間に限らず視覚を持つ動物に共通の神経反射として、視覚により自律的な運動を視認すると注視、後退あるいは追跡などの行動が引き起こされる仕組みがあります。人類においても、無意識の反射運動として、動物などの運動を視認した瞬間、身体が身構えるように働く神経機構があります。

 

自分の身体のこの神経機構の反応を自覚した場合、人は「生きている」という言葉で表現するようになったのでしょう。たとえば、動物のような物体が規則的に膨張収縮を繰り返す運動をしている場面を観察した場合、「息をしている」、「いきてる」という言葉ができた、と思われます。

 

生きているものが持っていて死んだものが持っていない何かがあるはずだ、と思う。その何かを「いのち」ということにする。そうして生命という概念が作られてきます。このように生命という概念は、動物の運動に触発される私たち人間の身体的反射運動とそれを知覚した場合に私たちが感じ取る直感から来ています。

 

生死の区別、あるいは生物と無生物の区別、あるいは生命の神秘、それらの謎は、生物学者や医学者に聞けば分かることではありません。その神秘は、生物体の中にあるのではなく、むしろ、その生物体を観察する人体の無意識の反射にあります。

 

生命進化現象は、それ自身が神秘なのではなく、それを観察する人間の内部に神秘感覚を引き起こすが故に神秘と感じられる、つまり、生命現象を観察する場合、人類の身体がそれを神秘と感じ取るように進化してきたが故にそれは神秘である、といえます。

 

 

 

さて生命のほかによく議論される神秘感の中でも、少し哲学的な感じがする神秘は、いわゆる意識、自己とは何か、唯物論(すべての存在は物質でしかない、という理論)対独我論(すべての存在は私の内部にしかない、という理論)、あるいは「死んだら私はどうなる」あるいは「自由意志は存在するか」、「意識は脳のどこにあるのか」というような問題に伴う神秘感でしょう。

 

いわゆる精神と物質、心身問題、心脳問題、認知科学のハードプロブレム。つまり、精神あるいは心というものは、主観的には自分の内面としてはっきり感じ取れるが、物質である自分の人体や脳のどこにあるのか分からない。物質として見つけられるとは思えない。自分の身体が死んだら自分の心はどうなるのか直感ではさっぱり分からない。つまり自分の内面は現実世界のどこにも見つからない、という問題です。

 

これは人類最大の問題ではないか、という見方もできる(拙稿23章「人類最大の謎」 )。

 

 

内面として感じられる自己とは何か、という謎。現実の中にあるのは物質としての自分の身体だけであって、それは自分の内面とは違う。現実の中にあるものは、自分の身分証明書、氏名、写真、肩書き、戸籍、系図、家族、友人、友人が思う自分、というようなだれの目にも見えるものです。それらは他人にとっての自分であって、自分が感じ取る内面の自分とは違う(拙稿33章「現実に徹する人々」 )。自分の内面は、自分にだけはこんなにもはっきりと感じ取れるのに、現実世界のどこにも存在しないのではないか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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この世に神秘はない(2)

2013-04-07 | xxx4この世に神秘はない

人間と共に神秘はある。つまり、(拙稿の見解では)人間の脳には神秘を感じ取る感覚がある。そこからあらゆる神秘現象は来る。

 

これは進化の結果、人類が獲得した生存に有利な感覚、あるいは反射なのでしょう。大いなる未知に遭遇したときは、素直にショックを受け、立ち止まり、後ずさりする。安易に前に進まない。そういう身体の反応です。

 

真っ暗な森の中を、暗黒に神秘を感じず、恐れを知らずにずんずん進んでいく人間は、猛獣や毒蛇にかまれたり野蛮な他部族に殺されたりして子孫を残せなかったでしょう。

 

よく分からない物事には神秘を感じる。その感覚を、ここでは、神秘感ということにしましょう。神秘感という感情も、それ自身は、もちろん神秘的なものではありません。ホモサピエンスの脳が作り出す錯覚です。生存に有利な錯覚には違いありません。

 

私たち人間は、神秘には神秘を感じる。私たちの身体はそのようにできている。そうではあるとしてもそれは錯覚でしかない。私たちの身体が神秘を感じるからそれは神秘だ、ということになります。(拙稿の見解では)この世の中にも、この世の外にも、どこにも神秘はない。ただし人間の脳は錯覚の存在感と神秘感を感じる機構を持っています。

 

だれもが神秘は感じる。神秘を感じる人類だけが生き残ってその子孫が私たち現生人類になったからです。(拙稿14章「それでも科学は存在するのか)。そうであるとしても、それらの自然現象を神秘と感じるように人間の脳が作られているということと、それが神秘だということとは違う(拙稿13章「存在はなぜ存在するのか )。

 

 

 

 

たとえばテレビ、新聞などの常套句として、生命の神秘、という。しかし

科学にとって生命現象は、神秘なところはないふつうの自然現象です。

 

常温常圧の物理法則が成り立つ地球表面のような環境で、核酸あるいはそれとタンパク質の組み合わせのような自己複製機能を持つ高分子構造が一度できあがればその後は分子進化によって生命現象が起こる。平均数十億年の時間がかかると推定される化学反応ですが、結局は人類のような複雑な物質システムが自己増殖する現象が起こりうる確率過程です。

 

私たち人間が今のところ知る限りでは、そのような高分子化学反応の現象が地球上で一度は起こった、ということです。一つの惑星の表面で数十億年かかる反応であれば、二回以上これが起こった惑星はないでしょう。実際、太陽系では地球のほかに顕著な生命現象は発見されていません。しかし宇宙には太陽系のほかに種々の惑星系が理論上、兆の単位で存在するはずなので、そのうちの多数の惑星系で生命現象、あるいは人類程度に複雑な知的生命体が進化しているはずだ、という理論的結論になります。

 

生物進化は、確かに惑星の地質的変化に伴う数十億年という時間を要する現象ではありますが、物理化学の法則だけに従って自然に起こる現象には違いありません。この超長期の自然現象を生命現象と呼ぶとしても、それは、複雑ではあるが、水の蒸発などと同じような自然現象が積み重なった大規模の連鎖過程であるにすぎない。神秘はない、といえます。

 

 

 

 

 

 

 

 

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この世に神秘はない(1)

2013-03-30 | xxx4この世に神秘はない

(34 この世に神秘はない begin

 

 

 

 

 

    34 この世に神秘はない

 

 

 

一五九六年というと、フランスではデカルトが生まれた年で、日本では豊臣秀吉が朝鮮半島に出兵していたころですが、オーストリアでは二十五歳の天文学者兼占星術師ヨハネス・ケプラーが「宇宙の神秘」(一五九六年 ヨハネス・ケプラー宇宙の神秘』)という本を出版しました。コペルニクスの地動説(一五四三年 ニコラウス・コペルニクス 『天球の回転について』既出)を擁護する本です。

 

水星、金星、地球、火星、木星と土星、これら六個の惑星(天王星、海王星などは発見されていなかった)は地球を中心に惑っている星なのではなくて、太陽の周りを整然とした楕円形を描いて周回しているのである、惑星を動かす力はその軌道における太陽光線の強さと比例しているらしい(のちにニュートンが発見した万有引力)、と書きました。この整然とした法則性は、まさに神秘である、神の意思を表す宇宙の神秘的な秩序である、と彼は書きました。

 

十七世紀頃、最先端の知識人にとって世界最大の神秘は、宇宙の秩序であったのでしょう。現代でも、宇宙があることの神秘に人は魅かれます。

 

ケプラーが描き出した太陽系の軌道はニュートン力学を使って計算すると明快に導き出せます。つまりニュートンが作り出した科学によれば、太陽系は宇宙のどこにでもあるはずのありふれた惑星系の一つであることが分かる。実際、最新鋭の天文観測により最近の十数年で次々と太陽系外惑星系が発見されています。

 

現代科学によれば、宇宙は百三十七億年にわたって膨張し続け冷え続けているが、その過去を観測するためには高性能の望遠鏡が必要となる。肉眼で見えるものは宇宙のごく一部であり、時間的には一瞬の姿であるので、身の回りを見渡しているだけで毎日を過ごしている私たちには、永遠に変化しない宇宙の風景、つまりありふれた月や太陽や星々しか見えません。

 

私たちの惑星である地球については、人類の活動、つまり産業化と都市化が進み、人の住んでいる土地の風景は十年単位で変わっていくのが現代の時代ですが、それが宇宙の神秘とは思えませんね。

 

現代人にとって、宇宙の神秘は、ビッグバンなどの無から宇宙が生じたという話、あるいは宇宙を生成する素粒子の話、あるいは未来に起こるであろうといわれる太陽系の消滅など、でしょうが、どれも天体物理学者にやさしく解説してもらっても理解しがたい科学理論でしかありません。それでも、宇宙の謎についての本はベストセラーになったりしますから、ふつうの人もまた、これらに神秘を感じているということでしょう。

 

現代人は科学理論として時間空間をイメージしないと宇宙の神秘を感じることはできませんが、昔の人は肉眼で雷や虹、流星や日食を見上げるだけで、素朴に、深い神秘を感じました。大昔、人類が暮らしていた自然の中には謎の現象、神秘の体験がけっこうあったでしょう。それらは目や耳で、体感で、直接に感じられるものです。そこから八百万の神をはじめ、もののけ、精霊、龍、天狗などいろいろな神話や伝説あるいは理論が生まれてきました拙稿3章「人間はなぜ哲学をするのか )。

 

それら神秘あるいはそれを説明する理論もひとつひとつ大いにおもしろいですが、拙稿本章では、それらに現代人の感じる神秘もひっくるめて、神秘はなぜ神秘なのか、私たちはなぜ自然あるいは人生あるいはこの世について神秘を感じるのか、について調べてみようと思います。

 

拙稿の見解では、現代は神秘が衰退し、矮小化されていく時代です。都会の夜は明るく、天文台は人里離れた高山に移転していきました。闇の想像力は発揮される場を失い、何事も科学理論によって解釈されてしまいます。しかしそれでも、神秘が霧消することはないでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

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