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月齢進行表

~aki's diary~

Repeat

2016-03-26 20:52:24 | 日記・エッセイ・コラム

慌ただしく過ごしている間に、3月も残り1週間を切っていました。

忙しいというか、予定がいろいろあることは、いいことだと思っています。
ありがたいことだと思っています。
でも、忙しいことで満足している自分も、どこかにいるような気がしています。


スケジュールをこなすことで満足。
「忙しそうだね」と言われることで満足。

違うだろー、それ。

会社員をやめてフリーランスになると決めた時、当時の上司が教えてくれました。
「はじめのうちは、みんな面白がってオマエを使ってくれるだろう。でも それは仮の忙しさだ。リピートが来たら本物だ」
フリーランスになって丸9年、やっと気付きました。
リピートって、2度目のことじゃないんだと。
2度目があれば3度目があり、3度目のあとに4度目がある。
そうやって、ずっと続いていくことがリピート。
今やっていることが本当にちゃんと出来ているかどうかの検証は、その次につながったときに初めてわかるもの。
そういう緊張感を持って物事にあたれ、という意味だったんだなぁ、と。

2016年4月1日、独立して10年目を迎えます。
丸9年、なんで自分はやってこられたのか。
この1年をどう過ごして、来年の4月にどんな10周年を迎えるのか。
ちゃんと考えて、ちゃんと行動する自分でありたいと思います。

 

もう2週間も前の話になってしまいますが、
3月11日は東日本大震災の被災地復興支援イベント「岐阜で迎える3.11 ~復幸の日~」でイベントの総合司会を担当しました。
写真は、その時のキャンドルナイトの様子。
司会は、イベント全体を見る立場。
そういう経験をさせてもらったおかげで、自分の強みとか弱みとか、また改めて色々気付くことがありました。
そうそう、このイベントのおかげで、今回のブログみたいなことを考えるきっかけができたのよね。
感謝。

 

来週末はもう4月。
暦の上で「万物が清々しく明るく美しい時」を指す『晴明』、今年は4月4日。
今年の桜の見頃は、ちょうどこのころかも。

次の新月まで、あと12日。




Pain

2016-02-23 18:11:31 | 日記・エッセイ・コラム

先週の土曜日、右首から肩にかけての筋を痛めたらしく、日曜の朝はベッドから起き上がるのが辛いほどの痛みがありました。
時間が経てば良くなるかと思いきや、何をしても、いえ何もしなくても痛む右肩。
やらなきゃいけないことはたくさんあるけれど、その優先順位を考えることもできず、その日の夜にあるライブの譜面をチェックするのがやっと。
夕方には、ライブさえもキャンセルしようかと思うほどの気力低下。
なんとか気を取り直してやったライブは、メンバーやお客様にたくさん助けられて、とっても楽しいものになってよかったのですが…

ライブに向かう途中、車の中で「ああ、体のどこかに痛みや不自由があるって、こんなにも気力を奪うものなんだなぁ」と、しみじみ思いました。
普段 滅多に病気をしないので、たまにこういう目に遭うと、半端なく凹みます。
でも、たまにこういうことになると「ああ、病気の人が他人に当たりたくなっても仕方ないよなぁ」と思います。
例えそれが、端からみてたいしたことじゃなかったとしても、本人にとって「普段と違う」「思ったようにならない」という事実は、大きなストレスだったり、とてつもなく辛いことだったりするんだよな、と。

そして、私は誰かが描いた世界を感じて表現したり、誰かの気持ちに寄り添ったりする仕事をしているので、自分の体験から他人を慮る感性を常に持っていたいなぁ、と思った出来事でした。

 

もう随分前のことですが…
当時付き合っていた人から、電話で仕事の悩みを打ち明けられたことがありました。
お互い電話はあまり好きじゃなかったから電話で長話をすることはほとんどなかったのだけど、珍しく向こうから掛けてきて、珍しく長電話。
うん、うん、と彼の話をじっと聞き、彼の置かれている辛い状況も彼が頑張ってることも すごくよく解って、何か彼に声をかけたいと思ったのだけれど、何と言っていいかわからずに、少し沈黙した後に、「私、何って言ったらいい?」と、超おマヌケな質問をしたら…
彼の返事は「頑張れ、って言って」でした。

頑張ってる人に『頑張れ』って言ったら、相手を追い詰めちゃうからいけない。
そんな理屈もあるけれど…
単に「頑張れ」を禁止しても、多分解決しないことだと思います。
どんな言葉を使うか、よりも、その一言に至るまでにどれだけの時間を費やしたか、とか、どれぐらい相手の背景や状況を理解したか、とか、そういうことで「言葉」の重みは変わってくるんだろうと思います。
当時の私は『頑張れって言っちゃいけない』と思っていたので、それを言って欲しいと言われたことが意外で驚いたのですが、いかに言葉を表面的なところで捉えていたかが表れている出来事だと思います。

「頑張れ」って、悪い言葉じゃないと思います。
「頑張れ」って言いたくなったり、「頑張れ」以外に言葉が見つからなかったりすることも、たくさんあると思います。
大事なのは、相手の痛みを感じた上で言ってるかどうか、だと思います。

相手とぴったり同じ気持ちになるとか、相手と同じ痛みを自分も経験するとか、そんなことは絶対に不可能なんだけど、自分の感性と体験を総動員して共感する努力をしたら、100%一緒じゃなくても「わかりあえた」と思える瞬間はちゃんとあるんじゃないのかなぁ。

そんなことを思った、日曜の夜でした。

 

今日は満月。
雲が多くて、少し隠れがちなシャイな満月です。
冒頭の写真は いつかの朝焼けなので、満月に全く関係ありませんけどね(^^;


白いフリージアを飾る日

2016-02-18 16:28:13 | 日記・エッセイ・コラム

今年も無事この日を迎えることができました。

日付が変わった瞬間から、Facebookやメールなどを通じて、
たくさんのお祝いメッセージを頂きまして、
本当にありがとうございます。

たくさんの人に愛され、支えられ、
「あー、アタシって幸せだなぁ」と素直に言える日々に恵まれ、
ありがたい限りです。
この1年の間に新たにつながったご縁もありますしね。
感謝、感謝です。

白いフリージアは、私が一番好きな花です。
フリージアは、ちょうどこの季節に出盛りを迎える花なので、
誕生日にはこの花を飾ると決めています。
今年も数日前に自宅近くの花屋さんで買って、この日を迎える準備をしました。

が…

今年は、新たに我が家にやってきたニャン達が葉っぱをガシガシ齧るので、
飾った瞬間から、ニャンズとの飽くなき攻防が繰り広げられております

 

先日、家族が一足早く お祝いをしてくれました。
その時、義姉が白いフリージアのアレンジメントをプレゼントしてくれました。
白いフリージアって、あまり花屋さんに置いてなくて、
私も花屋さんに「市場にあったら入れてくださいな」と特注してるんですが…
そんな手間暇かけてくれたんだろうなぁ、と思うと、
好きな花をもらった以上の嬉しさがありますね。

さ、これもニャンズから死守せねば…

 

ところで…
実姉が亡くなって、今年の4月で丸6年。
私とは6歳違いだったので、今年はちょうど姉が亡くなった年齢と同じになりました。
小さい頃、姉に憧れてその背中を追いかけていた私としては、
姉が生きていない年代を自分が生きることが、若干不思議な気がしています。

ここ数年の間で、姉に対するコンプレックスからはうまく抜けられたというか、
コンプレックスだったものが、違う形になって私に良い影響を与えていて、
もう私は私らしさを生きているなぁ、と思っているのですが、
改めて、ここからが本番のような気がしています。

 

一昨年より去年、去年より今年。
毎年、毎年、誕生日が来るたびに
「ああ、今の私は今までで一番Happyだなぁ」と思います。
そんな気持ちが、来年も再来年も ずっと続くように、
今、ここにある瞬間を大切にしながら暮らしていこうと思います。

 

明日は名古屋のSwing Gangsで、ピアニスト美山晃大さんのバンドと一緒にライブです。
初めてのお店で、誕生日後はじめてのライブです。
そして、21日(日)はバルサビオで、大谷泰史さんと加藤信子さんのツインピアノでライブです。
どちらも楽しみです
そしてそして、来月はいよいよCDも出るし、レコ発ライブもあるし
ワクワクがいっぱいです

 

私が時々使っている「月の子供」というハンドルネームは、
私が生まれた日の月が、新月から数えて1日目の月の日だったことにちなんだもの。
「生まれたての月」だから、子供の月というべきなんだろうけど、
語感がいいので「月の子供」で。
でも、なかなかこの月の形の日に、自分の誕生日が重なることがないですねぇ。

今日の月は十一夜。
次の満月まで、あと5日。


匂いの記憶

2016-02-08 21:18:05 | 日記・エッセイ・コラム

昨日、名古屋駅のコンコースで、ふといい匂いがして…
ああ、この匂いはパリの匂いだ
そんなことを思いながら、ちいさく深呼吸してみた。

パリの街中で嗅いだ匂い。
ボディソープのような、小さい頃によく使ったシッカロールのような、少し甘くてパウダリーな感じのする匂い。
香水には詳しくない。
だから、それが何という香水の匂いなのかはわからない。
でも、それは確かにパリの匂い。
私にとっては、パリの匂い。

パリに行ったのは もうかなり昔のことなのに、匂いひとつで、まるでパリの雑踏の中にいるような気分になるから不思議だ。
こんな風に、匂いによって呼び起こされる記憶のことを「プルースト現象」と呼ぶらしい。

目や耳や舌、肌などの感覚器でキャッチしたものは、脳の視床下部に送られ、そこから感情を司る大脳辺縁系に送られる。
ところが、五感の中で嗅覚だけは、ダイレクトに大脳辺縁系に送られるとか。
匂いにまつわる記憶が他のものとは少し異なる感じがしたり、プルースト現象なんて名前がついちゃうのも、そのせいかも。

 

私のお気に入りの香水、LALIQUE。
大好きなガラス工芸家のラリックがデザインした香水瓶であることがきっかけで使い始めた香水。
よく出回っているメジャーな香水のことはあまり知らないけれど、これだけはこだわって使っている。(言い換えると、これしかわからない・笑)
若い頃は柑橘系の香水を使っていたけれど、もう今となっては柑橘系のフレッシュさは少し気恥ずかしくて、適度な重厚さと甘さを持ったLALIQUEの匂いに落ち着いて数年。
使い始めた頃よりも若干手に入りにくくなって、デパートやバラエティショップでは滅多に扱えないアイテムになったことが、変わり物好きの私のハートを刺激するけれど、長年使っているせいで匂いには慣れすぎていて、今や自分ではつけていることを忘れているぐらいになっている。

そんなLALIQUEの匂いを、いつかどこかで私を知る誰かが感じた時に、「ああ、アキさんの匂いだ」って思ってくれたら、その人の中にある私の記憶を呼び起こしてくれたら…
そんなロマンチックなことがあったらいいなぁ。

あったとしても、私はほぼそこにいない瞬間だろうけど(笑)

はい、今日も妄想癖全開です。

 

今日は新月。
私には私独自の「新月の匂い」っていうのもあるんだけど…
そのお話は、またの機会に。


そうなるように生きていく

2016-01-11 21:35:30 | 日記・エッセイ・コラム

去る1月9日(土)は、叔父の葬儀でした。
長いことパーキンソン病を患っていたため、ここ数年は車椅子生活、亡くなる直前の3ヶ月は病院で寝たきりでした。
正月に母とふたりで病院へお見舞いに行った時には、声を出すこともできないほど悪くなっていたのですが、ベッドの傍らにいる叔母の手をギュッと握って片時も離そうとしない姿に、やっぱり夫婦っていいなーと、ほのぼのしました。

勝ち気な叔母と無口な叔父。
いつもどこか頼りなさげに見えていた叔父でしたが、出棺の時に叔母が何度も何度も「ありがとうねぇ。ありがとうねぇ」と繰り返していたのが印象的でした。

 

話の方向は少し変わりますが…
私の実家は日蓮宗です。
日蓮宗の葬儀は、祭壇に生花を飾りません。樒(しきみ)だけです。
出棺の前に棺の中に入れるのも、生花ではなく樒です。
生花は見目美しくてもその命は短く、対して樒は植物の中でも強い生命力を持った日本で唯一の香木であり、その香気は邪気を払い不浄を清浄にする力がある。
という尊い意味があるそうですが…

それでも私は花が好きだぁぁーー!
樒だけの地味な葬儀はやだぁぁーー! ←バチあたり
(じゃ、日蓮宗じゃないところへ嫁に行けという話でもあるのだが、それは一旦置いておいて…)
祭壇はともかく、せめて棺の中だけでも何とかならんもんだろうか、と思案するわけです、はい。

出棺の際、参列者によって棺の中のご遺体にたくさんの花(日蓮は樒)を添えますが、花だけでなく故人に所縁のあるものを入れてもいいそうです。
ただし、遺体と一緒に火葬するので不燃物は不可。
じゃぁ、私だったら何を一緒に入れて欲しいだろうか?
愛用しているマイク(Sure Super55)を入れて欲しいのだけど、マイクは燃えないしなぁ…

で、思いついたのが譜面。
みんなが棺の中に1枚ずつ譜面を入れていく。
私がライブで使っていた譜面、参列者が私のために選んでくれた曲の譜面、そんな譜面で棺が埋まっていって、それらと一緒に旅立つ。
わ、それ いいじゃん! ちょっとワクワクしてきた。
それなら、出棺の時は有志メンバーの生演奏で送って欲しいなぁ。
そんな葬儀だったら、私は最期まで幸せだなぁ
てことは、私は年をとってもずーっと歌い続けてないと、私の葬儀にそんな人たちは集まらないよねぇ…
叔父の葬儀の後、電車に揺られながら ぐるぐるとそんな妄想をしていました。

てか、どんだけ音楽好きなんだよ、私。

どんな葬儀にして欲しいのかを、遺言やエンディングノートに書いておくのもアリでしょう。
自分の葬儀は自分で見ることができないから、生前葬をするという人もいます。
どっちも全然否定しないし、機会があれば私もするかもしれないけれど…
自分が思い描く最期を迎えるためには、そうなるように生きることが大事なんだろうなぁ、と、そんな結論に落ち着いた私です。

人は、生まれた瞬間から死に向かってのカウントダウンが始まっている。
いつか誰かが そんな風に言っていました。
人は誰でもいつかは死ぬのだから、間違ってないと思います。
でも、いつかは死ぬという事実をネガティブに捉えるのではなく、その日までをどう生きるのかということに意識を向けていきたいと思います。

 

夕方、デヴィッド・ボウイが亡くなったというニュースが飛び込んできました。
1年半ほど闘病生活を送っていたそうですが、亡くなる直前の8日に最新アルバムをリリースしていました。
アルバムキャンペーン用のPVを見ましたが、やっぱりちょっと病的な痩せ方をしてるように見えました。
それでもなお自分の音楽を発表し続けた姿勢には、敬意以外ありません。
合掌。

 

昨日は今年最初の新月。
月の新年は、今日からスタートって感じかな。
今年最初の満月まで、あと13日。