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月齢進行表

~aki's diary~

朧月夜

2010-04-28 23:56:24 | 

実家で寝泊まりして、今日で4日目。
1日3食を4日続けて母親と共にするなんて、何年ぶりだろう?
諸事情あって、実家は私にとって世界中で一番居心地が悪い場所なんだけれど、まぁ状況が状況だけに、たまにはこんなシチュエーションもいいのかなぁ、と思う日々。


遺品の整理は相変わらずスローペースなんだけど、姉の亡くなった日からバタバタしていたので、少しくらいのんびりしてもバチは当たらないだろうと、今夜は母親とふたりで実家の近くのスーパー銭湯へ。


露天風呂で見上げた空には、ほわんと霞んだ満月。
春霞のかかった月の名前は、朧月。
満月の強い光がほどよく抑えられてて、ほどよくぬるいお風呂と良い相性でした。


なかなか片付きません。

2010-04-25 20:21:03 | 日記・エッセイ・コラム

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笑ってる顔とか、


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歌ってるときの顔とか、


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歌詞の意味を理解してうたうことにこだわるところとか、


私、結構似てたんだな、姉と。
数年前に姉が出演したジャズライブのセットリストを見たら、
選曲の8割は、私がうたってるレパートリーと一緒だし。
写真なんて、自分で自分と見間違ったくらいだわ。(笑)


ぜんぶ、姉と離れて暮らしていた頃のこと。
やっぱり、血のつながりってやつなんでしょうかねぇ?


なんて、いちいち感傷に浸ってるもんだから、
遺品の整理は、なかなかはかどりません。
さ、もうちょっとピッチ上げていかないと。



明日も晴れるかな。
次の満月まで、あと3日。


パリいぬめぐり

2010-04-23 18:42:47 | 日記・エッセイ・コラム

16年前の2月から3月にかけて、日仏文化協会という団体が主催した40日間の語学研修旅行に参加して、パリに滞在していました。
まぁ、語学研修旅行と言っても1日2時間しか授業はないので、ほぼ観光のために滞在していたと言っていいかと思いますが…。
そのツアーには、私のような根無し草生活(当時の私はフリーターでした)をしている一般人の他に、春休みを利用した大学生も数名参加していました。


そのうちの一人のことを、昨日急に思い出しました。
ヤマムラくん。
ヤマムラくんは京都大学文学部哲学科の学生でした。
「東大受験に失敗して一浪したけど、結局次の年も東大には受からなくて、仕方なく京大に通ってます。」なんて自虐的に語っていましたが、私にしてみれば「何をおっしゃいますやら!」という感じでございました、ええ。
研修旅行に参加した動機も「フランス語の哲学書を、翻訳版じゃなくて原版で読めるようになりたい」という、かなりハイレベルな動機でありまして…。「フランスってお洒落だよね~。」というミーハーな動機で参加した私は、随分カルチャーショックを受けたものです。

そんなヤマムラくんの趣味は、映画を撮ることでした。
40日間寝泊まりしていた宿舎の中にあるバーで、研修メンバーみんなで夜な夜なお酒を飲んでる時に、ヤマムラくんはよく「将来は映画監督を目指している」なんて話をしていました。かなり真摯に映画と向き合っていたので、未だに彼の撮影行為を「趣味」と表現するのには抵抗があったりするのですが…。
授業後や休日には、ビデオカメラを持って街に出ていたヤマムラくん。
「何撮ってんの?」とたずねたら、「犬」って言ってました。
パリの町中って、犬を見かけることが多いんですよ。野良犬だったり飼い犬だったり、その属性は色々ですが。
ヤマムラくんは、自分の好みの犬を見つけてはカメラを回していたようです。


一方私は、街を散策するときにウォークマンを持ち歩き、地下鉄が滑り込んでくるホームの音や、雑踏の中でストリートミュージシャンが演奏している音などを録音しまくっていたものですから、「ヤマムラくんの映像と私の音のミックスで、なんか作れたら面白いかもねぇ。」なんて話をしていました。酔った勢いで。(笑)


私がいい加減に録音した音源なぞ到底使い物になるはずもなく、ヤマムラくんとのコラボの話は酒の肴で終わったわけですが、帰国後ヤマムラくんは、パリで撮影した映像を編集して、3分ほどのショートムービーを作ったようです。
「今までに撮った映画も含めて上映会をするから、良かったら京都まで見に来てよ」
という電話をもらったのが、16年前の夏だったかなぁ?
都合がつかなくて見に行けず、ヤマムラくんとはそれきりになっていました。


そんなことを、昨日お風呂に入っていて急に思い出しました。
思い出したら、ヤマムラくんが撮ったパリの犬が見たくなり、どうにかヤマムラくんに繋がる手がかりがないだろうかと、ネット捜索(「ググる」ってヤツですね)という手段に打って出ました。


で、結果は…
ヤマムラくんが撮った犬の映像は、「パリいぬめぐり」というタイトルで発表されていたことがわかりました。
その前後にもいくつかの8ミリ映画の監督をしていたり、京都で劇団の主宰として頑張っていた痕跡も見つかりました。
そして、ヤマムラくんが8年前に亡くなったということもわかりました。


昨日から、私の頭の中は「?」でいっぱいです。
なぜ16年も交流のなかった人のことを、今、このタイミングで思い出したんだろう?
せっかく思い出した人が、もう8年も前に亡くなってたって、どういうことなんだろう?
そもそも、なんで私はヤマムラくんのことをこんなに色々覚えているんだろう?
自分の周りで起きる出来事すべてに意味を求めるのはナンセンスだと思うのですが、姉を亡くして間もないせいか、何か意味があるような気がしてならない私です。


明日から、姉の残した荷物の整理のために、しばらく実家に詰めます。
実家の姉の部屋がスッキリしたら、ヤマムラくん回想の謎もスッキリするんだろうか?



今日の月は十日夜。
新月とか、三日月とか、満月とか、そういうメジャーな名前で呼んでもらえない形のときも、月はそこにあるんですよねぇ。
次の満月まで、あと5日。


【映画】アリス・イン・ワンダーランド

2010-04-22 21:46:44 | 映画・シネマ

Arice
この映画、愛しのジョニー・デップ様が出ているのですから、見ないわけにはいかないです。
アリス・イン・ワンダーランド


2時間があっという間に過ぎた、といった感じの映画でした。
奇想天外な設定でありながら、その「まともじゃない世界」に観客をしっかり引き込んで行くあたりは、さすがディズニー映画というか、さすがティム・バートン監督というか…。
面白かったです。
ルイス・キャロル作の「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」を踏まえて、映画用のオリジナルストーリーになっているのですが、原作のイメージとキャラクター設定を忠実にキープしているので、小説や絵本のアリスのファンにも楽しめる内容になってると思います。
で、そのオリジナルストーリに関して思うことがあるのですが、それを書くとネタバレになってしまうので、その話は公開終了になった頃に改めて書くとして…。


今年に入って色々な映画を見てきましたが、今回初めて「3D」というものを体験してきました。
3D、凄かったです。自分もワンダー・ランドにいて、アリスと同じ空気を吸っているような気分になれます。ホントに、映像の世界ってどこまで進化(深化?)するのかしら、と思ってしまいます。が、その一方で、正直「これでいいのかしら?」とも思いました。


綺麗なんです、3D。
でも、綺麗すぎるのが問題だと思うんです。
バーチャルリアリティって言葉がありますけど、まさにその通り。リアリティをどんなに追究しても、実際にその空間にいるのでなければ、何をどこまでリアルに再現しようとも「バーチャル」でしかあり得ない。3D映像の中に映し出される世界は、実世界の遠近感とは微妙にズレがあって、その遠近感を自分の力で矯正することはできない。そして、3D映像の中に映し出される世界は肉眼で見る世界以上に立体的で、でもそこに存在する「空気感」は明らかに肉眼で見る世界より薄っぺらい。なのに、それを「美しい」と感じ、それが当たり前の感性だと認知される世の中になってしまったら、現実の空気感が偽りになってしまう時が来るのではないか、と思ったわけです。


3Dを全否定するわけではありません。
ただ、3D映像で見るものが現実世界のあるべき姿だと誤解されないよう、3D映像化するものはAVATARやアリスのように、「現実にはあり得ない世界」を描いた映画だけにして欲しいなぁ、と思うのです。
人が「リアル」を認知する感性を退化させないために。


3Dで映画を観たことがある方は、どう感じたんでしょうね?
私は「感性の退化」の他、遠近感の誤差が生じる気もしました。
3D映像が主流になったら、映画観た後に階段踏み外して転げ落ちる事故が増えるんじゃないかしら?なんて思ったのは、私だけでしょか?
「3D、私はこう感じた!」というコメント、メール、お待ちしてます。(笑)



日記をサボっているうちに、月齢も随分進んでしまいました。
今日は上弦の月。
次の満月まで、あと6日。


continue

2010-04-13 22:22:00 | 日記・エッセイ・コラム

4月10日午前6時15分、姉が亡くなりました。
47歳でした。
2003年6月、病巣10cmにまでなってしまった乳癌が左胸に見つかってから約7年。長い闘病生活でした。
癌患者の最期は、激しい痛みに苦しむものだと聞いていたのですが、姉は「おやすみ」と言って目を閉じたそのままの顔で、暴れたりわめいたりすることなく、本当に眠るように静かに逝きました。
普段から、誰かを頼ったり甘えたりすることが少なかった人ですが、最後の最後まで家族に迷惑をかけることなく息を引き取りました。
おかげで、すぐ近くでみんな寝ていたのに、姉が亡くなる瞬間を誰も看取ることができませんでした。
最期くらい叩き起こしてくれればよかったのにねぇ、全く。
闘病中も弱音や我がままを言うことなく、とにかく冷静で前向きで精神的強さに満ちた人でした。そんな姉に、私たち家族がやってあげられることは特になく、逆に姉に励まされることも多かった7年でした。

通夜、葬儀、初七日と慌ただしい週末でした。
それらが一段落した今、私は「姉は今頃、何をしているのかなぁ」と思っています。
実は、姉はまだ働いています。
姉の遺体は葬儀の後、火葬場ではなく大学病院へ運ばれました。
献体」です。
治療や手術でお世話になった大学病院にお返しをしたい。自分の身体が若い医師を育成するのに役に立つのなら、大学病院に自分の遺体を提供したいというのが、生前からの姉の希望でした。

献体は本人の希望だけでは出来ません。家族(遺族)の同意が必要です。
昨年の7月、姉から「献体の仕方を調べて欲しい。そして家族に説明して欲しい。」と頼まれました。長い闘病生活で疲れ切った姉の身体に、死後なおメスを入れることに抵抗がなかったと言えば嘘になります。私だけでなく、他の家族も。こと、献体の話をした時の母の複雑な表情は、忘れることができません。
しかし、何も頼ろうとしない姉に私たちがしてあげられることがこれならば、同意書にサインをしようという結論に落ち着きました。
皆がどんな思いでサインをしたのか、私は聞いていません。心からの同意なのか、渋々なのか、結果として多数派に押し切られてしまったのか…。
いずれにしても、皆がそれぞれの思いの中で自分を納得させながらサインしたのだと思います。
献体された遺体は、約3年間に渡って医学部または歯学部の解剖実習の教材となり、その後、大学病院で執り行われる合同葬の後火葬され、遺骨が遺族の元に戻ります。
姉の遺体と遺志は、これから3年医療教育の現場で引き継がれ、その間私たち家族は「これでよかったのかどうか」を考え続けながら、3年後に遺骨を引き取った時に、その答えを知るのではないかと思います。

こんな風に、姉と私たちは、姉が死してもなお続いています。
姉が遺したものは、今私が認識しているものよりもずっと大きいような気がしていますが、その全容は正直言ってまだ見えていないです。

「知らないとか解らないとか簡単に言わずに、ちゃんと考えなさいよ。」
まだ私が10代だった頃、姉に言われた言葉です。
今、同じことを姉に言われているのかもしれません。
姉がどんな答えを望んでいたのか、その本音は今となっては知るよしもないのですが、結局「自分の答えは自分で見つけるしかない」ってことを言いたかったのだろうかと、今は思っています。


明日は新月。
4月の新月にかける願いは「新たな始まり」「自分を見つめる」「純粋さ・本物」に関する願いが叶いやすいそうです。