月齢進行表

~aki's diary~

定期券

2007-09-30 19:43:49 | 日記・エッセイ・コラム

9月も今日で終わり。
明日10月1日からの日付で1ヶ月分の定期券を購入した。
自宅の最寄り駅から名古屋まで。
定期券を持つなんて、何年ぶりだろ?
ゆうに10年以上経ってる気がする。

定期代を通常の料金で割ってみると、どうも月14~15往復が損益分岐点になる模様。
「週3回の日本語教師養成講座+月1回のキャリアカウンセラー勉強会+不定期に入る単発の名古屋の仕事」で勘定してみたら、10月私は15回ほど名古屋に行くらしい。
すごいな。(笑)
それ以上になるようだったら、いっそ名古屋に住んじゃえば?って感じ。

でも、今のところ、これ以上名古屋に行く機会が増えたとしても、私は名古屋には住まないと思う。
これが東京やら大阪に月15回行くってことなら引っ越しを考えるかもしれないけど、名古屋までだったら私はこの部屋に帰ってきたいから。

定期って、いいな。
自分が帰ってきたい場所と、自分が行かなきゃいけない場所を、エコノミーに繋いでるものなのね。
実家から通っている時とか、車で通勤している時には、そんな風に思ったことなかったな。

なんだか、明日から定期を使うのが楽しみになってきた。


日本語という外国語

2007-09-24 21:02:44 | 日記・エッセイ・コラム

お仕事用blog「鉛筆と消しゴム」の方では以前に触れましたが、今月28日から日本語教師養成講座に通うことになりました。
「日本語教師」とは、外国人に日本語を教える人です。
今後、自分の仕事やライフワークの中で外国人に関わることが増えるため、自分の志向を活かしてそういう人達に何かできないだろうかと考えた時に、「日本語教師」というひとつの選択肢があったという感じです。

今日は講座の開講に先がけて「体験講座」なるものがあり、それに参加してきました。
内容は「社会言語学」。講師は韓国人の文先生。
「韓国人の先生に日本語を教えられるって、どうよ?」と思ったのですが、1時間半の体験講座は衝撃の連続でした。
文先生の発する質問に答えられないのです。
「なぜあなたは『中村』さんなの?」
「『食べられる』が『食べれる』と略されるようになったのはなぜ?」
「『大和』と書いて『ヤマト』と読むのはなぜ?」
「日本人は曖昧だと言われるのはなぜ?」
日本語に関する質問なのに、日本人の私が答えられない。
頭の中が「???」だらけになり始めた時、別の参加者の人がこういいました。
「私の名字は昔から決まっていることなので、なぜと聞かれても理由はありません。」

それに対して、文先生はこう言いました。
「理由はないとか、昔から決まっていることだとか、そういう説明の仕方が日本語教師として一番やっちゃいけないことです。」
その後文先生の仰った言葉が、日本語教師としての立場や役割を的確に表していました。
「日本語のルールを知るだけなら教科書を読めばいい。生徒が先生に期待するのはルールの裏側にある理由を説明してもらうこと。日本語には歴史や文化を背景とした理由や成り立ちが存在している。それを教師が知っていること、それを伝えられることがとても大事。それがわかれば生徒は納得する。」

かつて日本では、名字を持つのは一部の位の高い人達だけでした。しかし明治維新直後に「平民名字許可令」が出て、国民はみな名字を持つようになったのです。その時、私の祖先の家は村のちょうど真ん中あたりにあったらしいです。なので名字をどうしようかと考えた時に、「村の真ん中にある家」ということにちなんで『中村』と決めました。私の名前である「中村」は「Center of Village」という意味なんです。

英語には「Yes」と「No」しかありません。それは「私の言っていることが絶対だ」とか「この答え以外は認めない」という自己主張の表れです。しかし、日本の文化は「相手を慮る」とう文化です。人それぞれに感じ方や考え方があるから、自分から「こうだ」と断定することは避けよう。そんな日本人の気質が「~だと思います」という表現になるのです。日本人は単に曖昧なだけではないのです。「あなたは間違っている」とも「私が正しい」とも言わず、「私はこう思います」と言うことで、相手に考えるチャンスを与えているとも言えます。

文先生にそう説明されると、なるほどと納得する部分が多々ありました。

「文化も歴史も違う外国人に日本語を教えるということは、みなさん自身が日本語を『国語』ではなく『日本語という言語』という感性で捉えることがとても大切です。」
いやぁ、目が覚めた気分でした。
「国語教師」ではなく「日本語教師」である理由は何なのか?その本質的な部分を今日の体験講座で垣間みた気がしました。

「日本に10年、20年住んでいても、日本語を話せない人もいる。それは、日本語がとっても難しい言語だから。なぜなら、日本の文化を理解しないと本当の日本語は理解できないのですよ。」
そんな文先生の言葉に、日本人なのに日本語を理解していない自分を見せられて、非常にショックでした。

日本人だからこそ、日本語をフィーリングで解釈していることが多い。
ホントに日本語を理解するためには、「日本語という外国語」という視点が必要なようです。
 


ライブ、振り返り

2007-09-20 20:58:34 | バンド・音楽

自分のライブの報告よりKOJI=HAJIさんの告知の方が先になるって、どうよ?(笑)

遅ればせながら、先週日曜のライブの報告。
場所はソウルダイナ。
3年くらい前からお世話になってるライブハウスなんだけど、ピアノ・ヴォーカルのユニットで演るのは初めて。
どんなもんなんだろー?と思っていたけど…、

MP3プレーヤーで生録した音源聞いただけですが、よかったです。(自画自賛)
いえ、当日見に来てくれたお客さんもソウルダイナのマスターも、みんな「よかったよ」って言ってくれてたけど、自分としては結構不安要素満載だったので客観的に聞くまではそういう評価も信じられなくて。f(^-^;
さすが、毎回オペレーターとしてがっつり私の声を聞いてるマスターだけあって、非常に的確に何がよかったのかを言ってくれてました。
「高音、フラットしなくなったね。」

25歳で初めてヴォーカルレッスンに通うようになった頃からの私の課題。上がりきらない高音。
低音域の声に厚みがあるだけに高音のフラットと細さが異様に気になるのです、私の場合。
「高音が苦手」という意識があるので、高音域の手前で緊張感がピークになるっていうメンタル面の弱さもあるんですけどね。
Lunna結成8年目にして、やっとそのあたりが克服できてきたというか何というか…。

でも、今までにも調子のよかった時期っていうのがあるんですよね、思い返せば。
3つのバンドを掛け持ちしてて、週3回スタジオ練習に入り、ほぼ毎週ライブをしていた頃。今から6~7年くらい前かな。
あの頃は、うたうことが日常になっていた。今より音域は狭かったけど、スタジオやライブの空気には慣れて(馴染めて?)いたような気がします。
バンド経験の長さはたいしたことなかったけど、密度というか深さというか、そういうものがあの頃の私にはあったのかもしれないです。
最近は努めて自分の生活の中で「うたう」(注:カラオケじゃなくて、バンドでね)という時間を持つようにしていたけれど、あの頃ほどの密度はなかったと思います。それでも、曲がりなりにも8年やってきたという経験のおかげで、今までよりヴォーカルとしての自分が安定してきたのかなぁって思います。

経験の長さと深さ、それが入り混じりながら少しずつステップアップしていく、それはきっと音楽に限ったことじゃないんだろうなぁ。でも、今、自分の「ヴォーカル」というものに絞り込んだとき、結構いいバランスになっているのかなぁ、なんて思ったライブでした。

とはいえ、ヴォーカルが安定するためにはバックとのコンビネーションが欠かせません。
二人でライブをすることが決まってからわずか1ヶ月半くらいで、ちゃんと他人様にお聞かせできる形にまで仕上げてくれた相棒のmanaちゃんには感謝です。

いいライブができると、また次のライブがしたくなるのよね。
楽しみの連鎖。ずうっと、ずうっと、続けばいいなぁ。




わたしたちの「ガンダーラ」

2007-09-17 12:16:56 | バンド・音楽

昨年の浅春の頃、「歌詞、書いてみぃへん?」とお声をかけていただきました。
私がうたう歌詞ではなく、いわゆる「提供」ってヤツです。
誰かに作曲してもらったものに歌詞をつけて自分でうたったことはありましたが、自分以外の人がうたうことを前提に作詞をするという作業は未体験ゾーン。しかも、作曲者=歌い手さん、ご本人は男性ときたもんだ。
何もかもが初めてづくしの音楽体験。
それでも、曲がとても魅力的だったので、チャレンジしてみることにしました。

そうと決まったら取材開始です。
何をイメージして曲を作ったのか、何をうたいたいと思ってるのか、頭の中に映像のようなものが浮かんでいるのだとしたら何が見えているのか、具象・抽象の質問を投げかけていたら、こんな答えが戻ってきました。
「イメージはさ、ガンダーラなんだよねぇ。」
はいはい。ワタクシ小学校の時にゴダイゴの大ファンでしたから、未だフルコーラスを諳でうたえまっせ。
というわけで、ガンダーラの歌詞を思い返していたら、ひとつのフレーズがひっかかりました。

その国の名はガンダーラ どこかにあるユートピア
どうしたら行けるのだろう 教えてほしい

ガンダーラは「西遊記」のテーマですから、ここで言うユートピアは『天竺』を指しているんだと思うんですが、「そこに行けばどんな夢も叶う場所」なんて現実的に考えたらあるわけがない。何とも夢のないオハナシ…。
でも、夢って形は変わってもやっぱり持ってる。若い時のような夢の見方はできないけど、大人は大人の夢を見る。そういうのがないと、やっぱり生きている意味がないというか、生きていても輝きがないというか…。

そうか。「ガンダーラ」は、どこにもないし誰も与えてはくれないけれど、わたしたちが信じ抜くことできっとどこかに生まれるものなんだ。
それは現実の場所かもしれないし、自分の心の片隅かもしれないけれど、わたしたちは一生それを求め続けていて、その生き方そのものが「旅」なんだろうなぁ、と、その時そんな風に思って、こんな私なりの解釈を軸に歌詞を書き始めました。

その歌詞が昨年4月に書きあがり、バンドさんが今年の春からレコーディングをし、晴れて音源がネットから聞けるようになりました。

KOJI=HAJI 「Travessia」

歌詞は掲載されていませんが、滑舌の良いヴォーカルさんなので聞けば何をうたっているかはほぼ100%聞き取れると思います。^-^
私が作詞を担当させてもらったのは「Travessia」ですが、その他にもKOJI=HAJIさんのオリジナル曲「Fly Day」と「胡乱」と全部で3曲聞けます。
よろしければお聞きくださいませ。

最近はMONKEY MAJIKがカバーしたおかげで再び注目の「ガンダーラ」ですが、それよりも1年早くこの歌詞は生まれてたんやでー!という点を微妙に主張してみるせこい私。(笑)