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月齢進行表

~aki's diary~

ニュアンス

2015-05-22 07:21:43 | 言葉

「チャレンジ」と「挑戦」て、どうやって使い分けたらいいですか?
昨日、20代の学生さんから受けた質問。

んー、なかなか難問。
しばらくふたりでウンウン唸りながら考えて…
「そういえば、チャレンジ精神とは言うけど挑戦精神とは言わないですね?」
「挑戦の方がアクションしている姿に結びつきやすいかなぁ?」
とか
「『社長、それはすごい挑戦でしたね!』はいいけど『社長、それはすごいチャレンジでしたね!』て言うと怒られそうだよね?」
などなど、あれこれ事例を出しつつ、

・「チャレンジ」はマインドにも行動にも使えそうだが、「挑戦」はマインドには使いにくそう
・フォーマルな場面では「挑戦」の方がふさわしそう
・英語にすると、ちょっと軽い感じになる

という見解で着地しました。
外国人に日本語を教えていると、ちょいちょいこういう質問を受けるんだけど、日本人の、しかも若い人からこういう質問が来るのって新鮮。

思えば、同様の意味を持っているのに、日本語と英語でなんとなく使い分けをしている「隠れ和製英語」て、意外とありそうな気がします。

例えば「会議」と「ミーティング」。
どちらも、複数の人間で共通のテーマについて話し合うことを指していて、同じものを人によって「会議」と言ったり「ミーティング」と呼んだりすることもあるけれど、「ちょっと軽くミーティングしようか?」とは言えても、「ちょっと軽く会議しようか?」だと、なんか違和感があります。
「ちょっと軽く打ち合わせしようか?」にすると違和感がないところを見ると、ミーティングは会議よりも打ち合わせに近くて、時間が短いとか内容がライトとか、そんな感じがしてきます。

かくして、件の彼女は、エントリーシートに書く言葉として「挑戦」を選んだわけですが…
んな細かいこと、どっちだっていいじゃん! と思う人も多いと思うし、どっちを使っても、受け取り側の感性によって、結局伝わるものは変わらないかもしれません。
でも、ニュアンスから様々な情報を伝える日本語を使う日本人だからこそ、こういうことに繊細にこだわって欲しいと思うし、少なくとも私は、ニュアンスへのこだわりを大切にしたいと思っています。

 

写真は、時々ライブでお世話になっている、津島の「ジャズくれよん」のお庭。
くれよんのマスターは、私が時々MCで話す「歌詞の理解」←理解の範疇を超えた妄想ともいう(笑)を面白がってくれます。
それもまた、結構『日本人的言語理解』によって作り出される世界だったりするんですが…
そのお話は、また別の機会に。

 

今週の月曜に新月を迎え、水曜の三日月を経て今日は五日夜。
次の満月まで、あと12日。


今年の漢字

2013-12-13 10:46:14 | 言葉

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昨日、今年の漢字が発表された。
今年の漢字は「輪」
2020年東京五輪の「輪」、フィリピンの台風災害支援の「輪」、TPPにまつわる太平洋地域の「輪」(『環』太平洋やね) など。
若干こじつけっぽいというか、「輪」という漢字が醸す穏やかな雰囲気の1年だっただろうかと思ったりするわけですが…。



私のこの1年は「跳」だろうか。
キャリアの仕事も音楽活動も、昨年とは明らかに違うフェーズに進んだと思う。
もちろん、どちらも長く続けてきたものがベースにあるのだけれど、それらを次のステップに引っ張り上げてくれる切っ掛けが本当にたくさんあった1年。
だから今までを助走期間として、今年はジャンプした感じ。


真っすぐ空に手を伸ばしてジャンプした1年。
何を求めてるのかは曖昧だけれど、何かを掴もうとしてジャンプした1年。
新しいフェーズでは まだ何も形になっていないけれど、ここで感じる『未熟さ』は 新しい可能性に繋がっているかもしれない、と思う。
こうやって何度もトライしていれば、何かが掴めるという手応えを感じた、そんな1年だったと思う。


と振返ってるけど、まだライブ予定は5本もありますよ。
はい、張り切っていきます。


15日(日)は、大垣市駅前商店街でお待ち申し上げ



外はみぞれまじりの雨。
空気は本格的な冬の匂い。
次の満月まで、あと4日。


おんなじ。

2013-06-04 23:22:39 | 言葉

先日、名古屋のジャズバーで飛び入りで歌ったときのこと。


御歳80になるマスターから、ひとこと。
「akiさん、先生いないでしょ?」


ひゃー
アタシが誰にも師事してないって、こんなちょっと歌っただけでバレてるぅ~



でも、逆の立場の時、アタシもそうだっけ。
模擬面接の面接官役をする時、初対面の求職者さんと10分ぐらいのロールプレイングをすれば、大抵その人のことが解る。
で、面接練習後のアドバイスで
「えー、先生なんで そんなに解るんですか~?」
と求職者さんに驚かれる。


そう、
わかる人には、わかっちゃうんだよね。
付け焼き刃とか、小手先の技とか、そんなものは通用しない。



「や、や、やっぱ、師匠につかないとダメですよね~
焦る私に、ジャズバーのマスターは
「いやいや、それはそれでいいんだって。また歌いにおいで」
と言ってくれました。



そういえば、面接練習で背伸びする求職者さんに
「作っても飾っても、今の自分以上のものは出ないんだから。素直に行こうよ」
て、いつも言ってるのになぁ。


あれ? おんなじ?


アタシの世界、偏ってるなぁ。
こっちの世界の理解が、ちゃんと向こうに応用されれば、もっと自分を解放できるかもしれないなぁ。



解放。
多分、私にとって永遠のテーマだ。


次の新月まで、あと5日。


自分の足で立つ

2013-02-28 23:13:59 | 言葉

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ふと思い出して、茨木のり子の詩集を手に取ってみた。


「自分の感受性くらい」という詩が好きで、
そのことは、以前このブログにも書いたんだけど、
今の私には、「倚りかからず」という詩が響く。



もはや
できあいの思想には倚りかかりたくない
もはや
できあいの宗教には倚りかかりたくない
もはや
できあいの学問には倚りかかりたくない
もはや
いかなる権威にも倚りかかりたくはない


ながく生きて
心底学んだのはそれぐらい
じぶんの耳目
じぶんの二本足のみで立っていて
なに不都合のことやある


倚りかかるとすれば
それは
椅子の背もたれだけ




きちんと自分の足で立って、
時代や環境によって揺れるものや、
お仕着せのものに身を委ねない。
そういう芯のある生き方、いいなぁと思う。



ただ、
疲れた時に、安心して身体を預けられるものは、きっと必要。


丈夫な椅子を探さなきゃ(笑)




2月も今日で終わり。
明日からは3月。
次の新月まで、あと12日。


言語と非言語

2013-02-09 07:55:18 | 言葉

「メラビアンの法則」というものがある。
1971年、アメリカの心理学者アルバート・メラビアンが提唱したもので、言語情報と音声情報、視覚情報で矛盾した情報が発信された時、人はどちらをより重要視するのかという実験の結果。


例えば、「多分」という言葉を強い口調で言った場合、それを『どっちつかずの状態』と取るのか『割と確信を持っている状態』と判断するのか?
また、沈痛な表情で「大丈夫です」と言った場合、『大丈夫』という言葉を額面通りに受取るのか、沈痛な表情から『大丈夫じゃないだろー?』と判断するのか?


上記のような場合、どちらも大多数の人は後者(『確信のある状態』『大丈夫じゃない』)と判断する。
これらの実験から、人は【視覚情報:55%】【聴覚情報:38%】【言語情報:7%】という比率で重視している、というのが「メラビアンの法則」。
※あくまで ”それぞれの情報源から矛盾した情報が発信された場合”の話ですけどね


コミュニケーション論の本を読むと、コミュニケーション活動全般を100%とした時、言語チャンネル(言葉や文字)から伝わるものは20%、非言語チャンネル(音声・表情・態度・音・光・温度・触感など)から伝わるものは80%を占めると言われています。


では、コミュニケーション活動において、言語はそれほど重要ではないのか?



答えは『NO』だと思います。


と言うより、どちらが重要かという議論自体がナンセンスなんだと思います。
非言語コミュニケーションが言葉を軽く超えていく瞬間は多々あります。
でもその一方で、非言語にはできないことが言語コミュニケーションにはできるのです。


要するに、バランスだと思います。
何を伝えるために、言語・非言語 どちらのチャンネルを使うのか?
適切に判断して使い分ければ、どちらが優位というわけでもなく、ちゃんとした相乗効果があるのだと思います。


豊かなコミュニケーション活動って、そういうことですよね?



ライブのMCも、割とそんなことを考えながら話していることがあります。
MCによって、聴き手の中で 次に演奏する曲の世界が広がればいいなぁ、と。
それは、どんな括りのライブで、どんな選曲で演奏するかにも強く関連してたりするんですけどね。


明日はmusiqman jr.さんのライブのオープニングアクト。
彼のOAは今回で3回目。ありがたい話です。
もうセットリストは決まってるから、あとは何を話そうかな~?て考えてます。



明日は新月だなぁ。