NHKの「新日曜美術館」を見ました。オンエアは日曜の朝だったんですけどね、ビデオに録って今日見ました。
今回の特集は「天才ダリの素顔に迫る・妻ガラとの半世紀」というもの。(実はサルバドール・ダリが好きなのです。)
ダリの妻だったガラ・リーナは、ダリと出会った当時は詩人のポール・エリュアールの妻でしたが、10歳年下のダリに激しく愛されて、ポールと離婚し残りの人生をダリの妻として生きた女性でした。ダリは幼い頃に亡くした母の面影をガラに重ねて彼女に傾倒していき、ガラを妻として、時に母親として、モデルとして、時によきアドバイザーとして、生涯を共にしました。
というのが、今まで私が知っていた「ダリとガラ」だったのですが、真実はちょっと違ったようです。
ガラは随分奔放な女性で、ダリと結婚した4年後にはダリより若い愛人を作り、ダリの元には時々しか身を寄せていなかったとか。その後も何人かの愛人を作り、病に伏してダリの元に戻ることになる直前には、40歳年下の男性と付き合っていたとか(当時ガラは80歳前後だったと・・・汗)。
あらゆる面においてガラに頼り切っていたダリは、ガラの裏切りを責めることもできず、自ら別れを選択することもできず、やるせない気持ちに折り合いをつけるかのように、ある時期からガラを「聖母マリア」に見立てた絵を何枚も描くのです。
「ガラは普通の人間ではない。何があっても崇高で美しい存在なのだ。」と、自分で自分に言い聞かせるように、心の中に作り上げた「聖なるガラ」を描き続けた、どうもそういうことだったらしいです。
この番組のゲストとして、男性の学芸員(だったと思う)と女優の岸恵子さん(生前のダリとガラと交流があったとのこと)が招かれていました。
男性学芸員はそんなダリのことを「生涯一女性をひたむきに愛し続けた健気な芸術家」と評したのに対し、岸恵子さんは「激しい執着」と表現しました。「痛々しいほどの執着とプライドを感じる」と。
この男女の感じ方の違いが面白いな、と思いました。
私は岸恵子さんに1票です。
「健気なでひたむき」というよりは、胸を深くえぐるような「痛みと苦悩」を感じてしまいました。
パリのモンマルトルで偶然見つけた「ダリ美術館」に入ったとき、ガラを聖母マリアに見立てた「ポルト・リガートの聖母」という絵を見て「美しい」と思いながらも、美しさへの感動とは違う意味で鳥肌が立った理由が、きっとこの「執着心」への共感に繋がっていたんだろうな、と、そう思いました。
「純愛は狂気」とは、自分で書いた歌詞の一部ですが、やっぱりそうなんだと思ってしまいました。
でも・・・、
それって、女性特有の感じ方なのかしらん?
男性は、同じ話を聞いたとき、やっぱり「ダリは健気だ」と思うのかしらん?
女の私にはわからないや。今度、バンドのメンバーに聞いてみよ。
それにしても、ダリの凄いところは、狂気の沙汰のまっただ中で、それを絵に昇華できたこと。
天才って、そういうことなんだと思います。
今回の特集は「天才ダリの素顔に迫る・妻ガラとの半世紀」というもの。(実はサルバドール・ダリが好きなのです。)
ダリの妻だったガラ・リーナは、ダリと出会った当時は詩人のポール・エリュアールの妻でしたが、10歳年下のダリに激しく愛されて、ポールと離婚し残りの人生をダリの妻として生きた女性でした。ダリは幼い頃に亡くした母の面影をガラに重ねて彼女に傾倒していき、ガラを妻として、時に母親として、モデルとして、時によきアドバイザーとして、生涯を共にしました。
というのが、今まで私が知っていた「ダリとガラ」だったのですが、真実はちょっと違ったようです。
ガラは随分奔放な女性で、ダリと結婚した4年後にはダリより若い愛人を作り、ダリの元には時々しか身を寄せていなかったとか。その後も何人かの愛人を作り、病に伏してダリの元に戻ることになる直前には、40歳年下の男性と付き合っていたとか(当時ガラは80歳前後だったと・・・汗)。
あらゆる面においてガラに頼り切っていたダリは、ガラの裏切りを責めることもできず、自ら別れを選択することもできず、やるせない気持ちに折り合いをつけるかのように、ある時期からガラを「聖母マリア」に見立てた絵を何枚も描くのです。
「ガラは普通の人間ではない。何があっても崇高で美しい存在なのだ。」と、自分で自分に言い聞かせるように、心の中に作り上げた「聖なるガラ」を描き続けた、どうもそういうことだったらしいです。
この番組のゲストとして、男性の学芸員(だったと思う)と女優の岸恵子さん(生前のダリとガラと交流があったとのこと)が招かれていました。
男性学芸員はそんなダリのことを「生涯一女性をひたむきに愛し続けた健気な芸術家」と評したのに対し、岸恵子さんは「激しい執着」と表現しました。「痛々しいほどの執着とプライドを感じる」と。
この男女の感じ方の違いが面白いな、と思いました。
私は岸恵子さんに1票です。
「健気なでひたむき」というよりは、胸を深くえぐるような「痛みと苦悩」を感じてしまいました。
パリのモンマルトルで偶然見つけた「ダリ美術館」に入ったとき、ガラを聖母マリアに見立てた「ポルト・リガートの聖母」という絵を見て「美しい」と思いながらも、美しさへの感動とは違う意味で鳥肌が立った理由が、きっとこの「執着心」への共感に繋がっていたんだろうな、と、そう思いました。
「純愛は狂気」とは、自分で書いた歌詞の一部ですが、やっぱりそうなんだと思ってしまいました。
でも・・・、
それって、女性特有の感じ方なのかしらん?
男性は、同じ話を聞いたとき、やっぱり「ダリは健気だ」と思うのかしらん?
女の私にはわからないや。今度、バンドのメンバーに聞いてみよ。
それにしても、ダリの凄いところは、狂気の沙汰のまっただ中で、それを絵に昇華できたこと。
天才って、そういうことなんだと思います。