goo blog サービス終了のお知らせ 

月齢進行表

~aki's diary~

「純愛」という狂気

2006-02-28 00:15:36 | 日記・エッセイ・コラム
NHKの「新日曜美術館」を見ました。オンエアは日曜の朝だったんですけどね、ビデオに録って今日見ました。
今回の特集は「天才ダリの素顔に迫る・妻ガラとの半世紀」というもの。(実はサルバドール・ダリが好きなのです。)

ダリの妻だったガラ・リーナは、ダリと出会った当時は詩人のポール・エリュアールの妻でしたが、10歳年下のダリに激しく愛されて、ポールと離婚し残りの人生をダリの妻として生きた女性でした。ダリは幼い頃に亡くした母の面影をガラに重ねて彼女に傾倒していき、ガラを妻として、時に母親として、モデルとして、時によきアドバイザーとして、生涯を共にしました。

というのが、今まで私が知っていた「ダリとガラ」だったのですが、真実はちょっと違ったようです。

ガラは随分奔放な女性で、ダリと結婚した4年後にはダリより若い愛人を作り、ダリの元には時々しか身を寄せていなかったとか。その後も何人かの愛人を作り、病に伏してダリの元に戻ることになる直前には、40歳年下の男性と付き合っていたとか(当時ガラは80歳前後だったと・・・汗)。
あらゆる面においてガラに頼り切っていたダリは、ガラの裏切りを責めることもできず、自ら別れを選択することもできず、やるせない気持ちに折り合いをつけるかのように、ある時期からガラを「聖母マリア」に見立てた絵を何枚も描くのです。
「ガラは普通の人間ではない。何があっても崇高で美しい存在なのだ。」と、自分で自分に言い聞かせるように、心の中に作り上げた「聖なるガラ」を描き続けた、どうもそういうことだったらしいです。

この番組のゲストとして、男性の学芸員(だったと思う)と女優の岸恵子さん(生前のダリとガラと交流があったとのこと)が招かれていました。
男性学芸員はそんなダリのことを「生涯一女性をひたむきに愛し続けた健気な芸術家」と評したのに対し、岸恵子さんは「激しい執着」と表現しました。「痛々しいほどの執着とプライドを感じる」と。
この男女の感じ方の違いが面白いな、と思いました。

私は岸恵子さんに1票です。
「健気なでひたむき」というよりは、胸を深くえぐるような「痛みと苦悩」を感じてしまいました。
パリのモンマルトルで偶然見つけた「ダリ美術館」に入ったとき、ガラを聖母マリアに見立てた「ポルト・リガートの聖母」という絵を見て「美しい」と思いながらも、美しさへの感動とは違う意味で鳥肌が立った理由が、きっとこの「執着心」への共感に繋がっていたんだろうな、と、そう思いました。

「純愛は狂気」とは、自分で書いた歌詞の一部ですが、やっぱりそうなんだと思ってしまいました。

でも・・・、
それって、女性特有の感じ方なのかしらん?
男性は、同じ話を聞いたとき、やっぱり「ダリは健気だ」と思うのかしらん?
女の私にはわからないや。今度、バンドのメンバーに聞いてみよ。

それにしても、ダリの凄いところは、狂気の沙汰のまっただ中で、それを絵に昇華できたこと。

天才って、そういうことなんだと思います。


携帯メール

2006-02-26 22:33:23 | 日記・エッセイ・コラム
Field BLankのメンバーの家で新曲制作をしている時、なにがきっかけだったか「男の浮気は携帯からバレることが多い」という話になりました。
(注:うちのメンバーが浮気をしているという意味ではなく一般的な話です。)
で、メンバーのひとり(40代♂)が「普通、ひとの携帯見るか?」みたいな発言をしたのですが、「見る見ないっつーか、浮気の証拠になるようなヤバいメールを後生大事に保存してるからいけないんでしょ?」とバッサリ斬り捨ててしまいました(笑)。

でも、帰りのクルマの中でふと「違う見方をすれば、『男も可愛いところがあるのね♪』と思えなくもないなぁ・・・」なんて思いました。
メールをもらえること自体、とっても嬉しかったりするんでしょうねぇ。そのメールを削除できずにとっておく・・・。そんな風に見ると「あら、かわいらしいじゃない。」になるわけです。
そして、浮気発覚の決め手No.1が「携帯」ってことは、男というイキモノが単純でかわいらしいイキモノであることの証拠なのかもしれん、と思ったりしたのでした。

ま、他人事だからそんなコト言ってられるんですけど。

がしかし、やはりヤバ・メールは削除に限りますな。
とっておきたい気持ちは山々かもしれないけど、記憶の中にとっておけばいいじゃぁないですか。そのメール、今はどんなに大事に保存していても、その恋が終わって記憶の中から薄れて行く頃には、きっと自らの指で削除ボタンを押すんでしょうから。
ちなみに、ズボラで削除していないんだとしたら、そういうオトコは論外です。(きっぱり)

ヤバ・メールが携帯に残されている方は、男女を問わずすぐ削除することをオススメします。
百害あって一利なし、です。多分。

それから、たとえば彼女や妻が携帯メールをだまって見たからといって、見られた方は「盗み見」という行為だけを取り上げて倫理や道徳を語ることはできないよねぇ。
「オレのことが信用できないのか?」て、信用できないから見てんじゃん。(笑)



複合型

2006-02-25 21:22:35 | 日記・エッセイ・コラム
ここ最近、複合型商業施設が乱立中。
私の住んでいる所からクルマで30分以内で行ける大手複合型ショッピングセンターは、現在4ヶ所。この春にはもう1ヶ所オープンする。
こんなにたくさん作られる(もしくは作りたがる)ということは、そこにメリットがあって、そのメリットを求める人が多いからなんだろうな。

複合型商業施設の魅力は「そこに行けば何でもある」という点。食料品、衣料品、装飾品、インテリア雑貨、本、CD、映画館、スーパー銭湯、100円ショップ、ゲームセンター、飲食店 etc...
「何でもある」から、特に「何を」という要望がなくても、「あそこに行けばなんかあるんじゃないの?」ってなノリで行ける。結局何も買わなかったとしても、なんか色々見られてよかったなぁなんて気分にもなったりする。

これは、合コンのノリに似ているのかもしれないと思った。
「5人来るんだったら、1人くらい好みのコがいるかもしれない。」みたいな感じ。
なのかな?ごめん、合コンってものに行ったことがないので、参加者の心理の細かいことがよくわからんのですが、多分そういうノリではないかと思うのだ。


複合型商業施設に入店している立場にもメリットはある。
「CDを買いに来た人が、ついでに本屋にも寄ってくれればいいなぁ。」みたいな相乗効果。
1店鋪ではムリな数の集客を、他の店鋪と一つの敷地に入ることで達成していく。

これは、ジャニーズの売り方と同じ。
ジャニーズ・アイドルたちは、大抵グループでデビューする。あれは、社長のジャニー北川さん曰く「束にすることで複数のコが大勢のファンに見てもらうことができる。」からなんだそうだ。
つまり、木村拓哉が好きでSMAPのファンになった子も、香取慎吾が好きでSMAPのファンになった子も、結局は「SMAPのファン」としてSMAPのCDを買うしコンサートにも来る。その結果、中居正宏も草なぎ剛も稲垣吾郎も知る結果になる、という図式。
グループにファンがそこそこついてきたところで、各個人についたファン層を見て、「単品売りしても大丈夫」と思えるコは、ソロ・デビューを果たす(最近はソロっていうよりドラマとかバラエティーに単品で出るって感じだけど)というふうに、アイドルを育てていくやり方らしい。

そういえば、合コンも「気があったものペア」が成立すれば、その後は単品売りだよなぁ。

複合型商業施設も、数年先には単品売りへとまた姿を変えて行ったりするんだろうか?


私はもともと「決め打ちタイプ」で「単品売りタイプ」。
さしせまって用事がないと出無精になったり、「とりあえず」で付き合ったりできないのは、この辺に起因してるのかもしれんなぁ・・・。


2006-02-23 23:53:37 | 日記・エッセイ・コラム
15日に受診した人間ドック、再検査の通知が来た。

腎臓と血清の判定が「F」。

総合判定はA・B・C・D-12・D-6・D-3・D-1・E-1・E-2・F の10段階に分かれている。
AからCまでは「異常なし」「多少異常が認められるが心配なし」「日常生活に注意」というもの、D群は何ヶ月か後に検査が必要というもの、E群は「現在治療中のものの扱いをどうするか」というもの、Fは「要再検査」。

こうやって見るとD群もE群も結構ヤバい結果だろうと思うのだけれど、【F】はなんだかパンチが効いている。

だって、
アメリカの学校じゃ「F」って「落第」って意味なのよね。


2006-02-23 00:20:57 | 日記・エッセイ・コラム
春が近くなったんだなぁ、と思った。

暖かくなったとか、そういう気候的なものではなくて、人の動きというか人の心の動きというか、何かそういうもの。

新しいスタートを切ることになった人が、身近に4人いる。
長く勤めて来た会社を辞めて転職をする人。
ちょっとした修行期間を終えて独立をする人。
より専門性を求めて職場を変える人。
慣れた土地を離れて新しい場所で挑戦しようとする人。
ここ10日くらいの間に、それぞれからバタバタと報告を頂いた。

人が何かを決意するとき、人が大きく動きを変えるときって、日本じゃやっぱり「春」が多いんだなぁ、と思った。
まぁ、会社的に「年度変わり」になるからっていうせいもあるんだろうけど、幼い頃から春に入学をして春に卒業するパターンに馴れ親しむと、やっぱり「春」という季節に期待を持ったり、冬の間に「春までには何とかしよう」と思ったりすることもあるんだろう。

かくいう私は・・・、
自分の思いや希望とは違う方向へ事態が流れつつあるのを感じながらも、これはこれで受け容れようとか、ありものの中でなんとかしようという、ヤル気とも諦めともつかない気持ちで迎えつつある春。

ただし、「やりたいこと」と「やらなくてはいけないこと」の接点が見えづらいことが、「出来ないこと」の理由にはならないことは重々承知。