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月齢進行表

~aki's diary~

やさしいひと

2006-06-29 23:54:50 | 日記・エッセイ・コラム
今までに何度も「やさしいひと」って、どんなひとだろう?って考えたことあるけど、

結局「やさしいひと」が、どんな時に何をするひとなのかは、よくわからないままなんだけれど、

究極にやさしいひとは、多分自分のことを「やさしいひと」だとは思っていないということは、なんとなくわかる。
ごくあたりまえの日常生活を送っていると本人は思っているけれど、周囲が「あの人はやさしい」と言っている人が、ホントの意味でやさしいひとなんだろうなぁ、と。

だから、ホントの「やさしいひと」は、きっとやさしさについて論じたりしないんだろうな。

つまり、「やさしさとは何ぞや?」なんてことを考えている時点で、私は未熟者。


テラスとか、ビールとか、

2006-06-25 23:54:42 | 日記・エッセイ・コラム
昨日のおはなし。

以前の日記にも書いた、ウッドデッキのテラス席のあるカフェにおひるを食べに行ってきた。
最近地元のタウン誌に紹介されたせいもあってか、AM11:30オープンにもかかわらず、AM11:45に到着したときには、既に店内は満席で「待ち」のお客さんも2組いる状態。

でも、
テラス席はガラ空き。3つのテーブル席が設けてあるけれど誰も座っていない。
お店のスタッフに「お席が空くまで少しお待ち頂けますか?」と聞かれて、「あのぅ、テラスは?」と逆に尋ねたら、「あ、テラスでしたらどうぞ。」と案内してもらえた。

なぁんだ、誰かのリザーブかと思ったけど、空いてんじゃん。

ところが、私が席に着いてから3分も経たないうちに、テラス席は満席に。
見たら、私より先に来て待ってた人たち。
あれ?テラス、イヤじゃなかったの?
どうも、テラス席は誰かが座っていないと、いっとう最初には座りづらいという文化があるらしい。


去年、平日にお休みをもらってひとりで旅行した時も、そんなことあったなぁ。
お昼を食べに入った店でビールをオーダーしたら、私の近くの席の人もわらわらとビールを頼んでいたってことが。

他人に迷惑のかからないことだったら、人目なんて気にせずに自分が「いいな」って思うことをやればいいのにな。
例えそれが世界中で自分ひとりだったとしても、誰にも迷惑かけないことで、自分がリラックスできることだったら、やればいいのになぁ。


私はあの店のテラス席がお気に入りなので、行ってすぐ座れるのはとってもありがたいけど。(笑)


乗り越える・飛び越える

2006-06-23 00:45:45 | 日記・エッセイ・コラム
乗り越えなければいけないものを、
飛び越えようと思ってしまうと、
人生は俄然行き詰まりの多いものになる。

世の中、瞬発力で超えられるものばかりじゃない。
じっくり時間をかけて、少しずつ超えていくものの方が、
本当は多いのかもしれない。


失敗したことは、できないことなんじゃなくて、
何かやり方が間違っていたんだよ、きっと 。

誰かに言われたのか、自分でそう思ったのかはよく思い出せないけど、
そうなんだと思う。


私は、気づくのが遅い。
気づいたことをまとめるのが遅い。
だから、行動も遅い。
ついでに言うなら、要領も悪い。
だから、「飛び越えるもの」より「乗り越えるもの」の方が、
実は圧倒的に多いんだと思う。

乗り越えるものが多いから、30数年生かしてもらえたのかな。
じゃ、この先も長生きするな、きっと。


恋の終わり

2006-06-20 23:46:44 | 日記・エッセイ・コラム
【失恋】(しつれん)
恋する気持ちが通じなかったり拒絶されたりすること。恋が成就しないこと。
大辞林 第二版(三省堂)


ふぅん、そうなんだ。
じゃ、片思いも恋だと言うなら、失恋は恋の終わりではないんだな。

気持ちが伝わらなくても、恋が成就しなくても、別れて二度と会えないとしても、相手への想いが自分の中に残っているのなら、その恋は終わっているとは言えないんだろう。

恋が終わる時っていうのは、きっとその恋を忘れた時。
その人を想うときに感じる痛みのようなものを、だんだん感じなくなっていって、知らない間に終焉を迎えているんだろうなぁ。

そう考えると、失恋の辛さとは違って、恋が終わることは静かで穏やかなことなのかもしれない。
天寿を全うして、緩やかに下降線を描きながら安らかな死を迎えることと、よく似ているのかもしれない。