
小説の内容もよかったけど、「あとがき」に吉本ばななさんが書いたコメントにとても共感した。
『私はこの小説が、これまで書いた中でいちばん好きです。これが書けたので、小説家になってよかったと思いました。』
私は、自分で書いた詞が好きだ。
ライブや練習でうたいながら、日常生活の中でふっと思い出しながら、「あぁ、この歌詞、好きだなぁ。」と思ったりする。
そんな時、「あぁ、詞を書いていてよかったなぁ」と思う。
他人の評価や評判が良ければ、なお「よかった」と思うのだけれど、それ以前に「自分が好きかどうか」がその作品にどれだけ愛着を持てるかに大きく影響している。
吉本さんは、この小説を『過去のつらかったことを(出産を前にして)あわてて精算しようとして書いた』とか『自分自身の身に起きたことを書いていないけれど、これまで書いた中でいちばん私小説的なもの』とも言っている。
ストーリーが実際にあったことなのか、とか、登場人物が実在の人なのか、ということより、そこに書かれている心情が、飾り立てたり偽ったりせず、本当の気持ちで書けているかどうかが、自分で自分の作品を「好き」と言える(または言い続けることができる)ことに繋がるのかなぁ、と、思う。
自画自賛といえばそれまでなんだけれど、「自分の作品に癒される」というのが、人として最も高貴なことなんだと、昨年旅先で会った木工芸術家の人が言っていた。
小説の中で『悲しいと、感受性が研ぎすまされる』という文章があった。なるほど、思い当たるものがあるなぁ、と思う。
悲しいことがあった時は、誰かの小さな気遣いにすごく感動したり、些細なことに動揺したりする。そういう時は自然と詩的になったりする。そういう時に、そういう気持ちと向き合って作品に残すというのは、どこか自虐的なんだけれど、実はそれが悲しみに対する自然治癒力になっているのかもしれない。
「自分の作品が好きか?」は「自分にちゃんと向き合っているか」とか「自分のことが好きか」と聞かれていることと同じ意味なんだろうな、結局。
最近、歌詞を書いていない。鍵盤にも触っていない。
あまり自分と向き合う時間を持っていない証拠。
ちゃんと、そういう時間を作らないとね。