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月齢進行表

~aki's diary~

Wordless

2008-11-11 19:28:02 | 言葉

Sunset







たくさんの言葉を知れば知るほど、
巧妙なコミュニケーションのテクニックを知れば知るほど、
それらすべてを駆使しても表現できないものが、
確実に自分の中にあることを思い知る。



別に、隠すつもりなんてない。
ただ、自分の思いをそのままに表してくれる言葉や方法が見つからないだけのこと。
そんなもどかしさは、私に限らず誰もが持っているものなんだろう。
そういう気持ちの存在に、気づいているか気づいていないかの違いだけで。



空が朱いなぁ、と思う。
「空が朱いね。」と言葉にした時、
それはただ見たままの事実を伝えるだけじゃなくて、
自分にとって何かもっと意味を持っているような気がする。
それが何なのかを説明したくても、説明する言葉を持たないから、
朱い空や雲を見てちょっと苦しくなる気持ちを、
まるごと受け止めてくれればいいのに、と思う。
そしたら、言葉なんてなくても繋がれるのかもしれないと思う。


生まれ変わったら

2008-10-03 20:10:26 | 言葉

ミシェル・ド・モンテーニュ。16世紀フランスの哲学者。
モンテーニュは自身の執筆『エセー(随想録)』の中で、こんなことを言っている。

もう一度生まれ変わるとしても、わたしは、これまで生きてきたように生きるような気がしている。

モンテーニュにどんな真意があってこの言葉を残したのかはわからないけれど、
私も、生まれ変わっても今と同じように生きると思う。
私の場合、8割今の生き方に満足して、
残りの2割は、こんな風にしか生きられないよねっていうあきらめで、なんだけど。

いや、あきらめじゃなくて、開き直りか?(笑)


最後の恋

2008-10-01 20:31:36 | 言葉

今している恋が、生涯最後の恋なのかどうかなんて、
きっと、自分が死ぬ瞬間までわかんないんだろうなぁ。
と、そんなことを漠然と思っている自分は、
今この瞬間、世界で一番結婚に向かない女になっているんだろう。(笑)

「永遠の愛」とか「最後の恋」とか、
強い言葉で語られるものほど、
とっても弱くて脆いものに思えてしまう。

本日のBGM「Love Alive」 by Love Tambourines
" Let's keep our love alive, baby. I found that you're the best thing in my life. "
この愛を育て続けましょう あなたは私の人生最高の人だと気づいたの。

多分、私が死ぬ瞬間、生涯で一番愛した人のことを思いながら、
私の頭の中ではこの曲が流れるんじゃないかと思う。


step by step

2008-08-25 22:04:47 | 言葉

基本的におめでたい性格なので、「アタシって不幸だわ」と思うことは少ない。
例え思ったとしても一瞬のことで、程なく「でもこういう経験をしたおかげで、またひとつ勉強になったわー」と思い直したりするので、悲壮感をひきずらない、いわゆる「立ち直りの早いタイプ」の部類であることは間違いないと思う。

が、しかし、悲壮感をひきずらないことと、物事がうまく運んでいることとは、実は全く別モノである。
ここしばらくのうちで、何か実現できたんだっけ?って改めて振り返ってみると、何も実現なんてできてなくて、じゃ実現に向かって具体的に何をやってますかって問われると、決して何もしていないわけじゃないけど、案外脇が甘い所がたくさんあるようにも思う。

「足場を固めずに見る夢って、現実味がないですよね。」
今日、仕事で会った人から聞いたひとこと。
「気合いだけじゃダメなんですよ。目標に到達するためのステップがちゃんと見えてないとね。」
若かりし頃に比べたら、うんと考えるようになった方だと思う。でも、こういう言葉に出会って「どきっ」とするってことは、まだまだ気合いというか瞬発力に依存しすぎてる部分が多いんだろうなぁ、と思う。

目標とか、夢とか、理想とか、そういうものは大事だと思う。
でも、それらを持つだけじゃダメ。
実現させたいと思うんだったら、もっともっと考えないと。


漢字の感じ

2008-07-29 19:36:12 | 言葉

昨日の「日本語教師養成講座」で、漢字を使わない文章でも充分通用すると提唱している学者の話を聞きました。
最も、すべての漢字を排除するのではなく、「送り仮名のつく漢字だけ」という条件付きではありますが。

例えるなら、こんな感じです。
「今日の夕方、午後6時発車の電車に乗りました。」→「今日の夕方、午後6時発車の電車にのりました。」
「手紙を出すために、郵便局へ行きました。」→「手紙をだすために、郵便局へいきました。」
『乗りました』が『のりました』、『出す・行く』が『だす、いく』になったところで、たいして読解に困らないから、送り仮名なんて面倒なことを考えなくても良いように、送り仮名が必要な漢字なんてなくしてもいいんじゃないか、という発想から来ているらしいのですが、この発想がスタンダードになったとしたら、私はちょっと困ります。

なぜなら…

「あなたに会いたい」
「あなたに逢いたい」
どちらも平仮名にすれば「あいたい」になるのですが、私の中でこの両者はニュアンスが違います。
「会いたい」の場合、「会う」ことを遮るものは時間とか距離などの物理的なもの。
その一方「逢いたい」の場合は、自分の力や努力でどうにかなるものではない、何かしら運命のようなシチュエーションを想像してしまいます。
つまり、私にとって「会いたい」という感情は「会いたい」であり、
「逢いたい」という感情は、「会いたい」とは別に存在するものであり、
「あいたい」という音でまとめていいものではなかったりするのです。
私は歌詞を書く時に、明確にそのあたりを使い分けます。

アマチュアバンドでうたっていると、リスナーに歌詞を文字で見せることは殆どないので、そんなこだわりはどうでもいいのかもしれないのですが、
私は「会いたい」というつもりで歌うのと、「逢いたい」というつもりで歌うのとでは、微妙に表現に差が出ると信じて疑わないので、
自分が歌詞を書きながら、視覚的に表現を確認するためにも、同音の漢字の使い分けには妙にこだわったりします。

こういう「文字表記」から受けるニュアンスの違いの妙も含めて、私は日本語が好きです。
漢字も送り仮名も面倒って言えば面倒だけど、そこに「意味」を感じることができたら、それらも大切に思えるような気がします。