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月齢進行表

~aki's diary~

学校給食

2009-04-10 23:33:32 | 言葉

長年使っているメーラー。
要らない受信メールはちゃっちゃと削除しちゃうんだけど、そういえば送信メールってあんまり整理してない。
ふと思い立って送信メールボックスを開けてみたら、その数1258通 
一番古いメールは2002年6月10日、私が.Macのメールアドレスを取得したばかりの頃のメールでございました。
いやはや、こんなにもたくさんのメール、よくもまぁここまで貯め込んだもんです。
というわけで、不要なメールを捨てることにしました。


が・・・、
久し振りに部屋の整理をすると、ひょっこり出てきた古い雑誌を思わず読んじゃったりするじゃないですか。
メールもあれと一緒ですよ。思わず読んでしまうんですねぇ。
そしたら、友達(♀)あてに送った、こんなメールが見つかりました。



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うちのピアノの師匠が面白いことを言ってました。


「恋愛ってなぁ、学校給食みたいなモンでなぁ、
美味しいものだけ先に食っちゃうと不味いとこだけ残るんだわ。
でも、残しちゃあかんから全部食わなきゃならん。
その不味い部分が『別れ』だな。
別れってのは幸せだった頃と対比するんじゃなくて、
幸せだった頃の延長線上にあるもんじゃねぇのかなぁ。」


うーん、なるほど。
別れまできちんと受け入れて、はじめてひとつの恋愛なのね、きっと。


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2003年8月13日の送信メール。
師匠にこんな言葉を聞いたことも、それを友達にメールで伝えたことも、きれいさっぱり忘れていました。(笑)
しかし、この師匠の例えは秀逸ですな。
今読んでも納得しますわ、ええ。



あれ? でも・・・、
そういや最近の学校給食は、残してもいいんだっけ?


嫌いなものは残してヨシ、かけっこの順位はつけない、そんな昨今の教育環境の中で育つ最近のコは、将来どうやって恋愛のオトシマエをつけるようになるんでしょか・・・。
ま、煮え切らない態度で自然消滅を目論んだり、別れが受け入れられなくて暴れたり脅したりする人はどんな世代でもいるので、教育とかあんまり関係ないのかもしんないけど。



しかし、昔の送信メールって面白いなぁ。自分が記憶してないから余計に面白い。
昔の自分のblogとかも、もしかしたら面白いのかも?
読んでみるか?

アカン。絶対メールボックス、片付かんな。




※注
学校給食が「食べられないものは残してよい」になったのは、アレルギー体質の子供が増えたからです。アレルギーのある子に無理矢理アレルゲンの食物を食べさせると、最悪の場合死に至ります。なので、軍隊のように「根性で食え!」じゃなく、ケースバイケースで指導できるようになったことは、教育上進歩だと思います。
が、そうじゃない子にもゆるくなってしまったのはどーなのかなーと思うワタクシ。
小学生の頃、レーズンパンのレーズンを全部つまみだしてこっそり捨てようとしたのが見つかって、えらく怒られた記憶がありますデス。ww


偶然と運命

2009-03-18 19:10:15 | 言葉

偶然がいくつも重なると、「これって運命なのかも」と、誰しも思ったりするもんです。



【運命】
超自然的な力に支配されて、人の上に訪れるめぐりあわせ。天命によって定められた人の運。
(大辞林 第二版)


自分の力ではどうすることも出来ないもの、それが「運命」だと辞書には書かれています。



キャリアの理論家のクランボルツ先生は、「Planned Happenstance(計画された偶発性)」という理論で、「偶然は積極的に作りだすことができる」と説いています。
「偶然」は
 ・好奇心(新しい学習の機会の模索)
 ・持続性(めげない努力)
 ・楽観性(未知のものに対して「実現可能」と思えること)
 ・柔軟性(ひとつの価値観や信念や行動パターンにとらわれないこと)
 ・リスクテイキング(結果が予測不能でも「やってみよう」と思えること)
によって引き起こされるため、各自の心がけ次第で積極的に作り出せるものだとしています。
そして、「偶然の出来事」を避けたり否定したりせず、自分の将来のために最大限活用することが重要だと説いています。


だとすると、偶然はやっぱりどこまで行っても「偶然」なんだと思います。
偶然の連続を運命だと思ってしまうのは、多分、ちょっと違うんだと思います。
運命だと思った瞬間、「偶然の出来事を自分の力にする」という努力を、きっと人はやめてしまいます。努力をやめてしまった時に失われてしまうものは、やっぱり運命じゃないんだと思います。
偶然によるめぐり合わせは、何かしら神秘的だったり運命的だったりしますが、「運命的」と「運命」は別物なんでしょう。


運命なんて、ホントは自分の意識には全く感じられない次元の、遠く無意識の世界へ働きかけているものなんだろうなぁ、と、そんな風に思います。
だって、意識できるものなら変えられるでしょ?


だから…、つまり…、要するに…、えっと…、
「運命だ」なんて胡坐かかずに、偶然の結びつきを失くさないためには常に努力しろってことです。


in another words

2009-01-27 23:49:13 | 言葉

好きな人に気持ちを伝えようと思って「好きだよ」と言葉にした時、自分の気持ちの濃さと、口にした言葉の響きの軽さのギャップに衝撃を受けた。


好きだよ。好きだよ。好きだよ。
繰り返し心の中で思うたび、思いはどんどん募るのに、なぜ正しい重さで伝わらないんだろう?



Lunnaのオリジナル曲「カルマ」の冒頭の歌詞


  胸の中で何度も繰り返した言葉を
  受話器の向こうの君に伝えようとするけど
  口にした瞬間 僕の気持ちは
  かたちを変えてしまいそうだ


この部分は、そんな自分の体験とつながっている。
加えてそれは、私が歌詞を書くときの言葉の選び方につながっている。



「あなたのことが好き」を表現するために、「好き」という言葉を使わずにどうやって伝えるのか?


  確かな私を伝えたいから 選びすぎて無口になる


例えばそんな表現もありだと思う。



歌詞を書くときに自分に言いきかせる言葉は「in another words」。
その気持ち、言い換えたらどうなるの?
そんな気持ちの時、私は何をするんだろう? どうなるんだろう?
そうやって、自分の経験や考え方を振返るので、歌詞を書いていると自分というニンゲンを見つめ直す良い機会になったりする。(笑)


そういう意味で、歌詞を書くということは素の自分をストレートに他人の前に晒すようなもん。
だから、自分の中に存在する弱い自分や強い自分など、色んな自分をちゃんと自分で認めて受け止めてなければ、自分の歌詞を人前でうたうことなんて出来ないのかもしれないなー、と思った。


あそぼ♪

2008-12-03 09:48:32 | 言葉

タイトルを見て「21世紀少年」の話だと思った方、残念でした。m(_ _)m

今日は このblog上の同居人である「ぱぺろ」をご紹介します。
ぱぺろとは、blog画面の左の方にいるうさぎのことです。


このぱぺろくん、クリックすると色々なことをしゃべります。
大体はワタクシのblogの記事から言葉を拾ってしゃべっているのですが、時々それらの言葉をつなげて俳句を読みます。
これが意味不明でなかなか笑えます。
例えば、先日の俳句はこんなのでした。


「引っ越しや 凍死したれば 颪かな」
「あの荷物 応募するのは アルバイト」


日記を更新した日は気分が良いらしく、どうでも良い句をよく読みます。
(だいたひかるか!)


コメントを入力する人の名前も拾うらしく、たまに
「aki、あそぼ♪」(ホントに♪マーク付で吹き出しが出ます)
なんて誘ってきます。
思わず「かわいいなー」と2度3度クリックすると、そのたびに嬉しそうに走ってきますが、そのうち飽きて寝ます。(笑)
よくできてるなぁ、と、密かに感心しております、ハイ。


blogをご覧の方々も、クリック!クリック!で、ぱぺろと遊んでやってくださいまし。

主人共々よろしくお願いいたします。m(_ _)m


「やさしい」と「親切」

2008-11-17 22:27:08 | 言葉

昨日から、日本語の先生のボランティアを始めました。
生徒さんは日本に来てもう8年経つ日系ブラジル人夫婦。
日常会話はほとんど不自由しないくらいの日本語力があるので、結構難しい質問も飛び出します。


「先生、電車でおばあさんに席を変わるは、やさしい人ですか?親切な人ですか?」
うーん…、
少し考えてから「やさしい人、親切な人、どちらも○です。」と答えました。
するとさらに「やさしい人、親切な人、意味は一緒ですか?」
うーん…、うーん…、
さっきより長めに考えたあと、「違います」と答えました。


私の説明はこうです。
・しんせつ → こうどう(行動)
・やさしい → きもち(気持ち)
おばあさんは足腰が弱いから立っているのはかわいそうだ。席をゆずってあげよう。と思う人は「やさしい人」。
「おばあさんに席をゆずってあげようと思ったんだけど、照れくさくてできなくてさー。」という人に『やさしいね』とは言えても『親切だね』とは言いにくい。
でも、実際に席をゆずってあげた人には『親切だね」と言える。
じゃ、なぜ席をゆずった人を「やさしい人」と言えるのか?
それはきっと、席をゆずるときに「おばあさんが立っているのはかわいそう」という気持ちがあるから。
というようなことを、彼等のわかる範囲の日本語と図示で説明をしまして…、ご納得いただけたようです。(^_^)v
「親切にする」という言葉と同様に「やさしくする」という言葉もあるので、「やさしい=きもち」ではなく行為も含まれるのかなー?とも思ったのですが、「やさしくする」のバックグラウンドにはやはり「きもち」があるのではと思い、一応この説明でよしとすることにしました。
※とはいえ、何か他に良い説明を知っている方は教えてください!


帰宅してからもこの説明について色々考えていたのですが、私の説明が正しければ「気持ちはあるのに、それを行動や言動に表すのが苦手な人」(いわゆる不器用な人)は、やさしい人だってことが案外知られていないのかもしれないなぁ、と思いました。
私が気づいているより「やさしい人」の人口は多いのかも。(^0^)


いや、でも…、
逆に、気持ちがないのに親切な行動をする人って、もしかしている?
思い浮かんだ言葉が「下心」。(笑)
自分がいい人だと思われたいから、親切な行動に出る人もいるんだよなぁ、きっと。


ぶっきらぼうな仕草の裏のやさしさ。
親切な行動の裏の下心。
うーん…、
これは日本語上級者にしか説明できんな。(笑)