A:「今日、飲みに行かない?」
B:「うーん、明日の朝、早いんだよね。」
こういう会話、日常でよくあると思う。
だから、何気にこれは普通のやりとりに見えてしまうけれども、字面の意味だけを捉えた場合には成立しない会話だ。
Aは「飲みに行けるかどうか」を問うているので、Bの答えは本来「行ける」か「行けない」かで回答するべき。
でも、YESかNOかを明確にしていないにも関わらず、「明日の朝は早い」と言うだけで、暗に「飲みに行けない」という断りであるということを私たちは理解している。
なぜそんな会話が成立するのか?
それは、「相手は自分の求めている回答を無視して発言することはない。」ということを信じて、受け手が相手の発話の意図を理解しようとするから成立するんだそうだ。だから受け手は「明日の朝が早い」という相手の言葉が何を意味するのかを推察し、「今晩は夜更かしができない」という裏の意味を理解する、と、そういうことらしい。
それを「協調の原理」と言う。
今日の日本語教師養成講座で習った。
そんな先生の解説を聞きながら、ふと思い出したことがあった。
「相手を信じても、その相手に裏切られるとショックが大きいから、基本的には相手を信用しないようにしている。」
とある知人の言葉。
その言葉を聞いた時、確かに裏切られるのは辛いし悔しいことだけど、それを理由に「人を信じない」という行動になるのだという理屈が、私の中ではどうにも腑に落ちなかった。
その時の気持ちの悪い違和感が、ずっと私の胸の中にはあったのだけれど、今日「協調の原理」の話を聞いた時に、「ああ、そうか」と思った。
「相手が裏切るかもしれないから信じない」という理屈は、つまり「人間とは裏切るものだ」という前提に立っている。
これは決して拡大解釈ではないと思う。
不特定多数の人を、根拠もなしに「信じない」と言うということは、大前提として「人なんて信用できない」と思っているということだ。
「裏切られるのが嫌だから」という被害者意識に見えて、実はそもそも人間関係を壊しているデストロイヤーは、「人は裏切る」という前提の保護下で相手を信用していない人自身じゃないのかと。
A:「今日、飲みに行かない?」
B:「うーん、明日の朝、早いんだよね。」
という会話も、Aが「明日の朝が早いのなら、今日は飲んでる場合じゃないよね」という理解をしてくれればいいのだが、Aがそもそも相手を信用しない人だったら、「明日早いとか言って、本当は自分と飲みに行くのが嫌なんだろう」なんて深読みをしてしまう。
深読みをする人は、大抵その読みが当たっているかどうかを直接相手に確認するほどの度胸は持ち合わせていないから、相手の意図を読もうとすればするほど、マイナスのスパイラルにはまって行く。
そういう構図、よく見る。
端で見てると「不幸だな」って思うけど、当の本人は「疑われることが不幸だ」と思っているので、疑う不幸に気づいていない。
協調の原理。
私には「コミュニケーションを成立させたかったら、相手を信じろ」というメッセージに受け取れた。
なんてことを考えてたら、授業が先に進んでるじゃん!!
あー、もう。
置いてきぼりになった所は、これからちゃんと教科書読んで理解します。orz