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月齢進行表

~aki's diary~

私の場合

2009-12-25 21:14:55 | 言葉

「さみしい」の言葉の意味は?
と問いかけたら、
「ひとりぼっちで、まわりに誰もいないこと」
という答えが返ってきました。


そうかなぁ?
私は、ちょっと違うな。


ひとりでいることがさみしいんじゃなくて、
会いたい人に会えないことがさみしいんじゃないのかな?


会いたい人がいなければ、
「ひとり」もさみしいとは思わない。
多分、私の場合はね。


「さみしい」と感じるときは、
心が誰かに向かっている状態なので、
「さみしい」と思うだけでパワーが要ることなのだと思うのです。
だから、「さみしい」が続くと、
心が疲れちゃうんだよねぇ。


と、
そんな風に感じるのは、
私だけかなぁ?


履歴書を書く力

2009-11-08 19:49:36 | 言葉

先日、某専門学校の外部講師として一日社会人講座を担当した日のこと。
昼休みに休憩室にいたら、その学校のクラス担任と思われる2人の先生がこんな会話をしていました。


「先生のクラス、就職どうですか?」
「うーん、厳しいですねぇ。求人がないですからねぇ。」
「求人数も問題ですけど、生徒の履歴書どうですか?」
「あー、ひどいですねぇ。」
「でしょー?なんでなんでしょうねぇ。履歴書の書き方なんてわざわざ教えられなくても、私たちってなんか普通に書けましたよね?」


んー。
確かに私も中学生くらいの頃から、芸能事務所に履歴書送ってたっけな。
んでも書き方なんて教えてもらってなくて、項目見ながら何を書いたらいいか考えて書いたっけな。
でも、それってやっぱり「この項目は何を書く事を求めているのか」を想像して記述するという国語教育を受けていたからできたことのような気がします。
できるだけの想像力を働かせて、こうだああだと思って書く。なんか、そういう教育というか授業がふんだんにあったような気がします。
また、わけわかんないこと喋ってると、容赦なく親兄弟に突っ込まれた記憶があるし、近所のおじさんやおばさんにも言葉遣いを注意された記憶もあるし…。
今の学校教育って、そういう所に重きを置いてるんだっけ?
今の親子や地域って、子供を教育する環境を維持してるんだっけ?
と、まあ、子なしの私が言ってもあんまり説得力ないんだろうけど、昔とは学校教育や地域環境が随分違ってきているような気がします。
要するに、「なんで今の子って」の責任は、結構私たち世代にあるんじゃないかと思ってしまうわけです。


子供は勝手に育つ訳じゃない。
ある程度基礎になる部分は教育してあげなければダメで、基礎もないのに「応用しろ」は無理ってもんだと思うのです。
だから、履歴書の書き方を教えてもらったかどうかが問題ではなく、履歴書くらいひとりで書けるくらいになれる教育を、学校や親や地域から受けたかどうかの問題だと思ったりするのです。


で、そういう教育を施してこなかった分、私たちのような仕事をしているニンゲンが責任の一旦を担うべきなんですよ、先生。
と、そんなことを考えながら先生の話を盗み聞きしていた昼休みでした。
面識のある先生だったら、絶対その話に割って入ってたな、私。(笑)


その先生方の話の中にもうひとつ気になる話題があったのですが、それはまた次の機会に。



今日の月は二十二日夜。
日に日に月が細くなっていきます。
次の新月まで、あと9日。


と、思います。

2009-10-23 10:22:44 | 言葉

「私は●●をやろうと思います。」
という決意表明に対して、
「『やろうと思います』ではなく『やります』と言いなさい。」
と指摘する人がいます。


「やろうと思います」じゃなくて「やります」
「…と思います」じゃなくて「…ます」「…です」
確かにその方が決意っぽく聞こえはするけれど、それっていい大人に強要して言わせることなのかなぁ? と疑問に思う今日この頃。
大体さぁ、人前で決意表明すること自体がプレッシャーなんだから、敢えて「思います」の言葉尻までつかまえてとやかく言うことないじゃん。
それに、「思います」って言おうと「ます」で言い切ろうと、やる人はやるし、やらない人はやらないんだってば。


ハイパワーポジティブシンキングで自分を叱咤することはいい事だと思うけど、同じ言葉で人を叱咤激励すると、ポジティブの押しつけになる時があるような気がします。


「と思います」を指摘された人は、ちょっと困った顔をした後、少しうつむき加減になって「やります」と言い直していました。
「思います」って言った時は、顔を上げて話していたのになぁ…、あの人。
ポジティブの押しつけは、却って人を追い詰めるんじゃないのかなぁ。


仕事柄、私も気をつけなきゃ、って話ですけど。



今夜は六日夜。まだまだ細い月で月明かりも僅か。
今夜もまだオリオン座流星群、見えるかなぁ?
次の満月まで、あと11日。


風のように、水のように

2009-06-04 23:16:21 | 言葉

気持ちって、見えない。
自分の気持ちも、相手の気持ちも、見えない。
気持ちって、なんとなく感じるもの。
と、そう思ってきた。多分。

でも…、

形あるもの必ず壊れる運命にある。
それって誰の言葉だっけ?
その言葉が本当だとしたら、
気持ちにも形があるんだろうな。
気づいてなかったのは、私だけ?

風のように、水のように、
色も形も持たなければ、
誰かを想う気持ちは、
永遠に壊れずにすむのかなぁ?


足るを知る

2009-05-18 16:56:52 | 言葉

「欲深い」というと良いイメージはないけれど、「向上心」という欲はないとダメだと思います。
今よりもっとうまくうたえるようになりたいとか、もっと仕事ができるようになりたいとか、もう少しゆとりのある暮らしをしたいとか、人は生きている限り成長し続けるものだから、『上へ』という気持ちがなくなってはダメだと思います。
ただ、自分の幸せは人の不幸の上に膨らむものではないと思うので、「何が何でも私だけ!」というのは見苦しいです。他人を傷つける欲は「強欲」だと思います。強欲は他人も傷つけますが、結局は自分も不幸になる気がします。

最近、「足るを知る」ということについて、色々考えを巡らせることが増えました。
あれもこれもと思えば思うほど、心は貧しくなるような気がします。
暮らしむきがどうであれ、心は豊かでありたいと思います。